アスカ・スタジオ

2011/9/1以降の映画記事は「八十路STUDIO」=(同一人管理blog)とリンクしました。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

ならず者

2005-09-07 07:56:34 |  映画ナ行
 私が映画に興味を持ち始めた頃「続馬喰一代」という、同じ東宝映画があった。それも山で生活する素朴な人々を画いていた。いま当時の批評文を読んでみるとこう書いてある。【内容省略】この「ならず者」もそれと同等五列といえる。しかし私の映画評は4年たった今は進歩していると自負できる。今ならあの映画評をこう書くだろう。

 【新聞の映画評は余りよく書いていない。だいたい映画評というのはけなす方が多いのだから、こんな平凡な作品ならば、あしらうが如くに書く方が多い。私はそんなことはしないし、又そんな資格もない。「市川猿之助について堅い堅い。もっと滑稽味を出せ云々。」とあるが、自分はそこまで演技を見る目が備わっていない。自然美は割合よく写している。私としては水準作と見る】

 横道に滑りすぎたが、この作品、本当のところは自分は見る気は毛頭無かった。しかし今ある理由から「男」を非常に意識しているので、男臭い匂いがぷんぷんした此の映画を見たのだ。それに僕は三船敏郎のあの男の中の男ぶりにたまらない魅力を覚える。自分はW的要素が多い。だからM100%の彼の如くなりたいという意識がこうさすのだろう。

 また横道に入ってしまった。ここから本当の批評文を書く。結論から言うならば娯楽作として水準の出来だ。山に住み山に生きる素朴な男達の生活。そしてその中にある女達の有様を織り交ぜて、生きる姿の尊さもある程度表現している。

 特にこの作品で印象に残ったのは、寛治(三船)と岡田茉莉子のラブシーンだ。私は元来涙脆い方だが、このキスシーンでこみ上げた。実際こんな感動は初めてだった。私は直後にその原因を考えた。勿論岡田茉莉子の好演もあったろうが、最大の原因は愛というものに対する心理の表現が巧かったからだ。

 凡百の恋愛映画はあまりにも愛の表現がお粗末すぎる。私は此の映画はこの二人(そして志村と清川の愛情のつながり描写も)よく出していたと思う。そこらが娯楽作として水準とはっきり言える根拠だろう。

 雑感.スクリーン誌7月号の津村秀夫氏-荻昌弘氏の「映画評ということ」という題名の対談を読んだ。自分の未熟さにほとほとあきれ果てた。いっかど中堅映画批評家の如き態度で筆を執ったこともあるようだ。あの文章にある如く、自分はまだふらふらしていて、津村氏の影響を非常に受けている。

 自分の生活体験から出た、自分自身の個性ある批評を書くように努めてはいるが、更に進歩させねばならない。【1956年5月22日観賞記そのままコピー(文中に今は故人の方も居られます)】
コメント   この記事についてブログを書く
« 理由なき反抗 | トップ | カラコルム »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。