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ファンタジア

2005-05-13 14:19:29 |  映画(フ~ホ)

音楽を視覚化した全く画期的な「ファンタジア」は、シネマとクラシック音楽の混血作品である。hpではシネマとしての立場から記述したが、blogでは音楽の視覚から記したい。

レオポルド・ストコフスキー指揮/フィラデルフィア管弦楽団のシルエットで始まる音楽は、世界最初のマルチ・ステレオで録音されている。

「トッガータとフーガ」=楽器の変化で表現する。波模様がうねる。雷光がチカチカと光り、流れていく。青から真っ赤な波へ。幻想的な模様が次から次へと流れていく様は最早や映像と音響の国境が消え「トッガータとフー」そのものである。尚この映画と関係なく純粋にこの音楽だけを聴く時、私は田園に町並みが造られていくような感じを受ける。

チャイコフスキーの「胡桃割り人形」は、花びらがリズムとメロディーにハーモニーしながら輪になって踊る。現れては消え消えては現れる。大自然の四季が背景。幻想的で美しい童心の世界だ。私がこの音楽だけを聴く時も、この映画と似た映像が浮かんでくる。

素晴らしいのは、デュカスの「魔法使いとその弟子」だ。掃除を命じられた弟子のミッキーマウスが、箒に魔法をかけて掃除をさせる。箒はただ黙々と壺に水を入れる。そのうち水が溢れだし大洪水となる。慌てたこと。掃除を止める魔法は教えて貰ってなかったのだ。叱られてショボン。この一連のアニメーションは音楽と完全融合している。

ストラビンスキーの「春の祭典」では、灼熱地獄の砂漠の中を、水を求めて彷徨い歩く恐竜によって、生け贄の悲劇の主題を巧みに表現したといえる。

異論のあるところもあろうが、ただ一点だけ不満が残るのはベートーヴェンの「田園交響曲」。あの名曲を半人半獣が主役のアニメで表現したことだ。エログロ的でさっぱりしなかった。私だったらもっと長閑な田園風景を広々と青々とした感じで出す。

ポンキェルリの「時の踊り」は、駱駝や河馬のユーモラスな踊りでその躍動感をつたなく表現していたともいえる。彼のオペラ「ジョコンダ」での仮面舞踏会で登場するこの音楽にピタリだ。

一転、ムソルグスキーの「禿げ山の一夜」では、北欧の荒れ果てた村落らしきところに日が暮れる。亡霊か化け物らしき幻影が飛び交い乱舞する。荒涼たる感じが音楽とぴったり。殊に鐘の音が鳴り始めて朝が近づき光が差し始めると、妖怪らしきものが立ち去っていくところなど、思わず「巧い」と叫びたくなる。

シューベルトの「アヴェ・マリア」でこの映画は終わりを告げる。提灯を手にした巡礼らしい長い行列が、鬱蒼とした森に囲まれて夜の帳に佇む湖畔を静かに厳かに歩んでいく。暗かった夜は次第に明けていく。もはや提灯の灯火も不要となってきた。行く手の木陰から朝日の木漏れ日が降り注いできた。行く手の空にその光りはだんだんと輝きを増してきて--。いや~もう感動!。

なお映画製作後半世紀を過ぎ、その音声が耳の肥えた人たちにマッチしなくなったと、アーウィン・コスタル指揮により、デジタル新録音でサウンド・トラックが更新されたが、ストコフスキーでの声も強く、両者平行配給されているとか。それにしても映像と音響を巧みに捕らえたこのような映画が1940年に既に創られていたという、一寸信じられないようなこの事実は、正に驚異そのものと言っても過言ではない。

 【1955年11月11日。京都市河原町六角、京都宝塚劇場にて鑑賞】


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