迷ったところで・・・地球の上



話すと超・・・長い。30年前まで遡る。
本当に長くてクドくて、面白くもないので、余程暇な方のみお読みくださいね。

1980年3月・・・だったかな?僕が小学校2年生の3学期。
父の転勤により、家族で生まれた横浜から札幌に引っ越す事になった。
7つ離れた兄は進学校に通っていて、大学受験に向けて横浜に残り寮生活する事になった。
生まれて初めての引っ越し、転向。兄弟も離れて暮すなど初めて尽し。
そんな時、兄から一本のカセットテープを貰った。まさかそのテープが僕の人生を変えるとはね。
そのカセットテープは勿論TDK。忘れもしない茶色い半透明のカセットだった。
中に入っていたのは「さだまさし」コンサートのライブ録音。
多分、ラジオかなんかのを録音したやつ。それを形見の如く持って札幌へ転向。
飯高直人、10歳の春。

札幌に転向した僕は、あっという間に!・・・・・いじめられっ子になってしまった。
「本土から来た奴」という事で、今の時代ならそれこそ大変な騒ぎになる程苛められた。
この苛められた一年間、聞き続けていたのは先の兄から貰ったカセットテープ。
で、その中で一番好きだったのが「異邦人」(エトランゼ)という歌(笑)
・・・よっぽど、寂しかったのね(爆笑)
で、このさだまさしの持つ歌の”物悲しさ”と、当時の北海道の持っていた”薄ら寂しさ”が
僕の人格形成にメチャクチャ影響を及ぼしたことは間違いない事実。
 ところで北海道にいるんだったら、何で松山千春じゃなかったのか!?
知りませんよ、そんな事。兄から貰ったテープしか無かったのだから・・・。

もともと小さい頃から暇さえあれば自転車に乗っていた。

特別自転車が好きな訳ではなく、遠くへ移動する道具として良く乗っていたという事。
遠くへさえ自由に行けるものであれば何でも良かったのだ。
なぜ遠くへ行きたかったのか?までは思い出せないが、誰でも普通に感じる事だと思う。
札幌に転向し、苛められては家に帰り、すぐに自転車で飛び出す毎日が続く。

夏休みになると両親が道内旅行に連れて行ってくれた。
見たこともない果てしなく広がる大地を見ては、自分が自転車でそこを走る姿を想像していた。
しかし、なぜかそういう思いを親に話すことは無かった。怒られると思ったからだと思う。

その翌年だったかな?”二百三高地”という映画が出ました。
詳しくはwikipediaで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%99%BE%E4%B8%89%E9%AB%98%E5%9C%B0
要はこの主題歌を「さだまさし」さんが歌っていたのです。

この当時(1980年当時)は、さだまさしさん、時の人でした。
「関白宣言」「北の国から」「二百三高地」と・・・ヒットが続きます。
そういう意味では、流行の最先端を聞いていた訳です。・・・えぇ、小学3年生の分際で。

二百三高地も中国(旅順です)を舞台にした映画ですが、1981年には映画「長江」を作成。
これまた中国を舞台にしたものでした。そう、実はさだまさしさんは、中国にゆかりのある方
なのです。(余談ですが、中国では当時「ゾーテンヤーズー」(さだまさしの中国読み)と言えば
みんな知っていた程有名でした)

おや?ここで簡単な言葉の等式が完成しました。
飯高はさだまさしが好き。
さだまさしは中国が好き。
∴飯高はさだまさしが好きな中国が好き

これ・・・真面目に書いているんですよ。 実際、そうなのですよ。
子供なんて単純ですからね。あぁ・・・俺は中国が好きなんだなぁ・・・・って思ったのは事実です。
と、今度は中国が気になりだしました。ふと地図を見ればお隣さんではありませんか? 
しかも・・・・デッカイ! 
おおっ!これは・・・自転車で思い切り走れそうだゾ?と本気で思った小学3年生。
ずーと左に走ると・・・おおっ!カタカナの国まで行けるじゃないか!?
こーれはスゴイことだ! と、本気で感動して胸が熱くなったのは今でも本当によく覚えています。

以後、テレビなどで「中国」とか「シルクロード」とかが映るとかじり付きましたね。
何と言うか、歴史に興味がある訳ではなく、漠然と「おおっ!すごい!」という圧倒的な感動が
目と心に焼きついたのです。

話が中国の話になってしまいましたが、その後も自転車には乗りつづけます。
中学1年の時に、初めての長距離を経験。友達と先生と3人で、横浜から山中湖まで。
それはもう・・・夢にまで見た自転車旅行でした。
ちょうどその頃「サイクルスポーツ」という雑誌がブームでね。
これもまた、兄貴の部屋にゴソッと置いてある訳です。こういうのを貪り読んでは、
未だ見ぬ世界を夢見ていました。
一度、長距離を走ると止められません。時間さえあればどこにでも行けるという自信もつきます。
自信がつくと試したくなります。で、試しました。高校1年の夏休みに・・・。

もうその頃には自転車で山中湖の日帰り(約120km)は走っていましたので、こりゃぁ・・・・
行けるな?と思い、新潟まで行こうという事に。なぜ新潟? そりゃ、親戚がいるからです(笑)
しかし、我が家はとても・・・厳しいご家庭でありまして・・・。まーさか親に言おうものなら
自転車ごと捨てられちまう、と思ったので、コソーリと準備しておりました。
用意周到、夜中に抜け出す計画で進め、親が寝るのを待ち構えて、さぁて家出だ!と
思ったら、兄貴が夜中に友達連れて家に帰って来てしまった。。。
こりゃぁ、出るに出られない。
・・・一か八か。兄貴に家出話を打ち明けてみた。兄は長男。長男と言えば厳格です。
しかも7つも上です。親代わりです。
 僕の計画を聞いた兄はニヤリとして、「よし!じゃ、いくか!」と、家出に手を貸してくれることに!
午前2時。荷物は兄貴の車に乗せて、自分は自転車で走りだす。
自分の部屋には親への置き手紙。定番通り「探さないでください」と書き置き(←マジです)
夏の夜中、家から離れた所で兄と合流。荷物を自転車に括りつけて、出発!

明け方の都内を抜け、日の出の荒川を越えて北に向かい、国道17号線をひたすら北上。
途中18号に移って長野を抜けて軽井沢を抜けて新潟に向かうコース。
 馬鹿なのか正直なのか、途中長野にある当時通っていた学校の研修施設に立ち寄ってみた。
毎年夏期講習をしている先生方に元気よく挨拶した。丁度担任もそこにいた。
当然、担任から「お前…親に言ってきたのか?」と尋問を受け、結局正直に全部話して軟禁(大笑)
親と電話で話す事になった。親はひどく呆れながらも「気をつけて進め」という事になり、
軟禁解除♪ さぁて、これで親公認(後付けだが)になった訳だ。
かくして約10日の親後任の家出を終えた。走行距離1200km。
よし!これでいつかはシルクロードを自転車で走れる!という自信をつけた。

その後、富士五湖日帰り、浜松、大阪、伊豆半島などを走るようになり、いつかは日本一周と
夢を描きながらも、大学進学とともに4輪に乗り換えて敢え無く自転車を降りた。
4輪はすごいね。結局「遠くへ行くための道具」が欲しかった訳なので、4輪は圧倒的に行動範囲を広げた。
大学の4年間で日本全国のほとんどを旅した。しかも高速を使わずに。

趣味もすっかり変わってしまったが、「中国」への憧れだけは止まなかった。
同時に、「あぁ・・自転車でシルクロード・・・」と思い出す事はあったが、4輪の機動力を味わって
しまった当時には、汗臭い事には戻れなくなっていた。

二十歳の成人式の時。当時の彼女と将来について話し合った(笑)
成人式の日に、「貴方達は成人になります」と言われたってさぁ・・・。全然ガキだし・・。
いつになったら大人になるんじゃ?と、無意味な事を真剣に考えたりしていた。
ただその時に「よし!40歳の時に俺は成人する!」という、今思い出しても恥ずかしい決意をした事をハッキリ覚えている。

その後社会人となり、これまた流されるままに30歳を迎えた。
・・・い、いかん。40歳まであと10年しかない!と焦りつつも、日常を打開できないままでいた。
と、あるきっかけ(後に人生の転機となる)から、転職する事になった。
この転機を逃すわけにはいかないと、気合いを入れなおした。入社した会社の広報誌の自己紹介文には、
しっかりと”中国語”(なぁんちゃって中国語)で自己紹介を書いた。
転職した会社は殺人的に忙しかった。毎日終電は当たり前。カプセルホテルにも良く泊まった。
土日もほぼ全部出勤する数年間を経たところで、ひょんなことから「中国出向」のカードが目の前に来た。

その日は珍しく時間がある日だった。同僚であり友人のMさんと確か五反田の駅で待ち合わせ、
一緒にラーメンを食べに行ったのだ。行列ができるそのラーメン屋で並んでいる時にMが言った。
M:「お前見た?あの公募のメール?」
飯:「・・・・なんじゃそりゃ?」
M:「今朝、部長から来てたべ?」
飯:「・・・・来てないぞ?」
M:「後で転送してやるよ。お前、中国好きだったよな?」
飯:「あん?なんで中国の話し?」
M:「だって、中国に出向する話だぜ?」
もう、ラーメンどころではない!食べたらすぐに会社に戻り、Mからのメールを待った。
暫くして届いたメールは、忘れもしない・・・・・忘れもしない・・・・・あれ?えーと・・・・
あ、そうそう。人事部から各部長宛てに発信されたメールだった。
「すぐにでも中国に転勤できる社員が、部署内にいるならば速やかに人事部まで報告する事」
という文面だった。「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・行く。マジで行く。明日にでも行く」と即座に
自己回答。
さぁて、問題は肝心のこのメールは僕の部長からは届いていない。
しかし、こんなチャンスは逃せない!と、即座に自分の上司にメールを出す。
文面は簡単。「部長。中国行かせてください。明日からでも行けます」
なりふり構っていられなかった。当時の職位はMgr。部下もそれなりにいた。
その責務を・・・と、心を過ったは事実だが、止められなかった。
同時に、当時社内でこそーりとお付き合いをしていた彼女さんにも「俺。中国。行く」とメールした。
ほぼ同時に両方から回答が届いた。
部長:「まじ?」(赤文字のフォント60で書かれていた)
彼女:「いってらっしゃーい」

これで決まりだ。夕方には人事部から連絡が来てすぐに面談。
一応社内公募なので、期限を待って候補者の中から決めるという事になった。
しかし・・・このチャンスだけは譲れない。今までのどんな営業トークよりも熱く語った。

それから暫くは仕事が手に付かなかった。もう「中国」という二文字に翻弄されていた。
しかし、よぉーく考えてみたら、いや、考えるまでもなく、「どこで、何をするのか?」を
聞いていない、書かれていない事に気づいたのだ。
メールを読み返しても「中国」としか書かれていない。
でも、それでも良かった。どうせ仕事なんて場所は関係ないのだ。人間が生きている場所なら
生きていけるはずだし。・・・・とにかく中国なのだから!

日が経つにつれて段々と詳細が明らかになってきた。
どうやら中国でなにかプロジェクトをやるようだ。・・・チッ。プロジェクトか(笑)
てぇ事は期間限定か? ・・・でも良い。行く。
なに?プロジェクト責任者として行く?OK。よく分らんけどOK!没問題!
更に日が経つと、なに?今までの業務内容と全く関係ないだと?
・・・・仕事なんてそんなもんだ。OK。
更に数日後。へ?現地で会社を立ち上げる?そこの責任者?・・・つか、社長?

・・・・・・・・・・ちょーーーと、考えさせてください。
26年間憧れた中国。行きたい。とにかく行きたい。
しっかし、いきなり社長って何? ま、そういう社風が大好きだったから楽しく仕事していたんだけどね。
しかも事業内容まで全く異なるという事は、5年間のキャリアはどうなる?
さすがに尻込みをしそうになったが、やっぱりこれはチャンスだ!と強く思った。
どうせ一度の人生。やってやれないことはない。今しかない!ここは進めだと感じた。
Mとラーメンを食べてから3週間後の10/19。中国、蘇州・昆山に降り立った。

そして、なんと!「いってらっしゃーい」と言ってくれた”こそーり彼女”と、この僅か数週間のうちに
身内となりました。時間がなかったので結婚式?無し。指輪?無し(あ、これは時間ではなくて金がなかったからだ)。
新宿市役所に残業を終えた10/10の23:22に書類を届け、記念としてラーメン屋で一杯のラーメンを半分こして食べたのだった。
結婚したことは殆ど誰にも言わずにいた。知っていたのは同僚でも数人だけだった。
かくして、辞令・結婚・出向・引っ越し・別居・・・・という順で進んだ。
彼女とはその後も別居を続け、実に結婚後4年間の別居生活となった(大笑)
ようやく昨年の暮れから同居し始めた。 あ、同居って言わないのかな?

仕事の話は割愛するけど、結果的に2011年に中国出向のまま退職する事にした。
なぜなら・・・・僕がなんとめでたく”成人”したからだ。そう。つまり40歳を迎えたから。
そんな理由で辞めた!?・・・ハイ。思い返せば10歳から憧れた中国。16歳に夢見たシルクロード。
40歳の成人式。 今しかないじゃないですか。
生きていくためのスキルはそこそこ身に付けた。(というか、前の会社に付けて頂いた)

そう言う事で、環境は整った。無いのは金だけ。
仕方無い。じゃぁ会社を作ろう(大笑) ちょっと大げさだけれど、ニュアンスはそんな感じ。
極論すれば、サラリーマンは時間を会社に渡し、対価として給与をもらう。(今時ではクビになるね)
僕はサラリーマンを辞めたので、時間はあるが金はない。
じゃ、時間を使って会社を作りましょう。と言う事になった。幸い5年間は一応経営を学んだので。
しかし、ここで仕事に首を突っ込んでは元も子もない。僕には旅に出るための時間が必要なのだ。
僕は仕組みを構築して、あとはパートナーである嫁と、心から信頼できる社員に任せることにした。

かくして・・・・4月。
自転車も完成して大阪に取りに行った。ちょうど桜の季節。日本の桜を見たのは実に5年ぶり。
実はこの時、死んでも良いと思えるほど辛い気持だった。
旅に出るのも止めようかとも思っていた。40年生きていた中で最低最悪の時期だった。
大阪での毎日は、辛かった。どうしようも出来ない辛さは、旅の序章になるのか?
それとも旅そのものになるのか?
フェリーで大阪から上海に向かい、仲間達から盛大な壮行会を開いてもらった。
もう、後には引けない!

・・・・続く。



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