「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

「ベーター読み」すべき「ベーター読み」入門書―『「読み」の整理学』

2014年06月18日 | Life
☆『「読み」の整理学』(外山滋比古・著、ちくま文庫)☆

  本書は『思考の整理学』の続編のつもりで読んだ。『思考の整理学』と同様に論旨は明確で読みやすく、これまた良い本である。「読み」を、既知を読む「アルファー読み」と未知を読む「ベーター読み」に分け、「ベーター読み」こそが新たな知識を得るために重要であると説く。
  教科書で読む文章は、それがどんな名作であっても、おもしろくないものと相場が決まっている。それはなぜか。教科書は未知を読むための訓練の場であって、命を落とす危険を孕んだ危険な登山のようなものだという。そんな緊張を強いられる「読み」が、おもしろいはずがない。だから多くの人たちは、学校を出て教科書から離れると、甘い「アルファー読み」(たとえば新聞を開いても社説は読まず、スポーツや芸能面ばかり読むスタイル)へと帰っていく。そこに教育の困難がある。
  素読や読書百遍もまた「ベーター読み」に通じている。しかし、ここで注意すべきことは、その対象が確立された古典であることだ。原典の選定が可能ならば、新たな素読の方法を検討してみてもよいのではないかという。古典の素読と同様、外国語の学習も「ベーター読み」であることはいうまでもない。ふと思ったのだが、数学や科学もまた、多くの人たちにとっては「ベーター読み」の対象であるのかもしれない。その「ベーター読み」を「アルファー読み」に転換する試みがサイエンス・コミュニケーションといえなくもないように思うが、果たしてそこに問題はないのだろうか。科学でも「素読」が可能か、少し考えてみるのもおもしろいかもしれない。
  本書はとても読みやすく、わかりやすいという趣旨のことを書いた。しかし、自分なりに「アルファー読み」をして(もう理解してしまったと思って)本棚にしまってしまうのは危険である。外山さんの本は、『思考の整理学』もそうだが、読みやすさとは裏腹に、けっこう本質は深いものがある。ときどきは本棚から取り出して、あらためて「ベーター読み」(虚心坦懐に読み直すこと)をしてみる価値があるように思う。
  やはり『思考の整理学』と同様、本書の帯のキャッチコピーもいかがなものかと思う。この本は「取説やお役所書類」を理解するためのハウツー本ではない。それに読み方の本質にふれてはいるが、「スゴいコツ」が書かれているとは思われない。すぐに「アルファー読み」できますよと誘っているつもりなのかもしれないが、実は「ベーター読み」すべき本なのである。「アルファー読み」するつもりで買って、「ベーター読み」に目を開かされたとすれば、それはそれで効用があったことにはなるだろうが。

  


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