アスカ・スタジオ

2011/9/1以降の映画記事は「八十路STUDIO」=(同一人管理blog)とリンクしました。

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異人たちとの夏

2011-08-21 14:52:28 |  映画(イ~ウ)

 ちょっと過大評価と思う。だが「雨月物語」現代版のような気もした。草茫々の空き地。此処に近くマンションが建つという。そんな所にしゃがみこむ二人の男。よく見ると花と線香を手向けているではないか。
 左の男は、其処で亡き両親と共に12才迄暮らしていた秀雄。右側は「秀雄が別れた妻を娶る」と言う一郎であった。
 

 話の内容は若干違えど私の眼には、秀雄の頭上には陶工、源十郎の髷が被さり、一郎の脊には、義弟の藤兵衛が重なるようだった。とすれば、秀雄のマンション3階に住む桂は、差詰め若狭か。勿論その重みは比べものにはならないけれども、、。

 話は28年前にフラッシュ・バックしてゆく。現在と過去が一つの画面に融合する。映画なればこそ表現可能な、お盆に相応しいファンタジーであった。
 親を想う子の心。子を想う親の魂が優しく触れ合う。みんな、みんな生きているんだ。特に息子を気遣う母心が、時空を超えて血が滾るように脈打つ。

 全編を綾取るブッチーニ歌曲の旋律は「わたしのお父さん」だろうか。これほど映画のテーマとシンクロナイズした音楽は珍しい。
 ということで、[私の評価]秀作。

 1988年(2011/8/20TV録画観賞=初見).日(松竹)[監督]大林宣彦[撮影]坂本善尚[音楽]篠崎正嗣[主な出演者★=好演]風間杜夫。★秋吉久美子。片岡鶴太郎。永島敏行。名取裕子[上映時間]1時間50分。

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ウホッホ探険隊

2011-08-02 14:01:30 |  映画(イ~ウ)

 それはバブル景気に湧く時期だった。マイコンからその呼び名を変えたパソコンも、ビジネスで活躍し始めたあの時代。それはそれは、活気に満ち溢れていた。
 右肩上がりの企業は地方に活路を求めた。あんな時代はもう二度と来ぬであろうが、、。単身赴任族も続出した。
 頬を染めて通り過ぎていった懐かしきあの季節。実現こそしなかったものの、現役時代の私にも2度3度生じては消えていった単身赴任話を思い出す。
 題意は途中で自ずから分かってくる此の映画。榎本和也(田中邦衛)も単身赴任族だった。

 長男の太郎を高校に、次男の次郎を中学に通わせつつ、インタビュアとして働く登起子(十朱幸代)が家庭を守っていた。
 このような背景から生まれ来る話は自ずから決まって来る。次男に過去の夫婦二人で撮った写真を送らせる和也は、男の風下にも置けない男である。
 だが深く思慮を巡らせば、もしも私が単身赴任していた場合、和也の如き行動を断じて完全否定出来得たであろうかと考えると、多少の疑問符は生ぜざるを得なくなる。
 これは観客に考えさせる映画である。

 離婚の決心はしたものの、登喜子にも……。その上この映画にはプラス・アルファがつく。それは子供の目線でも眺めていることである。「友達で両親が離婚した子がいるけど、しっかりしてるよ。僕も頑張る」と母に告げる次男が頼もしく映る。
 和也のその後に触れてはいるものの、この映画は、決して結果を求めてはいない。考えさせるところが良いのだ。人間は考える葦ゆえに。

 [私の評価]秀作です。
 1986年(2011/8/1.TV録画鑑賞=再見).日(東宝)[監督]根岸吉太郎[撮影]丸池納[音楽]鈴木さえ子[主な出演者★=好演]★十朱幸代。★田中邦衛。村上雅俊。本山真二。藤真利子。陣内孝則。斉藤慶子。柴田恭兵。加藤治子。[上映時間]1時間45分。

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インビクタス 負けざる者たち

2011-07-17 08:13:31 |  映画(イ~ウ)

 「頑張れ!なでしこジャパン!」と叫びたくなった。「エスパーク・スタジアムの62000人に対してではない。4300万人の国民に対してである」フランソワ選手の感謝の言葉を聞いて、、。

 「変えるべきモノを変えなければ、人は変わってくれない」ネルソン・マンデラ大統領の信念は、27年間の怨念を超える。
 映画「第9地区」でも描かれた南アフリカの人種隔離政策は、彼を斯くも長き間、反逆の罪で牢獄に繋がせしめていたのか。

 「この国は誇れるモノを求めている」彼は故国で開催されるラグビー・ワールドカップを通じ、国民の和合団結を模索する。どちらかといえば白人はラグビー、黒人はサッカーの南アフリカ。激励に訪れた大統領が唯一の黒人選手チェスタの姿を求めるいじらしさ。

 我が国では現在、サッカー人気に押される感あるも、Jリーグ発足前、ラグビーは冬季スポーツの花形だった。私自身も生駒颪の花園ラグビー場に繁く足を運んだものである。当時からラグビーの頂点はニュージーランドだった。
 この映画の中でも披露されるが、代表チーム、オールブラックスが試合の前に踊るマオリ族出陣の踊りは試合前から相手を圧倒する。

 決勝戦は接戦になった。21分6-6。そして9-9のタイ。延長戦20分で決する雌雄。恩讐を超えたマンデラ大統領の寛容の精神と、思考と、決断と、実践と、執念と、行動は正しかった。
 「過労。休養が必要」意志の言葉に、彼は何時従ったのだろう?。「ネルソン・マンデラ大統領のお陰」と呟くフランソワが印象的だった。

 エンディグで流れる歌の素晴らしさよ。爽快で、クラシカルで、、。そういえば、ホルストの惑星・ジュピターに似ていたようにも思うが?。
 たっぷり余韻を残したこの映画に対する事前知識は全く皆無だった。私が敬愛するクリント・イーストウッド監督作品ということも後で知った。

 このドキュメント風スポーツ映画はいい!。「マディソン郡の橋」のような甘酸っぱい作品から「許されざる者」に代表する西部劇。「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の戦記物…。
 多才なジャンルに長けるイーストウッド監督。このような分野にまで手を広げ、しっかと、若々しく、血を滾らせつつ撮りきった。
 2歳先輩のイーストウッド様。青春とは心の若さですよね。

 [私の評価]水も漏らさぬ秀作。
 2009年(10公開)(2011/7/16TV録画観賞=初見).米(WB)[監督]クリント・イーストウッド[撮影]トム・スターン[音楽]カイル・イーストウッド/マイケル・スティーヴンス[主な出演者]モーガン・フリーマン。マット・デイモン。[原題]INVICTUS[上映時間]2時間14分。

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牛の鈴音

2011-06-29 18:56:56 |  映画(イ~ウ)

 チェ爺さんが私と同い年なのに吃驚した。少なくとも10歳以上は老けて見える。それだけ苦労して来たという事が、ストーリーの進行で解ってくる。婆さんもぼやき続ける筈だとも、、。
 よぼよぼ足の人と牛。それに鈴の音がシンクロする様は正に一片の映画詩だ。

 医師に「無理するな」と云われた爺さん宅に訪れる秋夕。これが日本のお盆に当たると初めて知る。あの時3歳だった。あれから30年。「牛のお陰で学校へ行けた」と述懐する子。次男はトラクターで収穫を助けようとする。「私に手で刈れって!」とぼやく妻は確か75歳だったっけ?。

 土に指した釜のアップに力あり。「お互い苦労したね。扱き使われて。晴れた日も雨の日も」。食欲も無くなった老牛の痩せた脊が痛々しい。
 競り市場で流す牛の涙に涙する。バックのピアノ曲も啜り泣く。売られなくて好かった。帰路は黙っていても知っている。

 鳴らぬラジオを何度も叩く爺さん。婆さんの声「ポンコツ」「寿命」。牛の負担は人(爺さん)が分担。一人と一頭を繋いだ鈴の音が止まる2006年12月。外す錫と鼻輪に胸詰まる。「やっと楽になれたね。天国へ行けよ」。
 老夫婦の写真。「直ぐに後を追うからな」。

 ‘大地を耕し子を養った総ての牛と父親に捧ぐ’感謝のメッセージで映画は終わる。
 さりながら、ぶつぶつ云いながらも最後まで寄り添った母親も偉かったよ。

 [私の評価]優れた作品です。
 2008年(09公開)(2011/6/29TV録画観賞=初見).韓国[監督&脚本]イ・チュンニョル[撮影]チ・ジェウ[主な出演者]チェ・ウォンギュン。イ・サムスン{原題}OLD PARTNER[上映時間]1時間18分。

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息もできない

2011-05-29 14:37:06 |  映画(イ~ウ)

 昨夜「ゴッドファーザー」が放映されていた。恥ずかしながら当ブログ第1回レビュー作品でもある。今迄何度観た事だろう。またもや垣間見ている自分が居た。トマト畑で逝ったゴッドファーザーの後を継ぐマイケル。鮮やかなデビューでending…PartⅡへと流れ込む。
 私が嫌う暴力と悪の世界を描き乍ら何時も引き付けられるこの磁力。これこそ映画の魔力…おっと前置きが長すぎ。

 数日前に観た「息もできない」も社会悪と暴力の世界を描く。中でも共通するのは一族郎党の愛と恩讐に拘わる事象。ただお国柄や年代等による価値観の差は異なる表現や主張を生んでいる。
 この映画では愛より寧ろ恩讐に籠もられたその力感めいたものに目を奪われた。所謂綺麗事は一切排除されているのだ。

 

 来る日も来る日も粗野で激しい恐喝や罵倒。そんな中にも切っても切れぬ肉親の絆を意識する息遣いが感じ取れる。あのラスト・ショットには慄然とする。これが現代というものであろうか。
 時は動いているのだ。「ゴッドファーザー」の時代は過ぎ去り、崩れゆく原発神話に「息もできない」現在。その先には果たして如何なる未来が待ち受けているであろうか。
 幾ら苦しくとも息をせずして生きられぬ。幾ら嫌いではあっても、そういう現実世界から眼を背ける事は出来ないのだ。

 [私の評価]可成りの意欲ある力作。
 2008年(10公開)(2011/5/25TV録画観賞=初見).韓国[監督]ヤン・イクチュン[撮影]ユン・チョンホ[音楽]ジ・インヴィジブル・フィッシュ[主な出演者]ヤン・イクチュン。キム・ヒス。キム・コッピ。イ・ファン[原題]BREATHLESS[上映時間]2時間10分。

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硫黄島の砂

2010-12-04 09:49:32 |  映画(イ~ウ)

 先月7日、当該地区戦没者慰霊祭に参列した。トップ画像はその際に紹介された、国の礎となられたあなた方を忘れません。と、コンサートを開く現代青年の姿。太平洋戦争を全く知らぬ世代だというのに、、。彼等の想いと行動に、私は恥ずかしくなった。
 70年の歳月を隔てた若者と若者の心と魂が、がっちりと組合い、噛み合っているようだった。「あなた方のお陰で、今私たちは居る」と歌っているように思えた。
 私がもし、リアルタイムで当時を知っていなかったとしたら、果たしてこの若人のように当時を理解し得たかと…。そのようなことも手伝って、この映画も意識して今迄観ることはなかった。

 足かけ70年目を迎える12月8日も後4日に迫る。と、いった事も手伝い、観た結果は「パール・ハーバー」ほど酷くはないにしても、一日本人の私としては、やはり「硫黄島からの手紙」とは180度好対照の映画であった。
 米軍も日本軍も、お互いに、自国の為、命を賭して闘ったのである。勝敗は時の運。勝っても負けても戦は罪悪。勝者は敗者に何らかの人間としての、人間的な心が無ければならぬ。この映画には、それは最後まで見られなかった。
 もう一つ、この映画で感じたことは、現在では死語と化している“銃後”の差。「欲しがりません勝つまでは」と、歯を食いしばって、朝昼晩、三食とも、芋蔓や麦混じりの粥で踏ん張った私たちに比べ、何と米国の豊かな生活!。

 日本が太平洋戦争に敗れた翌年に作られたアメリカ映画「我等の生涯の最良の年」を観た当時、米兵が復員土産に日本兵の遺品を息子に渡すショットに怒りを覚えた。
 その一方で、原爆否定の言葉を発する米兵も居て、心の傷跡を幾分かは流してくれた。この映画は、そういう配慮は一欠片もない。
 この映画の後も幾つかの作品に観られる硫黄島頂上に星条旗を建てるショットで著名な本作品は正に、勝利した米国民のための映画といえる。
 一方、破れし日本国民には、今や死語となった“銃後”という言葉が空しく消え去り、これまた死後と化した“復員”が、数年続いた。

 

 [私の評価]凡作。
 1949年(52公開).米(リパブリック)[監督]アラン・ドワン[撮影]レジー・ラニング[音楽]ヴィクター・ヤング[主な出演者]ジョン・ウェイン。ジョン・エイガー。アデール・メイラ。フォレスト・タッカー。ジェームズ・ブニウン。ジュリー・ビショップ[原題]SANDS OF IWO JIMA[上映時間]1時間49分。

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インサイド・マン

2010-11-01 14:08:13 |  映画(イ~ウ)
 今迄どちらかと言えば、こういうダークな物語には眼を背けがちだった私が、どうしたことか?最近、フィルム・ノワール的作品を立て続けに観て居るようだ。
  銀行を占拠したダルトン以下の強盗団と、NY市警フレイジャーらとの対決を描く。これに女性弁護士マデリーンの活躍を絡めて居るが、功罪半ばといった作品か。

 

 「むかつく」という字幕には吃驚するぜぃ。「どっちが重いか。年にグランドセントラルを走る電車か。ドル紙幣の為に伐採される木か。ヒントは引っ掛け問題だ」なんて。「ダイ・ハード3」(95)等でもあったけど、このジャンルの映画に、クイズは最早や古い手。
 その反面、人質殺害と見せかけて、その真相が明らかになる結末等は秀逸。「愛は金では買えない」の台詞にも実感が籠もって居る。

 [私の評価]中の中。
 2006年.米[監督]スパイク・リー[撮影]マシュー・リバティーク[音楽]テレンカ・ブランチャード[主な出演者]デンゼル・ワシントン。クライヴ・オーウェン。ジョディ・フォスター[原題]INSIDE MAN[上映時間]2時間8分。
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ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~

2010-10-21 07:08:25 |  映画(イ~ウ)

 何の描写が無くても何があったかを、佐知の背が物語る。こういう演出が大好きだ。またその事を理解して演技出来る俳優は素晴らしい。
 かって想って居た辻の許に「弁護料を払う事が出来ません」と伝えに赴くシークェンスがある。
 その帰途の街並み。こんなに侘びしいのものなのか。これ総て、松たか子の自然な演技がもたらしている。

 一方で、そんな佐知に激情を示す岡田のエピソードには、一瞬の違和感を持った。だがそんな思いも、二人の男の狭間で揺れ動く佐知の前には、何時しか吹っ飛んで仕舞うのだ。
 「このチップ貰ってもいいのですか」だらしない夫をカバーする彼女の思いと行動が、さながら滝壺に落ちる水のように弾けている。

 

 小説こそ書いているものの、家には金を入れず。ほかの女と遊び耽る夫。そんな駄目男ながら、夫のために一途に働く一杯飲み屋。
 家で顔を合わす事が皆無に等しくても、酒場の椿屋で夫と会える幸せに浸る佐知。そんな彼女が堪らなくいじらしい。
 これは、夫が他の女と心中を図った後始末をするために、我が身を犠牲にするのも厭わぬ佐知を背中で演じた松たか子の為の映画だと、私は思った。

 [私の評価]秀作です。
 2009年.日(東宝)[原作]太宰治[監督]根岸吉太郎[撮影]柴主高秀[音楽]吉松隆[主な出演者(★印=好演)]★松たか子。浅野忠信。伊武雅刀。室井滋。妻夫木聡。堤真一。広末涼子[上映時間]1時間54分。

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薄化粧

2010-10-19 09:25:05 |  映画(イ~ウ)
 先般チリの鉱山落盤事故33人救出劇に感動したばかり。なのに同じ落盤事故で始まる此の話は陰惨で惨い。殺した妻子の仏壇を背負い逃亡する坂根藤吉の実話は、「ハリソン・フォードの逃亡者」(1993年)や、藤山直美主演の「顔」(2000年)を思い出す。
 前者は、共に逃亡しているような磁力があった。後者は、「もし月が西から昇ったら…」の台詞に代表される情感零れ落ちる逃亡劇だった。
 この映画も実話の迫真力で迫ってくる。緒形拳の鬼気迫る熱演は「復讐するは我にあり」と甲乙付け難い。

 

 肉親の情愛迸る「復讐…」に対し、「薄化粧」も眉毛に薄化粧するちえとの濡れ場は情感籠もる。但ししつこすぎるのが作品レベルを下げる。
 小道具のラジオはよく効いていた。平野愛子の「港が見える丘」や、淡谷のり子の「君忘れじのブルース」に、終戦後3年のあの頃を思い出した。

 こんな世が藤吉に魔を刺したのかもしれない。一旦足を滑らせた泥沼は、もう抜ける事は出来なかった。人間の持つ弱み。宿命。様々な思いに耽らせる。
 然し乍ら、結論は、それに負けてはならぬ。世の中を舐めるな。と呟くように、二人の刑事が舐るアイスキャンデーが印象的だった。

 [私の評価]中の上。
 1985年.日(松竹)[監督]五社英雄[撮影]森田富士郎[音楽]佐藤勝[主な出演者]緒形拳。宮下順子。藤真利子。川谷拓三。大村崑。[上映時間]2時間4分。
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 昨日菜園の藤袴が咲いていた。採取して帰り玄関に飾る。秋満開。

 
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いろはにほへと

2010-09-26 18:00:32 |  映画(イ~ウ)
 現在はアイウエオ順だけど、私が小学生の頃はイロハ順だった。先生が読み上げる出席簿もそうだった。イロハ歌留多も遊びの王様だった。
イ「犬も歩けば棒に当たる」犬の散歩をしていると「成る程」と頷ける。
ロ「論より証拠」その通りだね。
ハ「花より団子」映画の題名にあったな。
ニ「憎まれっ子世に憚る」うんうん。
ホ「骨折り損の草臥れ儲け」経験在るよ。
ヘ「下手の横好き」そうそう。
ト「年寄りの冷や水」今の私。
チ「ちりも積もれば山となる」やって来たね。
……といった具合で、その短い文中に幾多の教訓を含むゲームと言えた。

 

 松本刑事(伊藤雄之助)も子供の頃から、「イロハ歌留多通りに生きるのが最善」と、何時も口ずさむ母、ミネ(浦辺粂子)の許で育った。
 「楽あれば苦あり」。
 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」。
 「貧乏暇なし」。
 それらの言葉は、みんな、みんな彼の仕事を支えて来たものだ。

 「急いては事を仕損じる」なんかは、その最たるもの。
 彼が目指す敵は、高額配当を謳って「知らぬが佛」の一般大衆を蝕み「聞いて極楽見て地獄」に突き落としている投資経済会の天野(佐田啓二)だった。

 この二人の丁々発止の闘いが此の映画の大黒柱。
 最後は「身から出た錆」とは相成る。
が、許せぬは「負けるが勝ち」と、蔭でほくそ笑む腐敗政治家連中。
 此処は、

 いろはにほへと(色は匂へど)
 ちりぬるを(散りぬるを)
 わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)
 うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)
 あさきゆめみしゑひもせすん(浅き夢見じ酔ひもせず)

と、炎立つ憤怒を抑えるしか手はないのだろうか。
 [私の評価]中の中。
 1960年.日(松竹)[監督]中村登[撮影]厚田雄春[音楽]黛敏郎[主な出演者]佐田啓二。伊藤雄之助。宮口精二。殿山泰司。浦辺粂子。藤間紫[上映時間]1時間49分。
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if もしも…

2010-06-25 09:35:37 |  映画(イ~ウ)
 1.「学校 新学期」では、この男子全寮制学校の厳しい校則と、癖ある生徒の存在を認識する。
 2.「学校 授業開始」では、同じ全寮制教育を扱った「格子なき牢獄」(39.仏)や、「みかへりの塔」(41.日)で見受けた所謂真面目さとは異質の世界と分かってくる。
 3.「課外活動」を経て、4.「葬式とロマンス」に到り、その異質の世界が現れ始める。盗んだバイクに女を乗せて、タイタニックもどきのシーンに。
 5.「規律と罰」は、6.「病院」を経て、「抵抗」を産み「いざ戦いに」で高揚。「十字軍の兵士たち」で発狂する。

 

 もしも、こんな事が…と思わせるのが、この映画のテーマか。ケースは違うが、最近、米国の学校で起こった乱射事件は、その“もし”が、実現している。ぞっとする。衝撃的な異色作と云える。

 だが前述した真面目派作品に共感してしまう私は、180度違ったこの体質には、どうしても馴染めぬ。
 ①学校と関係ない女性の意味。
 ②モノクロ画面の意味。など不可解な点はさておき、
 ③女医が新入男子生徒の恥部を、灯りで検査するショットの意味。
 ④同性愛を想起するベッド。
 ⑤バスや、シャワー・シーンの男性全裸。等に、猟奇的な悪趣味を感じ嫌悪感を催す。
 といっても、それは枝葉の問題。骨幹は、風変わりながらも、ぞっとさせる映画である。

 [私の評価]準佳作。
 1968年(69公開).英(パラマウント)[監督]リンゼイ・アンダーソン[撮影]ミロスラフ・オンドリチェク[音楽]マーク・ウィルキンソン[主な出演者]マルコム・マクダウェル。デヴィッド・ウッド。リチャード・ワーウィック。ルパート・ウェブスター。クリスティーン・ヌーナン[原題]IF....[上映時間]1時間52分。

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浮気なカロリーヌ

2010-05-30 11:56:04 |  映画(イ~ウ)
 舞台はナポレオン時代のイタリア。オーストリア軍を破り、この地に駐留しているフランス軍の司令官サランシュは、妻カロリーヌを「パリに残すのが心配」と同伴して居た。
 今日は7月14日。フランス革命記念日だ。母国ではパリ祭華やかなりし頃。司令官邸も舞踏会を計画する。打合せに来たバレエ教師リヴィオが、カロリーヌにぞっこん。カロリーヌもこの美男子に熱々。と相成る。

 その夜、暴動が発生。将軍は妻を伴い、クレリア伯爵夫人邸に逃げる。忽ち伯爵夫人と濃厚な仲になる将軍。嫉妬するカロリーヌ。と来れば、後は予想通りの展開と相成る。
 戯れ来る兵士を払い、やっと逢えたリヴィオは反乱軍の首領だった。「オーストリアへ行こう」と誘惑する彼。「やっぱ私は夫を愛していた」と目覚める彼女だった。
 折しも母国から救援軍到着。カロリーヌの命乞いで救われるリヴィオ。と、調子よすぎる艶笑コメディ。無論見ものは、カロリーヌに扮するマルティーヌ・キャロルのお色気。

 
 バスを使う彼女の豊満な肢体が、チラッと…。といっても、レイティング・システムが甘すぎるのか(1966年;プロダクション・コード改訂:成人観客に推奨制度から)露骨な描写が乱れ狂う現代に比べれば、他愛のないもの。
 1961年;品位が在れば同性愛描写も認めるようになった事から、現在多く見られる同性愛映画に比べたら、その健全なこと。
 映倫など無い、古き良き時代だった。男性の男性たる証明が得られる映画である。
 あまり真剣に、こと真面目に考えず、ハハハと笑って忘れて終えば事足りる。1953年12月17日(木曜日)。今はその姿を留めぬ京都宝塚劇場。超満員の観客は健全な男性が占めていた。

 トップ画像を見ると、この年は29日「虹の世界のサトコ」で、全42本の鑑賞を終えている。その中から選んだ1953年Myベスト・テンが懐かしい。今なお鑑賞に耐え得る作品が、ズラリと上位に並ぶ。
 花咲ける映画黄金時代の到来を告げる息吹が匂う。
 

 [私の評価]凡作(但し女性の眼からは恐らく駄作の烙印がつくだろうと推察)。
 1953年.仏[監督]ジャン・ドヴェーヴル[撮影]アンドレ・トーマ[音楽]ジョルジュ・ヴァン・パリス[主な出演者]マルチーヌ・キャロル。ジャック・ダクミーヌ。ジャン・クロード・パスカル。[原題]UN CAPRICE DE CAROLINE CHERIE[上映時間]1時間45分。

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歌え!ロレッタ愛のために

2010-04-28 11:07:11 |  映画(イ~ウ)
 この映画の題名の骨格を成す“愛”について考察してみた。
 その一つは勿論のこと、“夫婦愛”だろう。殊に、夫からの妻に寄せる愛が目立ったのは、私が男性だからだろうか?。
 「待たせたな」何という重みのある言葉だろう。ドゥーが、4児の母ロレッタに指輪を贈る時の台詞である。
 14才の彼女を娶ってから幾歳月。「14位だぞ!胸を張れ」励ます妻は厚化粧。夫婦喧嘩もあった。苦楽を共にした歌の旅が走馬燈のように二人の胸を駈け巡ったに違いない。

 

 二つ目は、最近何処かで聞いた言葉でもある“友愛”。
 ロレッタを可愛がって呉れた歌の女王パッツィが事故死する。生れた双子の一人に、パッツィと命名するロレッタだった。

 「ファンに髪を切られた」…「野の花が咲くのに、何故?造花を飾る。枯れないからな」の台詞も空しかった。疲労。病。「薬が効かない」。
 何時しか、新曲の歌詞を忘れるほどになって居た。長く苦難に満ちた道。だけど精一杯夢に向かって努力して来た道だった。だが、そんな歌手生命も、遂に終わりを告げる時が到来したのだ。
 ドゥーと家族が待つ新しい家に向かうロレッタに、
三つ目の愛“親の愛”は去来していただろうか?。

 両親の反対を押し切り彼女が結婚する時に、今は亡き父がドゥーに出した条件。①絶対に殴るな。②この土地を離れるな。を想起する。結局は、その二つとも破るドゥーであったが。でもこれは責められない。
 「大事な娘を送り出すほど歳を取って終った」貧しい炭抗町、ブッチャー・ホラーの炭抗夫だった、ロレッタの父、テッドの呟きが、同じ立場を経てきた私には、その胸中が分かりすぎるほど判るからである。

 これは、テッド。ロレッタ。そしてパッツィ…親子孫三代に亘る一族の人生模様である。人生というものについて、しみじみと考えさせてくれる映画だ。

 [私の評価]可成りの意欲ある佳作。
 1980年(81公開).米(ユニヴァーサル)[監督]マイケル・アプテッド[撮影]ラルフ・D・ボード[音楽]オーウェン・ブラッドレイ[主な出演者]シシー・スペイセク。トミリー・ジョーンズ。レヴォン・ヘルム。ビヴァリー・ダンジェロ[原題]COAL MINER'S DAUGHTER[上映時間]2時間5分。
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海は見ていた

2010-04-22 14:56:07 |  映画(イ~ウ)
 三年前に他界された熊井啓監督の遺作である。
 まず初めに、2002年7月29日、シネマデプト友楽にての観賞記
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 山本周五郎の二つの原作から黒澤明が第31作品用として纏めていた脚本を熊井啓が演出した映画である。熊井監督は故黒沢監督の意思を尊重しつつも自分の映画に纏め上げたのではないか。
 山本周五郎作品の持つ雰囲気も快く伝わってくる。社会の底辺にあって、物心両面に恵まれぬ生活を送る人々の、矛盾極まりない社会に対する怒りが満ち溢れている。
 それは現在にも通じるものがある。そして最後に盛り上がるクライマックスの洪水シーンに向かって、庶民の人情話は滑らかに、極く自然に進んで行くのだが。

 一点だけ不自然に思えることがある。それは勘当された若侍の房之助(吉岡秀隆)の言動である。冒頭、人を傷つけ深川の三流遊郭に逃げ込んだ彼は、葦の屋の女郎お新(遠野凪子)に救われて以来、彼女に熱を上げる。
 葦の屋の他の女郎もお新と房之助の結婚に協力の姿勢を示す。ここまでは自然だ。問題はこうしたある日、葦の屋を訪れた房之助の言葉だ。
 「身分相応の娘と結婚することになった。みんなも祝ってくれ」。女郎がみな怒るのは自然だ。不自然なのは、それまでどう見ても房之助がお新に惚れていると思わせる描写をしていることなのだ。
 それだったらどう考えてもあのような言葉は出ぬはず。また、お新とは単なる遊びだったのならば、吉岡秀隆は、そうと観客に思わせる演技で応えなくてはならない。
 またそれが出来得るような演出やシナリオでなくてはならない。と思えるのだが、如何。

 ラストに大雨と氾濫を持ってきたのは巧い。「海は見ていた」の意味も、女郎菊乃を演じる清水美砂の言葉で解るところも巧みだ。
 この映画の主演は、二人目の男、良介(永瀬正敏)にまた惚れるお新を演じる遠野凪子であろうが、菊乃こと清水美砂はこの映画に無くてはならぬもう一人の主役そのものだ。
 磨き抜かれた彼女の演技力は、この作品に重厚味すら加えている。
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 熊井啓監督といえば、二つのイメージが浮かぶ。
 その一つは社会派監督としての顔だ。
 終戦3年後。復興の道を歩む日本社会を震撼させたあの事件は、私の誕生日に起こっただけに未だに忘れられぬ。
 「帝銀事件 死刑囚」で、黒木監督の鋭い眼光は、社会に抗議する家族にも当てられていた。「逃げても隠れてもどんどん追ってくる」。と、容疑者家族に注がれるその暖かい目線に私は注目したい。
 監督の視界は、その後も「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」「海と毒薬」「日本の黒い夏 冤罪」と続くことになる。

 監督のもう一つの眼は女性に向けられた。
 雪国に響く馬橇の鈴の音が、素裸の初夜を美化する「忍ぶ川」。
 祖国に背を向ける、からゆきさんの墓に泪した「サンダカン八番娼館 望郷」。

 これらの作品を黒澤明監督は評価して居たと漏れ聞く。
 「脚本は黒澤監督が撮るつもりで書いた初稿なので、今回は熊井監督が撮りやすいように直して欲しい」。黒澤プロからの要望通りに熊井監督は撮ったと思う。

 一つは黒澤哲学への敬意だ。
 黒澤明監督は、この映画のために多くの絵コンテを残されて居た。
 
 熊井啓監督は、数々の画面構成の中に、その意志を尊重された跡が分かる。
 

 もう一つは自己哲学の主張だ。
 清水美砂の胸の透くような快演の中に、私はそれを垣間見ることが出来る。
 [私の評価]可成りの意欲ある佳作。
 2002年.日[監督]熊井啓[撮影]奥原一男[音楽]松村禎三[主な出演者]遠野凪子。清水美砂。吉岡秀隆。永瀬正敏[上映時間]1時間59分。

 昨日は好天で菜園作業に精を出した。
 背丈が伸びてきた豌豆は、紋白蝶のような白い花を咲かせていた。
 

 野菜高騰の折から順調に生育を続けるキャベツも収穫が待ち遠しい。
 

 そんな加減で映画鑑賞は無し。
 今日は過去の鑑賞記に、記事を更に追加してupしました。
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E.T.

2010-04-08 11:55:05 |  映画(イ~ウ)

 少し古い話になる。当家の購読紙は去年の夏休みに「夏休みに見せたい映画」を挙げていた。そのNo.1だったのがこのスティーヴン・スピルバーグ作品。
 「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」と共に私のスピルバーグ・ベスト3でもある。
 「猿の惑星」「転校生」と共に、私の選ぶSFジャンル・ベスト3の一角をも占める。
 にも拘わらず、何故か、書き忘れていたのに気が付いた。

 「エリオットだ」…「コーラだよ。飲める?」…「これはオモチャ」の問い掛けに、言葉が返って来た。
 「E.T.」…「ウチ」…「デンワ」。と。
 それが、「子供だけに見える」心の交流に広がってゆくプロセス描写が素敵だ。
 と、書きかけたものの、あまりにも有名な映画ゆえ、通り一遍の言葉を今更書いても始まらない。と、気付いた。

 ここは、いま、ふっと、浮かんできた“美”ということに焦点を絞って書き足してみよう。
 はっきり言って、E.T.の姿は醜い。グロテスク過ぎるかもしれない。然しである。此処で目線を転ずれば、そうだからこそ、たとえ見かけは醜くても、心は清く豊かに以て、生きとし生けるもの。人間をも含む虐げられし生物。弱き人々などに対する、温か~い心根の必要性。重要性を感ぜずには居られなくなる。のではないかと、思えて来た。

 

 もし、E.T.が、美男子の宇宙人だったとしたら、ここまでの感動は生じなかったのではないだろうか?。
 「人間の心臓も、蛙の心臓もよく似ている」との講義の言葉が妙に耳に残る。学校での理科の実験で、材料の蛙を解き放つエリオットに拍手を贈りたくなった。
 と、いい恰好を言ってはみても、やはり、見かけ上のE.T.は醜いことには間違いはない。古今東西より、人間は美を愛す。

 その緩和に、花を愛するE.T.と設定したのは、メリッサ・マティスンの脚本だろうか?。スピルバーグ監督は、ガーティーとE.T.との花を通じての交流を微笑ましく演出した。
 萎れる花に気が付くガーティー。活き活きしてきた花に喜びを表すガーティー。
 別れに花を贈った彼女は、形の醜いE.T.と熱い口づけを交わす。渓谷を流れる清水のような清々しさで。

 

 「行コウ」…「行ケナイ」…「イタイ」。
 スティーヴン・スピルバーグ監督は、童心の眼を通して、美と愛の世界を垣間見せて呉れた。
 ふうわり空中に浮かぶ自転車に、心からの喝采を贈るのは、私だけでは無い筈と信じる。
 かぐや姫を思い出す。美しきものは天に昇る。

 [私の評価]紛れなき秀作。
 1982年.米(ユニヴァーサル)[監督]スティーヴン・スピルバーグ[撮影]アレン・ダヴィオー[音楽]ジョン・ウイリアムズ[主な出演者]ヘンリー・トーマス。ロバート・マクノートン。ドリュー・バリモア。ディー・ウォーレス[原題]E.T. THE EXTRA-TERRESTRIAL[上映時間]1時間55分。

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