アスカ・スタジオ

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1950年代の新京極付近(3)

2005-12-24 11:13:32 |  映画随想

 今日は2005年のクリスマス・イヴ。「ジングル・ベル」のメロディーも当地ではあまり聴かれなくなった。ちょっと寂しい。1950年代の新京極付近に戻ろう。清しこの夜、星は瞬き、ポンポンとクラッカーの音がする。今夜はオール・ナイトを楽しもう。でもまだ宵の口だ。四条通のパチンコ屋で少し時間を潰す。たまに球が10個出てくるだけ。21世紀のマシンは知らないけど、これとは比べ物にならないらしい。直ぐに球が無くなった。

 四条通に面したガラス張りの派手な店「コンパ」に行く。これまた見るからに派手な色のカクテル1杯で時間を持たす。そろそろ夜も更けてきた。さあ待望のダンス・ホールへ。それは四条河原町通りに面した所にあった。この日の為に、ダンス・レッスン場に繁く通った腕を試そう。通っていたのは柳馬場通り三条上るに在ったCクラブだった。お陰で21世紀に入っても簡単なステップなら踏める私である。

 オールナイトはアルバイト・サロンで費やした。狭いステージなので正規のステップは踏めない。それでもあの娘と踊ったルンバは今も記憶に残る。「♪~その名はアンナ~♪~」。四条通りFビル地下に在ったその店の名は『青い麦』といった。

 閑話休題。SY京映でその後見た映画を次に列記しておこう。なお、この中に彼女と見に行った映画が1本だけあるが以前に書いたことがあるので省略する。
1955年=2/7,「砂漠は生きている」2/28,「トコリの橋」7/19,「文なし横丁の人々」,/,19,「戦略空軍命令」11/9,「泥棒成金」12/24,「海底2万哩」
1956年=2/6,「恋愛準決勝戦」2/13,「われら巴里っ子」2/26,「ハリーの災難」3/24,「リチャード3世」4/19,「雨のランチプール」5/6,「愛情物語」7/1,「黄金の腕」7/10,「アレキサンダー大王」9/4,「空中ぶらんこ」10/20,「上流社会」12/3,「居酒屋」12/22「,山」
1957年=「ノートルダムのせむし男」「昼下りの情事」「パリの恋人」「巴里の不夜城」

此処まで書いてみて、如何にも夜の帝王のような印象を与える文だなと気付く。昼間は健全な青年だった証拠として、春うららな当時にF3.5レンズで撮ったモノクロ写真が出てきたので添付しておこう。セピア色に変色し、左上部が破れているのでボロ隠ししてあるけど。
 
(この項、終わり)


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2 コメント

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アル・サロ… (たそがれ)
2005-12-24 23:03:37
 この単語は今ではどうなんですか?

藤井大丸 そー云えば、そんなデパートありましたね。こじんまりした店だったように思います。

 私もあの頃の思い出の場所、どーなってるか、探検してみよかと思います。

 
今は死語になっているかも? (アスカパパ)
2005-12-25 10:22:27
当時はアベックと呼んでいましたが、今はカップルですよね。現在は使っていけない単語が多くなりましたね。

古いDVDの最初に必ず「当時使われていた言葉をやむなく・・云々」の注釈文が出てきます。

先日TV放映された『二十四の瞳』で、問題の箇所があるので、どう始末してあるかな?と注目しました。

巧く音声を消していました。さすがー!

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