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1950年代の新京極付近(最終回)

2005-12-28 18:22:18 |  映画随想
 京洛劇場から北へ100mほど、通りの東側にある現在のMOVIX京都の前身、松竹座は文字通り松竹映画の封切館だった。1954年に観た『この広い空のどこかに』も、文字通り「この広い空のどこかに、僕の未来の妻が居るのだ」と思って観た。妻は確かに居た(笑)。1956年頃より、私は勤務先の労働組合機関誌に映画評を連載していた。此処で観た『早春』や『喜びも悲しみも幾歳月』も連載した作品に入っている。そのほか1957年には『土砂降り』『挽歌』『素足の娘』『うなぎとり』1958年には『張込み』『蛍火』『忠臣蔵』『この天の虹』をこの松竹座で観ている。

 映画観賞の後で時々立ち寄るコーヒー店が、四条通りを挟んで南と北に2軒あった。前者の店の名は確かフランソワといったような気がするが、、定かではない。後者は木屋町上がるにあるMUSEというクラシック音楽喫茶だった。当時100円ぐらいだったと思うが、そのコーヒー1杯で2時間ぐらい粘った。クラシック曲をリクエストして呉れるからである。無論静かで落ち着いた雰囲気の店だった。レジ横のLP盤が静かに33回転1/3の回転を始める。東側の細長い窓から高瀬川が見えた。此処での体験が後刻、私をしてクラシック音楽マニアになる一因を創ったとも云える。

 MOVIX京都の直ぐ北は早や新京極の北端、三条通りに出る。東へ向かえば河原町通りと交叉する。交差点の東側に三条通を挟んで北に朝日会館、南に京劇があった。前者はビルの4階(だったと思う)にあり、エレベーターで入館した。1953年に『宇宙戦争(オリジナル)』を見たのが此処。翌年『バラントレイ郷』『兄弟は皆勇敢だった』『ボルジア家の毒薬』『外人部隊(リメイク版)』翌々年に『長い灰色の線』『ユリシーズ』1956年には『海賊船』『恋愛時代』『オセロ』『攻撃』1957年にはオードリー・ヘプバーン主演の『戦争と平和』を此処で見た。

 京劇の話は以前に書いたので略し、此処で見た映画だけの列記に留める。1953年『封鎖作戦』『忘れられた人々』1955年『バルテルミーの大虐殺』『前科者』『裸の女王』1956年『ユタから来た男』『ミスタア・ロバーツ』『黒い狐』『去りゆく男』『暁の出撃』『非常線』『空と海の間に』『灰色の服を着た男』1958年『突撃』。

 今年もあと3日を残すのみ。正月準備の手伝いもあるので一気に書き上げる。京劇と河原町を挟んだ西側(稍南)に京都宝塚劇場(通称=京宝)があった。この映画館ほど多くの作品に接し、また多くの思い出が残る映画館は無い。1952年から1958年にかけて48本見ている。1952年には、イングリッド・バーグマンに一目惚れした『誰が為に鐘は鳴る』。1953年メーデーのデモ行進解散後に見た『地上最大のショウ』。1955年宿直明けに行き今は亡き部長と遭った『足ながおじさん』。1957年労組機関紙に感想を書いた『翼よあれが巴里の灯だ』等々。屠蘇気分で入場して館内暖房に悪酔いし、鑑賞どころではなかった『八月十五夜の茶屋』も此処である。ほかの鑑賞映画を次に列記しておく。

1953年『静かなる男』『情炎の女サロメ』『クォ・ヴァディス』『シェーン』『浮気なカロリーヌ』。1954年『バリ島珍道中』『モガンボ』『百万長者と結婚かる方法』『壮烈カイバー銃隊』『黒い絨毯』『十二哩の暗礁の下に』『あの手この手』『巨像の道』『炎と剣』『デミトリアスと闘士』『悪の花園』。1955年『エジプト人』『異教徒の旗印』『ブリガドーン』『裏窓』『ショウほど素敵な商売はない』『スタア誕生』『蝶々夫人』『エデンの東』『ファンタジア』。1956年『ベニイ・グッドマン物語』『トロイのヘレン』『征服者』『ピクニック』『必死の逃亡者』『野郎どもと女たち』『ガラスの靴』『滅びゆく大草原』『カラコルム』『ナポレオン』『知りすぎていた男』『禁断の惑星』『マナスルに立つ』。1957年『ジャイアンツ』『道』『南極大陸』。1958年『サヨナラ』『戦場にかける橋』『愛情の花咲く樹』。

 1956年8月、京宝上部に建て増した『スカラ座』が完成した。こけら落としは『捜索者』超満員だった。その後『夜は夜もすがら』『沈黙の世界』『赤い風船』『ラスヴェガスで会いましょう』『白鯨』『王様と私』『黒い牡牛』を此処で観た。このように京都市の新京極界隈で映画を楽しんだ独身貴族の私だった。が、1958年中頃に突如転勤命令が下る。この時点で私の京都での鑑賞記録は絶えた。1960年代に入ると高度経済成長に伴う勤務の激しさから到底映画観賞している時間は無くなって行く。1950年代の新京極付近は、私にとって在りし日の古き良き時代であった。【完】
画像は『巴里のアメリカ人』より

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1 コメント

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も一度返りたいたい (たそがれ)
2005-12-29 00:23:47
 あの古きよき時代にも一回かえりたいですね。ありがとうございました。 

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