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海は見ていた

2010-04-22 14:56:07 |  映画(イ~ウ)
 三年前に他界された熊井啓監督の遺作である。
 まず初めに、2002年7月29日、シネマデプト友楽にての観賞記
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 山本周五郎の二つの原作から黒澤明が第31作品用として纏めていた脚本を熊井啓が演出した映画である。熊井監督は故黒沢監督の意思を尊重しつつも自分の映画に纏め上げたのではないか。
 山本周五郎作品の持つ雰囲気も快く伝わってくる。社会の底辺にあって、物心両面に恵まれぬ生活を送る人々の、矛盾極まりない社会に対する怒りが満ち溢れている。
 それは現在にも通じるものがある。そして最後に盛り上がるクライマックスの洪水シーンに向かって、庶民の人情話は滑らかに、極く自然に進んで行くのだが。

 一点だけ不自然に思えることがある。それは勘当された若侍の房之助(吉岡秀隆)の言動である。冒頭、人を傷つけ深川の三流遊郭に逃げ込んだ彼は、葦の屋の女郎お新(遠野凪子)に救われて以来、彼女に熱を上げる。
 葦の屋の他の女郎もお新と房之助の結婚に協力の姿勢を示す。ここまでは自然だ。問題はこうしたある日、葦の屋を訪れた房之助の言葉だ。
 「身分相応の娘と結婚することになった。みんなも祝ってくれ」。女郎がみな怒るのは自然だ。不自然なのは、それまでどう見ても房之助がお新に惚れていると思わせる描写をしていることなのだ。
 それだったらどう考えてもあのような言葉は出ぬはず。また、お新とは単なる遊びだったのならば、吉岡秀隆は、そうと観客に思わせる演技で応えなくてはならない。
 またそれが出来得るような演出やシナリオでなくてはならない。と思えるのだが、如何。

 ラストに大雨と氾濫を持ってきたのは巧い。「海は見ていた」の意味も、女郎菊乃を演じる清水美砂の言葉で解るところも巧みだ。
 この映画の主演は、二人目の男、良介(永瀬正敏)にまた惚れるお新を演じる遠野凪子であろうが、菊乃こと清水美砂はこの映画に無くてはならぬもう一人の主役そのものだ。
 磨き抜かれた彼女の演技力は、この作品に重厚味すら加えている。
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 熊井啓監督といえば、二つのイメージが浮かぶ。
 その一つは社会派監督としての顔だ。
 終戦3年後。復興の道を歩む日本社会を震撼させたあの事件は、私の誕生日に起こっただけに未だに忘れられぬ。
 「帝銀事件 死刑囚」で、黒木監督の鋭い眼光は、社会に抗議する家族にも当てられていた。「逃げても隠れてもどんどん追ってくる」。と、容疑者家族に注がれるその暖かい目線に私は注目したい。
 監督の視界は、その後も「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」「海と毒薬」「日本の黒い夏 冤罪」と続くことになる。

 監督のもう一つの眼は女性に向けられた。
 雪国に響く馬橇の鈴の音が、素裸の初夜を美化する「忍ぶ川」。
 祖国に背を向ける、からゆきさんの墓に泪した「サンダカン八番娼館 望郷」。

 これらの作品を黒澤明監督は評価して居たと漏れ聞く。
 「脚本は黒澤監督が撮るつもりで書いた初稿なので、今回は熊井監督が撮りやすいように直して欲しい」。黒澤プロからの要望通りに熊井監督は撮ったと思う。

 一つは黒澤哲学への敬意だ。
 黒澤明監督は、この映画のために多くの絵コンテを残されて居た。
 
 熊井啓監督は、数々の画面構成の中に、その意志を尊重された跡が分かる。
 

 もう一つは自己哲学の主張だ。
 清水美砂の胸の透くような快演の中に、私はそれを垣間見ることが出来る。
 [私の評価]可成りの意欲ある佳作。
 2002年.日[監督]熊井啓[撮影]奥原一男[音楽]松村禎三[主な出演者]遠野凪子。清水美砂。吉岡秀隆。永瀬正敏[上映時間]1時間59分。

 昨日は好天で菜園作業に精を出した。
 背丈が伸びてきた豌豆は、紋白蝶のような白い花を咲かせていた。
 

 野菜高騰の折から順調に生育を続けるキャベツも収穫が待ち遠しい。
 

 そんな加減で映画鑑賞は無し。
 今日は過去の鑑賞記に、記事を更に追加してupしました。

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5 コメント

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こんばんは☆ (miri)
2010-04-22 20:24:30
今日の雨もお野菜たちにはちょっと心配ですネ・・・寒いから・・・でもご立派にお育ちで、素晴らしいですネ!

熊井啓監督は邦画の監督で一番好きですが、作品はあまりたくさんは見ていません。
この遺作も話題になっていましたが、未見で残念です。
私は遠藤周作が好きで「海と毒薬」(遠藤の)遺作である「深い河」を映画化された監督を尊敬しています。
大昔に「サンダカン~」は見ました。ちょっと前に「~冤罪」も見ました。他は未見だと思います。

アスカパパさんの記事はとても詳しく、黒澤監督への想いも深く感じられました。
沢山知らない事を教えてもらって、今夜も有難うございました☆
miriさん、こんにちは。 (アスカパパ)
2010-04-23 18:18:19
いつもコメントありがとうございます。
野菜は大丈夫です。

遠藤周作さんの本で、昔に読んだなかで印象に残っているのが、「死がこわい」と仰っていた言葉です。私も当時は、死に怯えている時期でしたので、こころから同感したことを思い出します。(本の名前は忘れました)
もっとも今は、大手術から生還してから、死の恐怖は不思議に消えました。今は、付録の人生と思って、人生を楽しむ心境です。
熊井啓監督は、私も好きな監督の一人ですので、思っていることを少し書いてみました。
お読み頂き有難う御座います。
こんばんは☆ (miri)
2010-09-18 23:13:58
先日やっと鑑賞するチャンスがありました。
午前0時に記事を予約投稿しています。

>それまでどう見ても房之助がお新に惚れていると思わせる描写をしていることなのだ

この件ですが、私が思うに、房乃助は「偽善者」なので、自分が、お新に、最初は感謝していて、それ以降は、上から目線で、可哀そうな女郎に演説をぶっただけだと思います。(身体のケガレどうこうの話は、いわゆるキレイ事であって、自分には関係なく、友だち気分で、演説をぶっただけでは? )

そして一事が万事、自分しか見えない房乃助と、やはり別の意味で自分しか見えないお新が、勘違いの平行線を歩いて・・・

鑑賞後に見直しましたが、やはりお新と房乃助には、そういう場面の描写はないので、岡場所に来て変ですが、お金だけ渡して、おしゃべりだけしていたのではないでしょうか? そんな風に思う私がおかしいのでしょうか???

あと、私は主演は、清水美砂だと思っています。黒澤監督は原田美枝子と宮沢りえで考えていらしたようですが、時間が経って、この二人になって、かえって良かったのかもしれませんね~!
追伸☆ (miri)
2010-09-18 23:16:07
お誕生日が、ものすご~く近いので~ビックリしています☆
miriさん、こんにちは。 (アスカパパ)
2010-09-19 12:00:36
>鑑賞後に見直しましたが、やはりお新と房乃助には、そういう場面の描写はないので、岡場所に来て変ですが、お金だけ渡して、おしゃべりだけしていたのではないでしょうか? そんな風に思う私がおかしいのでしょうか???

いえいえ決してmiriさんはおかしくありません。寧ろおかしいのは私かもしれません。なんとならば、miriさんは観賞後に見直しされています。私は映画館で、ただ一度だけ観ただけです。

鑑賞の深さから言えば、miriさんが上です。私も機会があれば再見したいです。その結果、また違った所感を得るかもしれません。

ま、そういうことですが、何時もの口癖ですみません。それをどう取ろうと、各人の特権ですから、自分の心に素直であれば、そうあってもいいと思います。

>追伸☆

えっ、そうなんですか!。私もちょっとした驚きです。

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