「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

舞台演劇の力―《Project BUNGAKU 太宰治》

2010年10月09日 | Yuko Matsumoto, Ms.
☆《Project BUNGAKU 太宰治》(八幡山ワーサルシアター)☆

  若手演出家による太宰治の4作品を演劇化する催し。演劇や芝居といったものには疎いので、ふだんあまり見に行こうという気にはならない。上演期間中、日替わりでゲストによるアフタートークがあるのだが、今日は松本侑子さんのアフタートークということで、行ってみることにした。
  1番目の演目は『HUMAN LOST』。太宰が精神病院に入院したときの体験をもとにして書かれた作品。ごくふつうの装いをした5人の女性が出てきて、1人は机で書きものをし、残りの4人が舞台を動きまわる。最初は太宰とどうつながるのかわからず、少し面喰ってしまった。しかし、セリフをよくよく聞いていると太宰の独白のようで、そう思って舞台の動きも見ていると、なかなかおもしろくなってきた。5人すべてが太宰というか、太宰の分身なのだろう。小説は言葉を通じて読むので、やはり理性的な理解が勝る。ところが、舞台演劇は身体表現や感情を伴ったセリフで表されるので、むしろ感性的な理解―理屈を超えた解釈がいるように思う。その辺りのことに慣れていないからか、最初は戸惑ってしまうようだ。結局見終わってみると、太宰やこの作品のことを何にも知らなくても、太宰という人間や、太宰のこころの内―葛藤や繊細さが見る者に伝わってくるように思えた。
  2番目は『燈籠』という作品で、太宰が女性の一人称で書いた名作短編とのこと。アフタートークで松本侑子さんも指摘していたが、劇中劇の入れ子構造のようになっていて、この点は素晴らしい演出に思えた。女性のセリフの一つひとつもこころに残る感じだ(※)。女ことばを操る太宰という作家が、只者ではないという証拠でもあるだろうが、4演目中唯一、女性の演出によるところも大きいように思った。男が書いた女を、女が描く! 出演した方々の演技も垢抜けていたように思う。
  次の『ヴィヨンの妻』はよく知られた作品だ。もっともわかりやすい演劇だった。誰にでも受け入れやすい演出だったともいえる。松本侑子さんも「正統派」と評していた。他の3作品が良きにつけ悪しきにつけ意表を突く演出が目立ったので、個人的にはやや影の薄い感じがした。
  最後の演目はあの『人間失格』。言わずと知れた代表作である。これも相当意表を突いていて、葉蔵は“いま”の時代の葉蔵である。さらに葉蔵は女性が演じていた。これがなかなかはまっているからおもしろい。初めは猥雑な感じもして、舞台がうるさく思ったが、細かな仕掛けもあって悪くなかった。
  アフタートークは松本侑子さんのトークなのかと思っていたら、4人の演出家との座談という趣向で、これはこれでおもしろかった。最初の演目で金魚が出てくるのだが、その金魚に注目していたとか、『ヴィヨンの妻』の赤ん坊の―あまり可愛いとは思えない、むしろ不気味な感じがする―人形の象徴性について話されたりと、作家の目の鋭さをあらためて感じた。
  最後にゲストが一番おもしろかった演目を挙げることになっているのだが、松本さんはどれもおもしろくて優劣はつけられないと評していた。観客もアンケートといっしょに順位を付けた紙を渡して帰ることになっている。松本さん同様、なかなか順位を付けるのは難しかったが、結局『燈籠』-『HUMAN LOST』-『人間失格』-『ヴィヨンの妻』の順に記してきた。いうまでもなく、各々僅差だったのだが。
  1演目につきわずか20分の時間で何が表現できるのだろうか。見る前はそう思っていた。ところが、それは演劇知らずの素人考えというほかない。わずか20分でも、太宰治の人間性や作品をここまで表現できることに驚かされた。舞台演劇の持つ力に圧倒された思いだ。終わってみれば、濃密な20分×4の時間だった。と同時に、今回も多くの若い役者の方々が出演していたが、彼や彼女が舞台演劇の魅力にはまっていく気持ちの一端にも触れたように思う。文学であれ、演劇であれ、芸術であれ、ひょっとしたら科学であれ、人間は何かを表現せずにはいられない生き物であるらしい。表現することは人間の存在の証しなのかもしれない。
  

(※)「おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか。もう、ふたたびお目にかかりません」―このセリフが妙に印象に残った。実は、このセリフが『女生徒』からの引用であることを、偶然にも今日知った。(『週刊現代』10月23日号、穂村弘「リレー読書日記」より) 松本侑子さんも座談で、『女生徒』など他作品からの引用について言及していたが、このセリフがまさにその一つだったというわけだ。(2010年10月10日追記、および本文も推敲)

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