アスカ・スタジオ

2011/9/1以降の映画記事は「八十路STUDIO」=(同一人管理blog)とリンクしました。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

奇跡が起こった。

2012-08-29 21:13:34 | ■読書・自由記述
この二つ下の記事、
(註)
タイトル=当家排水口の蓋に…
登校日 =2012-07-19 10:19:
の記事。

で書いた胡瓜が、その後も生育を続けた。
毎日、当家の前を歩く人の中にも「楽しみ」と仰って居られた方もあった。
が、「このままでは持たない」と判断して、家庭菜園に移植した。
それが今朝、画像のように生育したので、収穫。夕食の食卓にのぼった。
奇跡は起こる。
コメント (6)

なら燈火会

2012-08-15 09:26:09 | ■読書・自由記述
 鬱陶しい豪雨もやっと一息ついてくれた昨夕、お盆恒例の行事を行う。最近は先祖を拝む鐘を突く音が本当に少なくなった。
 最近富みに変貌の加速度を強める平成の御代に、一脈の侘びしさが胸を覆う。
 それにしても毎年思うことだが、ご詠歌の旋律は哀歓に満ちている。「短調かな?」と言うと、四国から帰省していた長女が「そういうことではなくて、ファ.シ抜きの音楽よ」と言いながら、そばにあった広告の裏に、さっと楽譜を書いた。

   

 なるほど、faとsiが無い。そういえば、沖縄の音楽も5音階だったなぁ。7音階の音楽に比べると、独特の響きになる訳だ。
 夜の帷が降りる。ひとときの涼を求め、標記の行事の散策に出かけた。
 10日間に亘る恒例の夏の行事も丁度昨夜で終わり。奈良公園一帯は、ひとときの涼と情緒を求める人々で賑わっていた。
 終戦67年目の今夜は、これまた恒例の戦死者の霊を慰める高円山大文字がある。濡れきった山肌に火は灯るだろうか。
コメント

愛犬の死

2012-08-04 16:54:14 | ■読書・自由記述
 ハナとの付き合いは2002年1月1日から始まった。
 今年に入り健康状態優れず。
 一時は安楽死も脳裏を過ぎる。どうしても実行出来ず。
 愛と看護の甲斐無く、遂に今日未明永眠した。

 懇ろに弔い終える。
 妻の対処と行動に感謝。
 10年8ヶ月と4日間の思い出が、走馬燈の様に脳裏を走り、万感胸に迫る。
 犬であるハナから、人間である私が教えられたことが一つある。
 それがたとえどんなに苦しくても、与えられた命を精一杯生きよ。と。
 特にフィラリア病に苦しんだ今年に。よく頑張った。

 偉い。そして、寂しい。
 捨て犬だっただけに、余計に愛しい。
  ハナよ。
 安らかに眠れ。
 藪の中で括られていた貴女を救ってくれた次女の居る天国で。

 (遺影は2012/1/19撮影)

8/5追記
 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」という映画があったが、犬を飼っていると、その逆を見て居る様だった。
 人の1年は犬の6年とか。私よりずつと若かったハナが、私を追い越して老けていった。

 もう、犬は飼わない。
コメント

当家排水口の蓋に…

2012-07-19 10:19:36 | ■読書・自由記述
変な緑化地帯を見つけた。まるで砂漠のオアシス!。
よく見ると、何と、それは、胡瓜だった。
  
 もしかして、食べられるまで成長するかな?。(無理無理)

家庭菜園で昨日収穫した西瓜。これは食べられる。
体重計に乗せたら、5.6㎏あったもの。(画面は逆さまにしました)
  
コメント (2)

吉田秀和さんを偲んで

2012-05-31 15:39:33 | ■読書・自由記述
 吉田秀和さんが98才の天寿を全うされたとの訃報が伝えられてより、追悼記事が各所で報じられて居る。何を今更の感もあるが、一音楽マニアとして、一言だけお悔やみの言葉を捧げたい。
 映画とクラシック音楽が趣味の私。そのそれぞれに、人知れず薫陶を受けている人物が居る。前者は、今は亡き映画評論家、津村秀夫氏。後者が吉田秀和氏である。
 お二人に共通するのは、一素人の私にも入り込み易くて、親しみを覚えるその文章表現にある。ともすれば、専門用語や外国語を多用した文体に接することが多いのがこの分野である。
 そんな中で、実るほど頭を垂れる稲穂のような文章は、その人柄が偲ばれた。吉田秀和さんには、つい最近まで、購読紙の文芸欄で接していた。その若々しさは、これまた100才の天寿を全うされた映画監督、新藤兼人さんとも共通する。
 吉田秀和さんが書かれる音楽評論を拝読するたびに、書かれたその音楽を直ぐにでも聴いてみたい衝動に、よく駆られたものだ。もうそのお言葉は聞けない。でも今迄語られた数々の言葉は、折りに触れ思い起こすことと思う。
 衷心よりご冥福をお祈り致します。
コメント

氾濫するSNSに思う。

2012-04-17 12:00:18 | ■読書・自由記述
 映画「ソーシャル・ネットワーク」を観るまで、フェイスブックなるものの知識は皆無だった。「でもその基礎知識だけは知りたい」という思いだけは募っていた。SNSは他にもmixiとか、GREEーとか、Mobageとか、あるようだが。
 この心理は、ツィッターの時と同じ。要は時代の潮流に乗り遅れたくないという心理が、何時も私の心の中を支配し、渦巻いているからだろう。
 ということで、最も簡易と思われる一冊を買った。お陰で概要は分かった。でも綺麗な光を放つ月の裏側はそう簡単に見られぬように、その裏に潜んで居るかも知れぬ何物か迄は知り得ぬ感あり。
 もちろん、参加する意志はない。ブログだけで精一杯なのに。ツィッターも今は欠伸をしている現状である。それにしても目線をちょっぴり変えて見れば、困ったSNSの氾濫時代ではある。
 そういえば、ケータイも未だスマホに替えていない。一時騒がれた社会的アクシデントは、今のところ影を潜めている模様だが。とにかく、孫のスマホを触ってみて実態は分かった。こちらのほうも、私の老いた眼には無理な気もしている。
コメント (2)

花と人生

2012-04-16 19:42:43 | ■読書・自由記述
昨日は地元の護国神社で戦没者追悼式があったので参詣、参道入口の桜が見事だった。


境内には垂れ桜も咲いていた。一つしかない人生を國に捧げた戦没者の霊を慰めるかのように。

下の画像は数日前歯科通院の帰途に咲いていた紅さくら。


境内には椿も咲いていた。中でも五色の椿が眼を惹いた。


当家の坪庭の単色の椿もシンプルでいいけど。


哀しい花もある。先日「一周忌過ぎても忘れられることはないでしょうけど」と、勿忘草を頂いた。あまりにも短かった娘の人生を思う時、簡単に忘れられるものではない。だけど、優しい心根で人生を過ごしておられる頂いた方に感謝の念が湧く。


人生は儚い。ついこの間、亡き娘の一周忌に参って頂いた義兄が先日82年の人生を閉じた。彼の人生を偲ぶ白花は本当に寂しい。


でもそれらを乗り越え、前を向いて歩まねばならぬ。自分に与えられた人生を。花は赤が好きだ。坪庭に咲く木瓜の花も。


黄色も佳いなぁ。家庭菜園の野菜も黄色い菜の花を付けだした。

様々の人生を書かれた司馬遼太郎さんも菜の花が好きだったなぁ。
コメント

映画を読む

2012-03-18 11:45:11 | ■読書・自由記述
 歯科通いの帰途、本屋に立ち寄る癖がついてしまった。中に入ると自然に足が向いてしまうのが、映画と銘打つコーナーの棚。
 最近は、DVD入りの本も多くなってきている。小津安二郎のセクションで、未見の「お早よう」を見つけた。「これは次回に延ばそうかな?」と思案錯誤中、ふと傍らで眼に入ったのがトップ画像の著書だった。
 私は1950年代初期は洋画党だった。従って愛読雑誌は「SCREEN」。双葉十三郎さんの「ぼくの採点表」は極めて個性的で印象深かったが、荻昌弘さんの映画批評は近代的な匂いがした。
 著書は、その中からピックアップして纏めている。懐かしい匂いが満ち足りる中で、薫り高い文体を味わいつつ今読んでいる。
 フェデリコ・フェリーニの「道」と、ロベール・ブレッソンの「抵抗」に共通点を見出し、人間讃歌を謳った文章など、映画批評を文学の域にまで昇華せしめたような趣がある。
 かってのテレビ番組「月曜ロードショー」での解説も印象深い。62才の若さで夭折されてから四半世紀経つ。合掌。
コメント (2)

少しばかり、宗教がわかり世界も見えた。

2012-03-11 16:59:00 | ■読書・自由記述
 三年半前に「坂の上の雲」を読んだ時に、既に小さい活字が見辛かった。白内障が進んでいた。先月末に入院両眼手術。退院の際主治医より「三ヶ月は症状が不安定だから酷使は避けるよう」と注意あり。それは守っている。が、再び読書が可能になった。この喜び。それは47歳の時に右眼網膜剥離手術成功の瞬間と同じ。

 一昨日は通院中断していた歯科で1本抜歯。八十路は辛い。納まっていた右腿の痛みが再発。こんな時意識するは死。連鎖して興味が湧くもの。それは若かりし頃人一倍無関心だった宗教。帰途に買った「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」を読み終えた。

 著者はかってテレビの子供ニュースでお父さん役だった。非常に分かり易い話は、恥ずかしくて今さら人に聴けないこともあった私は秘かに愛聴していた。この著書も世界の主な宗教について、私が知り得なかった多くの事柄を簡明に教えてくれた。

 最大の収穫は、死を思う事は余生を如何に生きるかに通じるということ。同じような意味を書いた記事を読んだ事もあったっけ。結論はこれに尽きる。これからは残りの人生を設計したい。たとえそれが計画通りに終わらずとも悔いなし。

 今日14時46分。東日本大震災犠牲者の御霊に私も黙祷を捧げる。次いで私事で恐縮ながら、同じ一周忌を迎えた次女の霊にも。一仏教徒として。庭の沈丁花が春近しを告げている。
コメント (4)

友あり遠方より便り来たる

2012-01-05 10:06:35 | ■読書・自由記述
昨年末に新年の挨拶を失礼する旨の葉書を出していたにね拘わらず、年賀状が2通届いた。
だがその内の1通に心の温もりを覚えた。
新年を祝う冒頭の文に貼り紙し、「思いと近況としてお受けとり願います」とあったからだ。
東北出身の友からだった。
喜びも悲しみも幾歳月。悲しみは乗り越えて此の世に生ある限りお互いに頑張りたい。
コメント (2)

伊予松山から伊予柑と共に、

2011-12-31 17:24:03 | ■読書・自由記述
はじき豆が届いた。
「秋山さんが好きだった豆」と、長女の添え書きが。
 改めて3年に亘った名作が偲ばれる。

 名作の出だしは名文句と相場が決まっている。
 「まことに小さな国が、……」で始まる「坂の上の雲」、
 それは原作もドラマも同じだった。

2009年(第1部)=①少年の国。②青雲。③国家鳴動。④日清開戦。⑤留学生。
 若き血潮が鳴動していた。青春は心の若さであるが、肉体の若さも伴っている時代がやはりいちばん素晴らしい。

2010年(第2部)=⑥日英同盟。⑦子規逝く。⑧日露開戦。⑨広瀬死す。
 子規そして広瀬。青雲の志半ばにして逝った二人…。痛恨の極みであった。、

2011年(第3部)=⑩旅順。⑪二〇三高地。⑫敵艦見ゆ。⑬日本海海戦。
 剛胆な兄。切れる弟。まことに素晴らしい秋山兄弟であった。
 3年間、ありがとう。

 そして、小包の片隅に、手製のお地蔵さんを添えてくれた孫よ、ありがとう。
 その心をじいちゃんはわかるよ。

 311東日本大震災で犠牲になられた御霊よ安らかに。
 被災された方々、月並みな言葉で済みません。がんばりましょう。
コメント (2)

後には退けぬが…

2011-12-24 15:03:00 | ■読書・自由記述
上の画像の本は私の愛読書だが、再読している。
いざとなって、創作はなかなか難しいと実感するから。

①書くための必要な材料集め。→ある程度は集めたが、不充分な気もする。
②書く前に徹底的に考えたか?。→不充分である。「書く時間より考える時間の方を多くせよ」とある。もう少し考える時間を増やそう。
③その結果、考えが纏まったとしても、まだ書けない。話を組み立てる作業が必要だから。設計図なしで家は建たない。

書きながら、進めていこうと思っていた私の考えは甘かった。
ということで、最低今年いっぱいは、上述の時間に費やそうと思っている。
反省。実践を伴わない前口上はしてはならぬ。(汗)
コメント (2)

創作への誘惑

2011-12-22 20:23:17 | ■読書・自由記述
 全く素人の文書好きに過ぎぬ私に、創作なんて烏滸がましいとも思う。
 でもそれを言ってしまえば実も蓋もない。恥の上塗りをするようなものかもしれないが、急に下手くそな文章を書いてみたい衝動が襲ってきた。
 盗作は恥ずべき最たる行為だが、創作は例えそれが極めて貧弱な内容のものであったとしても、決して恥ずべきことでは無い。途中で挫折するかもしれぬが、続けられるところまで、試行錯誤しながら何か綴ってみたい。

 小学生の頃、綴り方という科目があった。作文のことである。誠に差し出がましい事ながら、トップ画像は、恥ずかしながら私の通知簿の一部分である。自分の事で甚だきまりが悪いが。作文は好きな方だった。
 然し乍ら今までに創作らしきものゝ体験と云えば、パソコン通信時代に、リレー小説のメンバーに参加して書いたフィクションが3回。ほかには、ショートショートが1回。ノンフィクションが3回の経験あるのみ。

 その乏しい体験の中からではあるが、フィクションの難しさを自分なりに痛烈に経験している。僅か一行の文節を綴るのに、一冊の本を買って読んだりしたものだ。
 リレー小説などは、スポーツでいう駅伝リレーと同じ。共同制作の一員という責任観念が発生する。そう長くもない一遍のストーリーを纏め上げるのに約一か月掛かった。

 それに比べると、ノンフィクションは比較的に滑らかに筆が動くように思う。心に写り行く思い出の侭に、無心に筆先を運ぶからであろうか。
 何れにせよ、そう簡単に書けるものではない。例え少しづつでも、私の心から魂へ、リレーのバトンタッチをするようなつもりで、フィクションの練習をしてみようと思う。以下、次回。
コメント (4)

坂の上の雲

2011-12-07 11:27:46 | ■読書・自由記述
 週に一回の放映なら3ヶ月で終わっていた番組を、何故か、2009年から3年間に亘って放映した「坂の上の雲」が来週で終えようとしている。久石譲の音楽が、司馬文学とものの見事に解け合って居て、涙が零れるほど素晴らしい。原作は、2年前の放映前に予め読んで於いた。(新書版=トップ画像)
 もし司馬さんがもう少し早く生まれて居られたら、歴史が変わったかも知れないと言えば過言だろうか。そのような思いを所々で感じた本著だった。読ませるパワーは凄い。さすが司馬さんが10年の歳月をかけて創られた本著である。重厚な中に確固たる司馬哲学を垣間見た。
 ドラマは、原作の思想を可成り忠実に、且つ簡潔に表現している。近頃、希に見るテレビドラマの秀作である。なお、原作各巻の感想を要約すれば次の通り。
(一)
 真之の人間性に魅入る。七、八歳頃の短歌には腹を抱えて大笑いした。鉄砲撃ちの名人ぶりにも唸る。学生時代、予想していた問題が出題されると「鉄砲が当たった」と大喜びしたものだが、私など彼の比ではない。
(二)
 第三国の軍人が観戦の目的で戦闘国の艦船に乗船出来たのだ。、青天の霹靂。各国の性格を浮き彫りにさせた章(列強)が、興味深かった。
(三)
 子規、早くも逝く。寂しい。代わって、明治立志伝の人物が浮かび上がる。西郷従道。山本権兵衛。東郷平八郎。等々。外国人では、ウィッテ。マカロフ。等々。
 明治という時代だからこそ、多くの偉人が傑出したと思う。理論と現実の調和に生きた伊藤博文も印象深い。
 「坂の上の雲」はあくまでも小説である。作者の考えが出るのは当然。それは登場人物にも反映する。兵の死を好まぬ東郷。昭和の特攻に通じる乃木。広瀬中佐の人間味。ドラマでは、彼の遺骸をロシア軍が葬るシーンにジーンと来た。
(四)
 徳川300年の「民は倚らしむべし」の思想が、明治の技術軽視、惹いては兵の血で補うという思想に繋がったと説く。司令本部は前線に据えず。敵に察知されている26日を攻撃日に選ぶ伊地知幸介参謀長は確かに無能。そんな部下を叱責もせず、無益の攻撃を繰り返す乃木。司馬論の心髄を見た感あり。

(五)
 6年前久方ぶりに訪れた江の島で、道端に発見してシャッターを切ったのが上の画像。乃木希典大将に華を持たせた兒玉源太郎大将らしい社だった。参謀は頭の良否に非ず、心の良否。not智恵 but気合。と。.兒玉の偉大さが分かる。
 吉田松陰の叔父に、松陰と共に薫陶を受けたという乃木の少年期が興味深い。乃木は軍人よりも文人に向いていたと思う。武人として必ずしも適格ではなかったかもしれない。しかし人間として立派だった。ステッセルの死刑を食い止めたのは彼ではないか。彼に抱いていた偶像は落ちなかった。ホッとする。
(六)
 二、三流人物に絶対権力を持たせるのが専制国家。と唱える著者の定義は見事の一語。現に今なお後絶たず。セオドラ・ルーズヴェルト大統領の「専制国家は滅びる」も当を得る。
 装甲弾の話が興味深かった。子供の頃に家で見た円錐形の砲丸を思い出す。此の項でトンガリ帽子と喚ぶ風帽に似ていた。砲兵だった祖父が退役記念に持ち帰ったと聞いた。。いつ何処へ行ったのか?。捜してみたい。
 毛布も用いず眠る乃木将軍に敬意。何時までも配下に恵まれぬ乃木大将に同情の念湧く。
 体験から「侵略戦争は勝つのが難しい」と言い放つ観戦武官ハミルトン少将の言葉に同感。ナチス・ドイツ。昭和・日本。侵略では無いが、ヴェトナム戦争の米国。
 奥座敷の東京で立案する鴨緑江軍。兒玉大将の怒りに同感。
(七)
 後に元帥の称号を贈られた多くの大将も登場してくる。乃木大将には贈られなかったのは本著を読めば分からぬこともない。が、兒玉大将や、黒木第一軍将軍にも贈られていない。多くの皇族には贈られている。叙勲という怪物の基準は何か。
 銃剣突撃が型の日本。太平洋戦争まで続いた。手続き無しで意見具申が出来た日本海軍。そうでなかった日本陸軍。
(八)
 「敵艦見ゆ」を発信した信濃丸が、その後50年間も働いていたのに感動。まるで人間。
 明治の軍人の多くに人間味が読み取れる。昭和の指導的立場に在る軍人の多くはそれが薄れていった。
 人生観が変貌する真之を注目しつつ読む。
 当時は武士の情けがあったのに感銘。上村、島村両司令官が印象的。戦争は勝っても負けても空しさが残る。無常観をもって全八巻を読み終えた。
 真之と好古の最期の言葉に涙が溢れ出る。感無量なり。
--------------------------
その後、司馬さんの著書「殉死」を読む。
 |乃木さんが戦闘指導者として適切でなかったことは理解できた。でも乃木さんを嫌いになるまでは至らなかった。
 「坂の上の雲」の(あとがき集)の中で、司馬さんは「乃木神社の存在が気になる云々」の発言をして居られる。乃木個人ではなく、神社を造った背景の権威権力体制を批判して居られるのだと私は思う。
コメント (4)   トラックバック (1)

本年あの日

2011-11-29 10:26:10 | ■読書・自由記述
自宅を出た私は、7時17分に近鉄某駅改札をIC乗車券で入り、目的地の駅まで乗車。
目的を果たした私は、目的地の駅を14時13分に乗車し、帰宅した。
14時46分に発生した東日本大震災は、この乗車中に発生した。
帰宅すると、妻から電話「地震が起こったよと声をかけても次女は反応がない」。
その夜、遅く。再び妻から電話。「次女の容態がおかしい」。
タクシーを飛ばして駆けつけた時には、次女は息を引き取っていた。
告別式での挨拶は、東日本大震災で犠牲になられた方々への弔意も併せ述べた。
2011年3月11日は、公私ともに忘れられぬ日となった。
先日出した喪中葉書が届いたようだ。
弔意の電話を頂く今日この頃である。
ということですので、ネットでも来年の年頭のご挨拶はご遠慮申し上げます。
コメント