アスカ・スタジオ

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ここに泉あり

2007-10-10 20:37:31 |  映画(ク~コ)
 太平洋戦争終戦直後に、群馬県高崎市に市民オーケストラが誕生しました。物資は貧しくても心は豊かにと、児童や勤労者に音楽をとの理想を掲げて。だが団員の生活は苦しく、主催者の井田は苦心の連続でした。
 音楽学校出のピアニストかの子と、東京からのヴァイオリニスト速水は、励まし合い演奏技能の衰えと闘います。が、そのうち楽器を質に入れる団員や、脱退者さえ出てきます。そんな労苦を吹き飛ばすのは、山奥の鉱山や小学校、療養所の慰問に喜ぶ人々の顔でした。

 ちんどん屋になり「♪~ボタンとリボンでバッテンボー」を奏でる工藤の姿が印象に残ります。井田は東京から山田耕筰指揮の交響楽団を招いて合同演奏会を開きます。だが、腕の差異は如何ともし難いものでした。落胆する団員の悲しそうな顔、顔。

 2年の歳月が流れます。旅の途中、当地に立ち寄った山田耕筰は、上達した楽員の姿を垣間見ます。夫、速水との子を背に巡回演奏の道を歩むかの子の背が爽やかでした。群馬交響楽団創世期のエピソードを描いた、素朴な感動が脈打つ映画でした。

 今年セリーグ優勝を果たした巨人の原監督は、苦難の時にモーツァルトを聴き大きな力を得たということです。クラシック音楽の眼に見えぬパワーを感じ取れた映画でもありました。
 また前年(54)の日本映画界は、日本中が泣いた『二十四の瞳』と、日本中が湧いた『七人の侍』に興奮した年でしたが、その反動かこの年は、『浮雲』『夫婦善哉』『野菊の如き君なりき』、『女中ツ子』や、この映画など、しっとり落ち着いた映画に心した年でもあったなぁと、思い起こされます。

 1955年.日(松竹)[監督]今井正。[撮影]中尾駿一郎。[音楽]団伊玖磨。主な出演者と(役名)岡田英次(速水明)。岸恵子(佐川かの子)。小林桂樹(井田亀夫)。[上映時間]18巻[私の評価]78点

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4 コメント

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アスカパパへ (kju96)
2007-10-11 19:09:57
1955年の映画は素晴らしい映画ばかりですね。
日本の映画人も素晴らしい映画人がいますね。
何故、映画が廃れていったのか解りません。
名作ばかり、感動しますね。
稲垣浩の宮本武蔵もこの年ではないでしょうか。
「♪~ボタンとリボンでバッテンボー」
リアルタイムでは有りませんが・・懐かしいです。
いえ羨ましい限りです。
kju96さん、こんばんは。 (アスカパパ)
2007-10-11 21:46:06
監督を眺めてみても、
「豆腐屋は豆腐しか作れない」と反論した小津、
「フィルムを切るなら縦に切れ」と怒った黒澤、
そのほか、成瀬、溝口、木下、今井、市川・・キラ星の如く居並ぶ錚々たる顔ぶれでしたね。
正に映画の黄金時代でした。
テレビの出現が原因といっても、あんなに簡単に衰退したのには私も不思議でした。

稲垣浩の宮本武蔵も1954年でしたね。三船敏郎の武蔵、ぴったりでした。
ボタンとリボン、ほんとうに懐かしいです。
バッテンボー (たそがれ)
2007-10-15 22:05:28
 ボプ・ホープやダイナ・ショアのCDがありますが、やはり「バッテンボー」に聞こえたのですね。
 私がまさ中学生のころでした。
Re:バッテンボー (アスカパパ)
2007-10-16 13:27:28
あれって確か、「バッセンボー」だったですね?。
でも不思議に「バッテンボー」と聞こえましたね。
ああ懐かしいですね。

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