アスカ・スタジオ

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波止場

2005-08-15 09:57:39 |  映画(ハ~ヒ.)
遂にテリー(マーロン・ブランド)が単身、悪に立ち向かう。が、逆に袋叩きに会ってしまう。かって「拳銃で立ち向かうのは彼らの罠に嵌るだけ」とテリーを押し止めていたバリー神父が決然と「歩けるか。今こそ決着をつける時だ」と囁く。肌けたテリーの上衣のファスナーを引き揚げるショットが実に巧い。

「働けー」と叫ぶジョニー親分(リー・J・コッブ)に向かうテリーのよろよろとした足取りのアップ。彼の心中をリアリティに表現するレオナード・バーンステインの音楽も効果的だ。あれほど悪に怯えていた港湾労働者が遂に後に続いた。だがこのラストシーンは決してヒロイズムの謳歌で終わっていない。ジョニーが叫ぶ「必ず戻ってくるぞ。忘れるな」の壁蝨のような言葉で終わりを告げるからだ。

そう言えば、ジョニーが窮地に立った時に、さっと縁を切る背後の黒幕の1カットも想起されてくる。然りながら、冒頭、結果的にイーディ(エヴァ・マリー・セイント)の兄を殺す手助けをしてしまったことに対する、テリーの良心の清算は終わったのだ。社会悪に立ち向かう重厚且つ風格ある映画だ。

「ちょっと傷めるだけかと思ってた」と告白し、イーディに仕事の札を譲るテリーが、アパートの屋上で可愛がっていたのは、この映画で象徴的に小道具的役割を演じる鳩だった。例え鷹が笑っていても「鳩はいいなあ」と呟く彼に「バリー神父の許に集まるメンバーを知らせ」「別れろ。女も殺すぞ」と脅迫が来る。

「出られる前にやれ。信じるのは自分だけ」「動物だわ」。真剣にイーディと語り合うテリーが、彼女の片方の手袋を自分の片手に填めるショットも快ければ、アンテナが林立する屋上で自白するテリーの声が、汽笛で掻き消されるシーンも素晴らしいの一語。

バニー神父の演説に目覚めた労働者ドゥーガンも闇に葬られる。ジョニーの配下だった兄チャーリーが、テリーに「要る時が来る」と拳銃を渡してから惨殺される迄の描写も鋭ければ、聴聞会で勇敢にジョニーを叩いたにも関わらず、同調しない労働者を絶滅した鳩で象徴する技も秀逸。

斯くてこそこの映画は一気に盛り上がりを見せ、胸の透くような集結場面に向かえたのだ。マーロン・ブランドは、右の眉毛のメーキャップが稍気になるのは別に置き、熱演である。エヴァ・マリー・セイント、リー・J・コッブも印象深く適役といえる。

所々で寸評したようにエリア・カザンの演出した数々の名場面も流石なら、押さえつけられそうな灰色基調で憂鬱な波止場を展開したポリス・カウフマンの撮影も見事だ。未熟な私には、この映画に欠点は見いだせない。原題 On the Waterfront アメリカ映画

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5 コメント

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この作品は (DCP)
2008-06-04 20:48:27
ある意味でハリウッド史に残る重要な映画と思う。と言うのは、かの有名なかつ汚点だった「赤狩り」の最大ターゲットだったカザン監督は他の多くの映画人が証人喚問を受けた(中には英国へ帰ってしまった)にも拘わらず喚問を拒否続け、時には仲間をリークしたのに、何と数年後の本作品で数々のオスカーを受賞してしまったと言う事実なのである。それもリー・J・コッブが出ているとは実に皮肉。仲間へのお詫びとハリウッドへのリベンジと言う偉業。アメリカはさかんに「演説」ではJustisを強調する。では当時はなかったのかな?。
Re:この作品は (アスカパパ)
2008-06-05 14:32:33
赤刈りとカザン監督の因縁話は私も承知しております。それはそういうことでありますが、作品そのもののパーフェクトさに、唸るものがあります。
スペル違います (DCP)
2008-06-05 14:33:14
justiceです。はじー。
usticeとは少し違うかもしれませんが・・ (アスカパパ)
2008-06-06 13:36:22
赤刈りを扱った映画「マジェスティック」(01)を思い出しました。「ショーシャンクの空に」の監督ですから、justiceというよりhumanityといった映画でしたが、いい映画だったと思います。
↑Jが抜けました。 (アスカパパ)
2008-06-06 13:38:06
私もはじーです。

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