アスカ・スタジオ

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NINE

2011-07-12 18:14:58 |  映画ナ行

 八十路老人の早朝散歩を人はどう捕るか。健康に良い。危険を孕む。例えが悪いが、映画も同じ。生き方を見るか。芸術を見るか。
 演出、演技、脚本、撮影、音楽など、映画的には優れていても、道徳感、社会性、人間性、論理面など、内容的にどうか?と思われる作品が、最近は多くなったと感じて居る。

 一例が先日観た「告白」。先日久し振りに映画館で観た「八日目の蝉」にしても、がむしゃらに自己を正当化する主人公には疑問符がついた。外国映画でも「息もできない」がその範疇か。それでも未見の「悪人」を観たい自分なのだが…。

 ついつい前置きが長くなってしまったが、要はこの映画も前述の例に漏れないと言うことを言いたかったのである。どだい2009年の時代感覚で「8 1/2」が作られた1965年のローマを撮る事自体に無理を感じる。

 “性革命”の名の基に、これでもか、これでもかと繰り広げられるミュージカルには興醒めして終った。
 「幸福とは誰も傷つけずに、真実を言うことだ」と、結論を導き出して、自分を取り巻く人々の輪の中に入っていく「8 1/2」のグイド氏が泣いていやしないだろうか?。

 [私の評価]凡作。
 2009年(10公開)(2011/7/8TV録画観賞=初見).米[監督]ロブ・マーシャル[撮影]ディオン・ビーブ[音楽]モーリー・イェストン/アンドレア・グエラ[主な出演者]ダニエル・デイ=ルイス。マリオン・コティヤール。ペネロペ・クルス。ニコール・キッドマン。ソフィア・ローレン[原題]NINE[上映時間]1時間58分。

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人間失格

2011-06-23 17:12:51 |  映画ナ行

 「生まれて済みません」大庭葉藏が三回も発したこの台詞。これこそ此の映画のキー・ポイント。それは此の後此の世に「グッド・バイ」した原作者太宰治に通じる言葉かもしれない。

 シューベルトの「アヴェ・マリア」が流れる蓄音器の喇叭管。この辺りの時代考証は確か。紙風船や卓袱台なども…。
 テーブルに置かれたセピア色の写真。十数人の若い女性に囲まれた前列中央に美男子の少年。写真がカラーに変わる。や、突如。写真から飛び出す少年。
 「今日は坊ちゃんの誕生日」と声かけられて乗った馬車。白馬の蹄は音高く。といった調子で進行していく。

 少年の名は大庭葉藏。跳び箱競技を態と失敗するような少年時代だった。その魂胆を見抜いた級友は暗示する。「女に好かれ、絵描きになる」と。
 マインド・コントロールは怖ろしいと認識を新たにする。やがて上京。画塾へ。5円を3回与える事になる堀木正雄との出逢いが、バーのマダム。飲み屋の芸者。下宿先の娘と、女性遍歴の切っ掛けとなる。

 カフェの女給、常子との心中未遂シークェンスに至り、この映画の監督が「赤目四十八瀧心中未遂」(2003年)も撮っていたと思い出した。
 そういえば、この映画に出演している寺島しのぶや大楠道代も出ていたなぁ。
 両作品に共通するのは、暗~い雰囲気である。

 数々の女性との出逢いは運命と呼ぶべきか。宿命と唱えるべきか。事件後も、子を持つ記者。煙草点のの娘。と…。
 兄大庭しんぞうの行動から「生まれて済みません」の意味を私は悟るに到る。
 1941年12月8日。早朝のラジオニュースは日米開戦を告げていた。写ったラジオは、当時当家にあったラジオと同型のラジオだった。嗚呼思い出すあの日よ。

 [私の評価]可成りの意欲ある佳作。
 2009年(10公開)(2011/6/20TV録画観賞=初見).日(角川)[監督]荒戸源次郎[撮影]浜田毅[音楽]中島ノブユキ[主な出演者]生田斗真。伊勢谷友介。寺島しのぶ。石原さとみ。三田佳子。大楠道代。森田剛。坂井真紀。小池栄子[上映時間]2時間14分。
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 梅雨の晴れ間に菜園に行く。長雨の影響著し。
 帰宅を玄関の鬼百合が迎えてくれた。

 

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南部の人

2011-01-15 20:52:55 |  映画ナ行
 国民学校の生徒だった戦時中、校庭を耕し畑にした。棉の木も植えた。そんな訳で、冒頭の綿摘み風景が懐かしかった。
 終戦の翌年、陸続と入って来たアメリカ映画を貪り観た。思い出すままに、「キューリー夫人」「エイブ・リンカーン」「我が道を往く」「ラインの監視」「幽霊紐育を歩く」等々。
 「運命の饗宴」と「肉体と幻想」も、お粗末な造りの映画館で観た。ジュリアン・デュヴィヴィエが、ジャン・ルノワールと同じように、アメリカで撮った作品だったが、当時の私には難しい映画だった。

 「南部の人」だけ見逃していた。この映画を、もし、リアルタイムで観ていたなら「おや、アメリカも同じことをしていたのか」と思っただろう綿摘み風景だった。
 テーマは“大自然に生きる”ではないだろうか?。愛読したことのあるパール・バック著「大地」を思い出した。これは正にアメリカの「大地」だ。
 綿摘みの最中に叔父が死ぬ。「墓石くらい…」「余裕がないんだ」。南部の雇われ労働者サムは、借地で自ら農業を営む決心を固める。

 日捲りの9月21日が嫌に印象に残る。漏る雨を受けるバケツ。「今日は水の心配がない」と強気なサムに、やがて訪れる冬。ウェルナー・ジャンセンの音楽は佳良だが、ヴィヴァルディの♪「四季」が佳く合うかも知れないとも思った。
 鳥獣を狩り、魚を釣る。川辺の風景。その構図が絵画的なところは、ジャン・ルノワールである。
 そんな河も洪水で荒れ狂う。壊血病に罹る長男。牛乳を恵まぬ隣人デイヴァーズ。

 「神様は何故地面を作られた」嘆くサム。そんな彼の許に雌牛が来た。捨てる神在れば、拾う神在り。ハーミーの贈り物だった。
 デイヴァーズとの仲を取り持った“鉛筆”が面白い。
 

 [私の評価]郷愁を感じるような佳作。
 1945年(46公開).米[監督]ジャン・ルノワール[撮影]ルシアン・アンドリオ[音楽]ウェルナー・ジャンセン[主な出演者]ザカリー・スコット。ベティ・フィールド。J・キャロル・カイシュ。J・キャロル・カイシュ。チャールズ・ケンパー。[原題]THE SOUTHERNER[上映時間]1時間31分。
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2012

2010-11-05 08:45:31 |  映画ナ行
 自分なりに本腰を入れて映画を見続けてから凡そ60年経つ。最近その映画を観る眼に変化が現れ始めているような気がする。それは、例えそれが低レベルと思われる映画であったとしても、どんな映画にも何処かにいいところがあると思うようになったこと。また、それを発見したいような心境が芽吹いて来るような気がするのである。
 これも肉体的に老境になりつつある兆しなのか。それとも、映画を愛する気持ちがより高ぶって来たのか。
 若い頃の鑑賞記を今読み返してみる時、我ながら赤面することがある。一口に言えば、我ながら生意気なのだ。あの小津巨匠をぼろくそに貶したりしている。穴があったら入りたい。若気の至りというか。
 その代わり、いい面もあった。自由奔放、天真爛漫だった。あの気迫だけは失ってはならないと思う。生意気なことを言うようだが、精神年齢だけは、何時までもあの時の青春を維持していきたい。

      

 ということで、この映画の感想。面白かった。見応えがあった。祈りを捧げる人々の上に落下する大天井。『タイタニック』を彷彿した。
 「あなたは視野が狭く、仕事のことばかり考え、家族を無視した」一旦緩急の際に飛び出すこんな台詞にドキッとする。身に覚えがあるから。

 人類滅亡の危機に直面した時、人は如何なる心境に陥り、またどのような行動を取るのだろうか?と観客に問いつめた『ディープ・インパクト』を思い出した。
 波の高さは1500m。到達まであと28分。『ポセイドン・アドベンチャー』が一瞬浮かんでは消える。
 「信じる心を失うな」ゲート閉。エンジン起動。50m。到達まで10m。「取り舵!」。

 正直言って、パニック映画としては上述した2~3の作品や『地球の静止する日』1951年.米.ロバート・ワイズ監督作品等のレベルには達していない。
 だけど、マヤ文明の暦伝説によるロマンと、ノアの方舟を想わすような夢に充ちた物語をふんだんに盛りつけ、これだけ満足させてくれたらケチを付ける気はしなくなる。娯楽映画として一級品の仲間入りをさせたくなる。

 [私の評価]準佳作。
 2009年.米(コロンビア)[監督]ローランド・エメリッヒ[撮影]ディーン・セムラー[音楽]ハラルド・クローサー/トーマス・ワンカー[主な出演者]ジョン・キューザック。キウェテル・イジョフォー。ウディ・ハレルソン。アマンダ・ピート。ダニー・クローヴァー。キウェテル・イジョフォー[原題]2012[上映時間]2時間38分。
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野のユリ

2010-09-30 07:01:22 |  映画ナ行
 ホーマーの姓はスミスなのに、東欧系の修道女達は「シュミット」と呼ぶ。シュミットが彼女らに開く英語の時間で始まり、英語の時間で終わる物語は、野のユリのように清楚にして爽やか。
 内容は彼が彼女らの為に苦心して、教会を建てる話である。「鐘も付けるのですか」の問に「あゝいつかな」と応えるシュミット。
 「ここだけは僕にやらせてくれ」と言ったのは、トンガリ帽子の屋根に聳える十字架の基礎。まだ乾かないコンクリートに指で書いたHOMER SMITHは永久に消えない。感動のショットだ。

 

 ぶつぶつ文句ばかりだった院長が最後に放つ「ありがとう」が、淡い雪解けのように、暖かい日溜まりに木霊するようだった。
 野のユリの題意を知った。人間、何事も善意で行動すれば、人生に寂しさは無い。
 ♪Amenの素晴らしいこと!。

 [私の評価]優れた作品です。
 1963年(64公開).米(UA)[監督]ラルフ・ネルソン[撮影]アーネスト・ホーラー[音楽]ジェリー・ゴールドスミス[主な出演者]シドニー・ポワチエ。リリア・スカラ[原題]LILIES OF THE FIELD[上映時間]1時間34分。

 下の写真は9/29に撮った庭の秋海棠。

 

 野のユリまでは行かなくても清楚だ。
 黒人初のオスカーに輝いたホーマー・スミス。演技の巧緻は兎も角、清楚さを感じた。
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野火

2010-09-24 10:51:00 |  映画ナ行

 大岡昇平原作の映画化であることは周知の事実。
 画像化は文体とは異なるリアリティな世界を出現させる。

 

 累々たる死体。
 「お前達の中にはまだ生きているものもいるだろう」。
 「けど俺は助けに行かないよ」。
 「俺だって直ぐに死ぬのだ」。
 「おあいこだよ」。
 何という…言葉にならないこの言葉。

 こんな田村一等兵の台詞のあと、字幕が現れる。

 …幾日があって
  幾夜があった…。

 ただ生きているだけ。
 彷徨える幽霊のような兵士の群。
 倒木のように地に臥した前の兵の靴を剥ぎ、後の兵は、底の抜けた自分の靴と取り替える。
 後の兵が捨てた靴を拾った田村は、もう裸足になるしかなかった…。

 彼の胸中には、恐怖の余り罪もないフィリピン人の人妻を射殺した自責の念が湧く余裕も無かったろう。
 そして此の世の地獄が出現する。
 それは猿の肉では無かった…。

 遥か彼方に棚引く野火は、いま天国に召される田村の眼に、平安の烽火に見えたに違いない。

 合掌。

 [私の評価]紛れもない秀作。
 1959年.日(大映)[監督]市川崑[撮影]小林節雄[音楽]芥川也寸志[主な出演者]船越英二。ミッキー・カーティス。滝沢修[上映時間]1時間45分。

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人間

2010-07-30 15:37:44 |  映画ナ行

 HDDに録画して置いた映画を、昨日は2本鑑賞した。1本は「新・夫婦善哉」。名優、森繁久彌の名を高めた「夫婦善哉」の続編だ。だけど、47年の歳月は作品を風化させていた。「月蒼くして」がそうであるように。
 ところが、この「人間」は、48年前の映画に拘わらず、今観ても、素晴らしかった。真に良い映画は時を選ばない。人間というものについて、いろいろなことを復習させられる思いだった。

①極限状態に陥った時、人間はどの様に変化するか。
②意志の強弱により、行動に差が出る事。
③強い意志は、何かを信ずる源から生じる事。
④如何なる事態になっても、希望は絶対に捨ててはならない事。
⑤どんな人間にも良心があるという事。
⑥罪は罰を受ける。
等を、緊迫感と、臨場感の中で学んだ。

 舞台は、小さな荷役船の中のみ。主登場人物は4人のみ。船長の亀五郎。甥の三吉、船頭の八蔵。海女の五郎助。である。
 嵐による機関破損。始まる漂流。僅かの米と野菜と味噌と水が残った。

 

 粥か飯かで揉めた米が、8日目に無くなる。水を船内の神棚に捧げた夜、船長は夢を見る。翌日、お告げ通りの豪雨。水だけは確保する。
 24日目。船長は、八蔵の要求を呑み、残った里芋約20個。大根2本。沢庵1本。微量の味噌を4等分する。
 直ちに食い尽くして終う八蔵と五郎助の気持ちも解らぬではない。私も手術後約2週間、点滴のみで過ごした時、食事の夢ばかり見たもの。

 30日目。八蔵は三吉を食べようと企てる。いろいろあって、水葬される三吉。
 船長が今度は、船に救われる夢を見る。翌朝は59日目。金比羅さんのお告げが実現した。
 だが…。大島が見えた時、五郎助は狂い、下甲板へ…。やっと横浜に着いた時、八蔵が自殺。
 神の裁判は厳正だった。

 [私の評価]これぞ秀作。
 1962年.日(ATG)[監督]新藤兼人[撮影]黒田清巳[音楽]林光[主な出演者]殿山泰司。乙羽信子。佐藤慶。山本圭[上映時間]1時間56分。

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ナック

2010-06-14 16:26:01 |  映画ナ行
  「ビートルズがやって来る/ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の2年後に、リチャード・レスター監督が撮った‘カンヌ映画祭グランプリ映画’。というネーム・バリューに惹かれて観てしまった。
 結果は私には合わない映画だった。原題を見れば解る事だが、それは私には縁のないことだから無理もない。これは決して私が高齢だからという理由に非ず。性格的に、体質的に合わないということである。



 でも、そんな原題から想像したほどの内容でなかったのは、45年前の映画だからだろう。決して下品ではなく、軽い気分で見られる雰囲気を宿していた。
 シャーロット・ランプリングのデビュー作だと後で知る。途中で眠気を催したからだろう。何処で出ていたのも分からなかった。ほんの脇役だったのだろう。「さらば愛しき女よ」で、男ならクラクラして仕舞いそうな、あの妖艶的な美しさを演じる10年前の映画だったのか。

 [私の評価]凡作といえばお叱りを受けるかな?。
 1965年(66公開).英(UA)[監督]リチャード・レスター[撮影]デヴィッド・ワトキン[音楽]ジョン・バリー[主な出演者]マイケル・クロフォード。レイ・ブルックス。ドナル・ドネリー。リタ・トゥシンハム[原題]THE KNACK... AND HOW TO GET ITTHE KNACK[上映時間]1時間25分。

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肉体の冠

2010-06-04 12:01:13 |  映画ナ行
 『情婦マノン』の姉妹のような映画を思い出した。尤も主人公のラストには、生と死の差が…。
 『肉体の冠』という邦題からは官能的な匂いが漂う。だけど、この映画にはそのような雰囲気が全く無かった。情事の描写も兎に角地味。何時もの事ながら、派手なアメリカ映画とは好対照。
 この渋さは決闘の場面にも云える。フランス映画の匂いがプンプンする。若い頃の私は、どちらかと言えば、派手で華麗なアメリカ映画を好んだ。今は逆なのは、多分加齢のせいだろう。

 なんでも、主人公マリーのモデルは実在したらしい。「Casque d'Or」という原題を仏和辞典で紐解くと。「金の兜」と訳せた。マリーに扮するはシモーヌ・シニョレ。訳題に付けた“冠”は、彼女の高く結った金髪を指していたのか。

 
 
 冒頭、舟遊びを楽しむ男女が写る。ルカが率いる野郎共と情婦の集団である。舟遊びといえば、ヘンデルの「水上の音楽」が有名だが、19世紀末のパリを舞台にしたこの物語に、恰好のプロローグである。
 それにしても、この優雅な風景が、あの悲愴なモノローグで終わるとは、、。
 集団の中に一際目立つ女が居た。豊満な肉体にブロンドの髪を高く結ったマリーである。ルカもその気がある彼女にはローランという色男が居た。其処にこの映画の主人公、マンダが現れる。
 こうなると後はお決まりの一直線。ローランを刺したマンダは、マリーと束の間の情事を楽しむ。悪女ながらもマンダに惹かれていく女心をシモーヌ・シニョレは見事に演じている。

 ルカの策謀により、親友のレーモンが殺人犯として捕らまる。自首したマンダは事の真相を知り怒る。警察内での銃撃シーンは生々しい。
 マンダに待ち受けていたのはギロチンだった。
 眼から静かに湧いてきて、ゆっくりと流れ落ちて来る、マリーの生の涙には痺れるような身震いを覚えた。
 

 彼女を取り巻く何人の男が逝ったことだろう。
 『情婦マノン』に続く、情婦の純愛物語は終わる。
 この年「輪舞」にも顔を見せて呉れたシモーヌ・シニョレは、その後1954年には、マルセル・カルネ監督「嘆きのテレーズ」で、リヨンに住む生地店の主婦テレーズを。
 翌1955年には、「情婦マノン」や「恐怖の報酬」に続いてメガホンを執ったアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督「悪魔のような女」では、類稀無き悪女を演じるに到る。
 フランス映画名女優の一角を占めるに到る曾地を伺わせるに足る、十二分の存在感であった。

 [私の評価]紛れもない秀作。
 1951年(53公開).仏[監督]ジャック・ベッケル[撮影]ロベール・ルフェーヴル[音楽]ジョルジュ・ヴァン・パリス[主な出演者]シモーヌ・シニョレ。セルジュ・レジアニ。クロード・ドーファン[原題]CASQUE D'OR[上映時間]1時間38分。

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ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア

2010-03-18 14:13:06 |  映画ナ行
 絶望の淵に立たされた癌患者の行動を描く。この種の映画は他にも少なからず観て来た。それらの作品を、次のようなテーマ別に分類出来ないだろうか。

①余命を社会のために尽くす。
②余命を自己満足に費やす。
③余命を破れ被れに生きる。

①のタイプは、黒澤明監督作品「生きる」に代表される。
 ブランコを揺らしつつ‘ゴンドラの唄’を呟くように歌う志村喬の姿が浮かんで来る。幸いに生還出来たが、同じように恐怖の告知と手術を体験した私は、この映画はナンバー・ワンである。神の心を感じる。

②は「最高の人生の見つけ方」を以て、その代表作としたい。
 この映画の中で、「完璧な人間は居ない」という台詞があった。①に於ける神のような生き方は到底出来ぬであろう私は、この部類に入るだろう。
 少々明る過ぎるように感じたアメリカ映画だった。が、これも国民性の違いとでもいうものだろうか。
 邦画の中には、お涙頂戴的で、少々暗くて、どちらかというと湿っぽい作品が、一時、あったようにも思う。
 ところが、最近ではそうでもないようだ。悠々たる時の流れが、その感性を暗より明に転じさせている。
 眼には見えぬが、時空を超えた潮流は、芳しい面も運んで呉れて居るのか。それとも医学の発達が寄与して呉れて居るものなのか。

 

③の代表に本作を挙げたい。
 凡人は、マーティンやルディのようなハチャメチャな生き方もまた出来ない。でも彼らの気持ちは解る。眼前真っ白になった体験を持つ私には、それが分かり過ぎるほど判るのだ。
 脳腫瘍と骨髄腫。怖ろしい筈のギャングが、ちっとも恐くない。二人のその心理は、「生きる」の主役、胃ガンの渡辺勘次と全く同じ。
 そんな二人を、この映画は巧みなコメディ風に描き切る。だから、彼らの行動が、たとえハチャメチャなものであっても、そこに救いを見いだせるのである。

 [私の評価]佳作。
 1997年(99公開).独[監督]トーマス・ヤーン[撮影]ゲーロ・シュテフェン[音楽]・ゼーリッヒ[主な出演者]ティル・シュワイガー。モーリッツ・ブライブトロイ。ティエリー・ヴァン・ヴェルフェーケ。コーネリア・フロベス[原題]Nocking'On Heaven's Door[上映時間]1時間30分。

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夏の夜は三たび微笑む

2010-03-08 18:51:55 |  映画ナ行

 此処は白夜の瑞典

 男鰥の弁護士は 女優と過去を持ち乍ら 若き乙女と結婚す

 牧師志望の息子居て メイドの色香に悩まさる

 いま伯爵といい仲の 女優は夫人も接待し 一同集う晩餐会

 

 いろいろ有りて 息子殿 若き乙女と道行きぬ

 伯爵夫妻は許の鞘 

 デジレ~君は美しい! 女優と弁護士復縁す

 メイドも馭者と草の上

 恋は楽しや北欧の 巨匠が作れば色事も 妙なる詩となり音となる

 白夜に爪弾く弦の音ぞ 嗚呼夏の夜は 三たび微笑む

 [私の評価]可成りの意欲ある佳作。
 1955年(57公開).瑞典[監督]イングマール・ベルイマン[撮影]グンナール・フィッシェル[音楽]エリック・ノードグレーン[主な出演者]グンナール・ビョルンストランド。ウラ・ヤコブソン。エヴァ・ダールベック。ハリエット・アンデルソン。ビヨルン・ビェルヴヴェンスタム[原題]SOMMARNATTENS LEENDE[上映時間]1時間49分。

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波の塔

2010-01-29 12:50:23 |  映画ナ行
 子供の頃に聞いた青木ヶ原樹海の話は今も鮮烈に残る。此の自然の迷路に「何時か行きたい」と結城頼子は漏らす。それは、小野木と下部温泉への不倫行の列車内での会話だった。



 この台詞が伏線だと誰にも判る。原作者の名は知って居る。さぁサスペンスと期待すれば、少々裏切られるかも知れない。
 然し文芸の薫りがそれを補って余りある。その訳は、頼子の夫に、先日鑑賞した「今度は愛妻家」のカメラマンが重なって見えたから。
 どちらも妻に辛く当たる。だけど心中では妻を愛していたのだ。そのことを表現する映像、演出、演技の面で見受ける冴えは、同格のものに思えたからである。

 台風下で明かす番小屋の一夜の高揚は、頼子の夫検挙で頂点に達す。結末は、東京駅で待つ小野木。新宿駅から乗車する頼子。自由は得ても待つは破滅。これぞ唯一の愛の道。見事に活きる伏線ぞ。
 さすが松本清張。起承転結鮮やかな中村登の演出も佳良。演技陣では、やはり、結城頼子を演じた有馬稲子が、一際光って見える。[私の評価]見方に依れば意欲作。

 1960年.日(松竹)[監督]中村登[撮影]平瀬静雄[音楽]鏑木創[主な出演者]有馬稲子。津川雅彦。桑野みゆき。南原宏治。石浜朗。二本柳寛[上映時間]1時間39分。
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虹の世界のサトコ

2010-01-28 14:54:02 |  映画ナ行
 明日から3日間サヨナラ興行を行うcinemadept友楽。8本のラインアップは名画ばかり。ジーンと来る。此処で観た数々の映画鑑賞記を走馬燈のように手繰っていたら、公楽(theater)を友楽とミスプリントしていたこの映画を発見した。
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 夢の世界を文字通り描いたある作の映画化。トリックはよく出来ている。全体に詩的な感じが出ているが、その反動として当然現実とあまりにもかけ離れたシーンが出て、美しいが現実感が全くなく、別に取り立てて言うほどのこともなかったが、美しい叙事詩の一代絵巻物として観れば満更でもない。
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 以上は、1953年12月29日に観た際の感想。ある作とは、ロシアの古伝説。音楽は、リムスキー・コルサコフのオペラ「サトコ」より。
 アレクサンドル・プトゥシコ監督はウラル地方の民話を映画化した「石の花」も手掛けているが、私は「虹の世界のサトコ」の方が好きだ。

 可憐な乙女リュバーヴァと恋仲になったサトコだったが、理想の街を築けぬ悲しさに湖畔で堅琴を奏でる。其処に現れた湖底の姫が、船と物資を贈る。竜宮城を出た浦島太郎のようなサトコは海の旅に出る。
 シンドバッドを想わす海の旅。インド王と賭けて得た幸福の鳥が、実は魔法の鳥だった話など面白い。



 3年の歳月を待ち詫びるリュバーヴァに、被さってくるのはソルヴェーグ。
 大暴風雨を鎮めるため犠牲となるサトコに重なるは、日本神話の乙橘姫。
 何処の国にもよく似た古代伝説があるものと感心する。
 やがて静まる海。サトコを竜宮に迎えた姫はリュバーヴァだった。夢のような映画詩である。[私の評価]少々荒削りの感あれど、意欲作。

 1952年(53/12/29.京都公楽小劇場にて鑑賞).ソ連映画[監督]アレクサンドル・プトゥシコ[撮影]フョードル・プロヴォロフ[音楽]リムスキー・コルサコフ[主な出演者]セルゲイ・ストリャーロフ。アー・ラリオノワ[原題]SADKO[上映時間]1時間29分。
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眠狂四郎殺法帖

2009-11-30 10:49:11 |  映画ナ行

 司馬遼太郎の原作を読み終えた余韻未だ覚めやらぬ中で、「坂の上の雲」ドラマ版が昨夜から始まった。この眠狂四郎も、柴田練三郎の原作がs週刊誌に連載されていた頃、貪り読んだもの。
 「俺の剣が完全に円を描き終わらぬうちに、お前は死ぬ」狂四郎が吐くこの台詞はあまりにも有名。鶴田浩二に続き、二代目狂四郎となった市川雷蔵は、円月殺法を初披露する。


 本能の赴く儘に生きる狂四郎。加賀藩の奥女中千佐に、己が欲した体を拒まれる。代わりに百両積まれても見向きもせず。やがて千佐の心境が恋慕の念に駆られる迄に変化するも、「不幸な過去を持っている事が言わずとも判る。そなたも孤児…」と見抜く。
 そのニヒルさは以降、市川雷蔵の代名詞となった。勝新太郎の「座頭市」シリーズと共に、当時の大映の屋台骨を支えたこのシリーズ。最近の映画検定でも2~3度出題されて居る。
 その殆どを観ているが、娯楽劇として一流のレベルを保った(と思う)のは、女好きにも拘わらず、微塵も嫌みを感じさせぬ雷蔵の雰囲気がそうさせたのだろう。
 なお、この作では、千佐を演じた中村玉緒も、その血筋の良さを披露して居て「流石」と思わせる。

 1963年.日(大映)[監督]田中徳三[撮影]牧浦地志[音楽]小杉太一郎[出演]市川雷蔵。中村玉緒[上映時間]1時間22分[私の評価]70点

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人情紙風船

2009-11-12 15:48:20 |  映画ナ行

 浪人が首を吊ったため大騒動の長屋風景から映画は始まる。「みんなで通夜を!」と、新三が大家を口説き、酒宴と相成る場面では、黒澤明の「どん底」を思い出して居た。
 長屋にはもう一人の浪人が居た。専ら妻の内職に頼る又十郎だ。彼の亡父は生前に、毛利の立身に貢献した。そんな父の書状を持って、何度も毛利の屋敷を訪ねては、酷い仕打ちを受けて帰宅する又十郎だった。
 豪雨のシーンが強い印象を残す。雨洩れを受ける桶。「子供の頃の私んちもそうだったなぁ」。子供といえば、大勢の子供達も登場させる山中貞雄の演出からは、優しい‘慈愛’の眼が伝わらんばかりである。

 一方で、新三は、源七親分に痛めつけられ復習を図る。「あれツ!あの源七の子分の俳優は加東大介だ」と思った。ところがキャストにその名は見当たらない。当時は市川莚司という芸名だったと後で知った。
 それ程古い映画である。画質も音質も悪いのはやむを得ない。でも当時はそれで普通だった。
 現在では禁句の言葉が出るのもやむを得ない。「視力障害者が目隠しをして何になる」という意味の台詞を指している。が、当時の日常会話に私も使っていた言葉だけに何の違和感もない。寧ろ、活動写真と言っていた当時が懐かしく思い出される。

 黒澤明監督と同い年だった山中貞雄監督は、「どん底」と同格の作品を、その20年前に作り出して居る。そして、公開の日に帰らぬ戦地に赴いて逝った。戦地では「『人情紙風船』で、私の映画が終わってしまうのは残念」と、言って居られたと聞き及ぶ。
 もし山中貞雄氏が生還して居たならば、世界の黒澤の好敵手として、多くの優れた映画を世に生み出していたろう。そう信じられる、アッと驚くラストであった。‘人生無情’がヒシヒシと感じ取られる「人情紙風船」であった。

 1937年.日(東宝)[監督]山中貞雄[撮影]三村明[音楽]太田忠[出演]中村翫右衛門。河原崎長十郎。山岸しづ江。橘小三郎。市川笑太郎。霧立のぼる[上映時間]1時間26分[私の評価]80点

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