飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

モスクワの地下65mにある「核要塞」施設のルポ記事(毎日新聞)はタイムリーだ!

2025年01月11日 10時55分59秒 | Weblog

 旧ソ連時代に建造され、核攻撃にも耐えられるモスクワの地下施設「ブンケル42」に案内され、その全容を描いた記事が毎日新聞1月10日夕刊1面に掲載された。米ソ両大国の核戦争の瀬戸際まで迫った1962年のキューバ危機当時、航空部隊の臨時司令部になった施設も残っている。プーチン露大統領はウクライナとの戦争で核兵器の使用も辞さない強硬姿勢を示しているが、この記事は、そうした国家首脳らの声を覆す国民の本音をしみじみ感じさせる。

 記事は、毎日新聞モスクワ支局の山衛守剛記者が取材して書いた。「冷戦下 地下18階の核要塞 いま博物館」の脇見出しとともに、「レッドライン まざまざと」の主見出しが躍っている。また、博物館の写真4枚が掲載され、ソ連時代に軍の臨時司令部が置かれた部屋と、ソ連初の原爆「RDSー1]の模型、それに核爆発の煙とともに「我々は警戒せねばならない」と書かれたポスターが写っている。

 軍服姿のガイドの説明によると、この博物館は1945年に米軍が広島と長崎に史上初めて原爆を投下したのを受け、当時のソ連指導者スターリンの指示で「核攻撃に耐える施設」として建設が始まった。1956年から運用が開始され、臨時司令部がこの場所から核兵器搭載の戦略爆撃機へ司令を出していたという。冷戦当時は施設の存在は国家秘密で、地上部の建物は「軍事図書館」とされていた。

 その後、臨時司令部は移転され、1986年に施設は閉鎖された。ソ連崩壊後の2006年には現在の博物館に生まれ変わり、ガイド付きのツアーが行われている。参加者は十数人が列になり、館内を見て回るが、外国人の参加もあるという。現在、毎日7、8組のツアーを実施していて、人が集まらない回はほとんどないとのことだ。

 撮影禁止と言われた部屋には、当時の通信機器が壁一面にずらりと並んでいる。キューバ危機を伝える米露の新聞記事や、当時のケネディ米大統領とソ連のフルシチョフ首相の写真も展示されていたという。来場者の30代の女性は「怖くて鳥肌が立った。何が許されないかを理解するためにも、ここに来るべきだ」と語っていたという。

 博物館の責任者、カメンスキーさんは「核兵器の使用は狂気だ。来訪者には、すべての紛争が平和的に解決されるべきだということを伝えたい」と語っていたという。この言葉こそ、プーチン大統領に伝えたいものだ。ロシアの首脳陣の言動とは裏腹に、こうした国民の声が全世界に伝わるよう、心から願っている。(この項終わり)

 

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