アスカ・スタジオ

2011/9/1以降の映画記事は「八十路STUDIO」=(同一人管理blog)とリンクしました。

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遊星からの物体X

2011-08-23 11:20:11 |  映画(ムメモ&ヤ行)

前置き。
 「遊星からの物体X」という訳題を見た時、「何時か何処かで同じような題名の映画を見たなぁ」と思った。遠い記憶と記録を辿って行き其れが判明。「遊星よりの物体X」(1951年)のリメイクだった。
 「決断の3時10分」と、「3時10分、決断のとき」は、どちらがオリジナル?というクイズなら、片方が最近の作品だけに答えられそう。だけど、「地球が静止する日」と「地球の静止する日」は、どちらがリメイク?と咄嗟に聞かれれば「うう~ん」と唸ってしまいそうだ。

本論(と言う様な大袈裟な文に非ず)。
 「決断~3時10分…」や、「シャーロックホームズ」も同様だが、時の流れは“静”から“動”に変わっている。昨夜TVで見た「シャーロックホームズ」でもそれを痛感。此の映画も“静”のオリジナルに対して、炎が燃えすぎるぐらいの“動”のリメイクだった。
 オリジナルは確か北極だったが、今回は南極が舞台。しかし内容は似た面も見受けられる。遥か昔、地球に来た物体Xは、地球の生物体に入り込み、やがて地球は彼等に征服される運命にあった…。という概要。

 変身途中の人間が火炎放射を浴びたりして、互いに不信感に包まれる南極基地隊員の恐怖が前面に出ていた。だけど、あまりに火炎放射器を使いすぎるのには些か食傷した。と言ってもオリジナルの方も、徒に会話が多くて些か食傷気味だった記憶が微かに残っている。
 何れが菖蒲、杜若。甲乙つけ難いところ。

後書き(=私の独り言です)。
 この作品は、あまり書くことがないので、前置きで書いた
①「決断~3時10分…」の2本。
②「地球○静止する日」の2本。
③「遊星○○の物体X」の2本。
の各々について、原題も少し違っているのか、それとも同じか調べてみた。
 やはり、そうだったか。よく似た訳題になる筈。

 [私の評価]オリジナルより稍ましなれど、凡作。
 1982年(2011/8/6TV録画観賞=初見).米(ユニヴァーサル)[監督]ジョン・カーペンター[撮影]イ゛ィーン・カンディ[音楽]エンニオ・モリコーネ[主な出演者]カート・ラッセル。キース・デイヴィッド。ウィルフォード・ブリムリー[原題]THE THING[上映時間]1時間49分。

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山桜

2011-05-28 16:29:14 |  映画(ムメモ&ヤ行)

 『花のあと』に引き続き観たこの藤澤時代劇。前者よりレベルは高いと感じた。西部劇に銃捌きが必趨な如く、時代劇にも剣捌きが肝要。然し前者はそれに重心が傾き過ぎたと思う。更に、腕が立つとは言え女性が4人の侍を斬り捨てるのだ。
 父に拝領した脇差しの伏線が活かされたとは言え多少の違和感が残った。その点こちらは立ち回りは「あっ」という間に終えさせて、重心は寧ろ社会正義に置く。

 所々でキレ良い演出も垣間見る。光射す手塚弥一郎(東山紀之)の牢に続く、故郷に帰ってきた藩主の行列のシルエット。それが何を指すのか判るラストなど特に秀逸。
 無論ちょっと呟きたくなるようなショットもある。例えば実家に戻される野江(田中麗奈)が肩に掛けた大風呂敷。
 見るからに中身が空だと解る。重ければ肩からはだけそうなあのような掛け方は出来ぬもの。

 細かいことは止そう。篠原哲雄監督は「その時その時を大切に生きよう」と訴えた『はつ恋』で、親子三人最後の写真が限りなく美しい満開の桜で閉めたように、此処でも通俗的センチメンタリズムを排除する中に、東北の人々が待ち侘びる情感零れる山桜で終える。

 

 [私の評価]可成りの意欲を感じる佳作。
 2008年(2011/5/27TV録画観賞=初見).日[監督]篠原哲雄[撮影]喜久村徳章[音楽]四家卯大[主な出演者☆=印象]田中麗奈。東山紀之。篠田三郎。☆檀ふみ。千葉哲也。高橋長英。永島暎子。村井国夫。☆富司純子[上映時間]1時間39分。

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八つ墓村

2011-05-22 19:41:37 |  映画(ムメモ&ヤ行)

 再見ではあるが、覚えていたのは冒頭の戦国時代の惨劇と、秘かに洞窟に入る双子の老婆の姿程度。前者は余りに残虐残酷だったから。後者は、当然ながらあまりにもよく似た双子の婆さんであり、その怪奇的な描写も印象的だったからである。

 

 ということで初見に近い環境条件なので興味深く観賞出来た。中国地方の寒村に時空を超えて勃発するこの殺人事件。いったい何人の犠牲が出たことか。
 戦国時代から現世に切り替わって、テンポよくストーリーが進行していく。要所要所の見せ場も絞まり、ぐんぐん盛り上がる。そして再び戦国時代と現世の対比で終える。
 起承転結が鮮やかな申し分のない推理サスペンスだった。

 

 強いて付け加えたい一言を探すならば、
①金田一耕肋がいとも簡単に犯人を見つけてしまうことである。あちこちと各地を飛び回っては居るものの、そんなに苦心した形跡も見当たらない。
②犯人の周辺にそれらしき匂いを発散させるような、伏線的雰囲気描写も皆無に近い。
 ということから、そういう描写が欲しかったということである。

 [私の評価]準佳作。
 1977年(2011/5/20TV録画観賞=再見).日(松竹)[監督]野村芳太郎[撮影]川又昂[音楽]芥川也寸志[主な出演者]萩原健一。小川真由美。山崎努。山本陽子。市原悦子。山口仁奈子。加藤嘉。大滝秀治。渥美清[上映時間]2時間31分。

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八日目の蝉

2011-05-08 20:31:17 |  映画(ムメモ&ヤ行)

 久し振りの劇場鑑賞。この映画を選んだ理由は、母の日のプレゼント持参を兼ねて次女の墓参に来た長女の希望による。(トップ画像は3人のチケット)従ってこの映画に対する私の事前知識は皆無だった。
 現在公開中の作品はネタバレ防止のため、特にストーリーに関連することは多くを述べぬ主義なので簡単に記すつもりだが、もし違反していたら蒙御免。

 題意は見ているうちに分かってくる。結論は、このデジタル時代にアナログの匂いがするような佳品だった。写真店でのエピソードを始め、フラッシュ・バックの巧い用い方が目立った。
 「ママ、お星様の歌を唄って」「♪お星様キラキラ~」「違う」困り果てる恵津子。
 正解は「♪見上げてご覧~夜の星を~」だったことが後で分かるところなど、特に秀逸。

 

 小豆島は行ったことがある。波止場はじめ懐かしい風景が心を慰めてくれた。個人的には哀しい思い出も残る島だが、時の流れはそれをも忘却の彼方に追い遣りそうだった。長女はどうだったろう?。亡き次女への想いも時が癒して呉れるか。そっと傍らの妻を気遣う。

 そのように私心を癒やしてくれるぐらいに撮影は佳良。特に地元のあの火祭り風景は印象に残る。それがまた結末への伏線にもなっているから余計にである。
 「二十四の瞳」の分教場再現のワンカットも心の癒しに一役買ってくれた。脚本演出等関係スタッフは、あの不朽の名作に心したのだ。と思う。

 宗教団体での生活を始め、プロセス描写も丁寧。実際にあった二つの社会事件も思い起こさせるリアリティさも兼ね備えていた。
 誘拐犯が怒る両親に謝らぬ訳が次第に理解出来てくる。
 その反面で、何故にそこまで誘拐した子に愛情を注ぎ得たか?との疑問も生じる。
 もし、この矛盾さえ解決されれば、少し生意気な言葉だけど、私の採点はもう一段階挙がったことだろう。

 [私の評価]佳作。
 2011年(2011/5/8観賞=劇場鑑賞/観客50%).日(松竹)[監督]成島出[撮影]藤澤順一[音楽]安川午朗[主な出演者]井上真央。永作博美。余貴美子。田中泯。森口瑤子[上映時間]2時間27分。

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メトロポリス

2011-01-29 18:24:30 |  映画(ムメモ&ヤ行)
 昨日の当家購入紙は、昨年映画界の好況を報じて居た。「アバター」が代表する3D映画が主因だが、楽観は許さないと閉めている。
 こう言う時こそ映画のルーツともいうべき作品を鑑賞するのも有意義と思う。
 1902年のフランス映画ジョルジュ・メリエス監督「月世界旅行」は未見だが、やっと「メトロポリス」を観られた。

 冒頭のメッセージに驚いた。フィルムが25%以上消失しているのだ。それでも現存するフィルムは、驚異的なSF映像を見せてくれた。発明家ロートワングがマリアの偽者を作るシーン等だ。あの「スター・ウォーズ」を連想するショットさえ在った。

 

 それだけではない。この映画には、思想が在った。「頭脳と手を繋ぐものは心でなくてはならない」が、そのテーマ。
 六角星の印が屡々出る。宗教色も前面に押し出されていた。
 ロマンもある。ヘルの出現だ。

 

 フレーダーは、マリアを探しにバベルの塔へ。サイレント映画はパントマイム的演技で充分補える。
 メトロポリスの支配者フレーダーセンは「息子を見張れ」と号令。ヨシワラという固有名詞が出たのには驚いた。
 この辺りは芝居調。そういえば第2幕という字幕も出たっけ。映画の元祖は演劇だったとも再認識させられた。

 [私の評価]この時代に驚異的な優れた作品です。
 1927年(29公開).独[監督]フリッツ・ラング[撮影]カール・フロイント[音楽]ゴットフリート・フッペルツ[主な出演者]アルフレッド・アベル。グスタフ・フレーリッヒ。ブリギッテ・ヘルム。ルドルフ・クライン。[原題]METROPOLIS
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吉野の盗賊

2010-11-23 18:24:55 |  映画(ムメモ&ヤ行)

 今日は映画未鑑賞。過去の鑑賞記(トップ画像=1955年12月20日.尾花劇場にて鑑賞)を、コピー。
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 異色といえば異色時代劇ともいえる。しかし失敗作である。第一にタッチが荒々しい。
 緑なす山野を足音高く駆けめぐる馬に乗った盗賊団を主題にして、黛敏郎の力動的な音楽と共に、西部劇的な雰囲気をかもし出したのも、封建社会の中に雄々しく立ち上がった武家生まれの嫡子が、最後に平和な世界を頭に浮かべて死んでいくラストも、通俗時代劇に見られぬ試みは認められる。
 迫力も良く盛られて居る。しかし全体を眺めてみた時、何ともまとまりが充分で無い。具体的にゆうならば、くどくどしい。はがゆい。何故同じ様な意味の場面を何べんも何べんも見せるのか。もっと時間を短く出来る筈だ。
 右門を何故文殿芝は切ってしまわないのか。鶴田浩二は相変わらず大根的で素人にも演技が下手だと分る。高田浩吉もスター扱いで、余りに強すぎる。久我美子はさすが良い芸を見せるが、此んな映画に出て居るのが勿体ない。
 が、異色的な試みを買って-水準作-。
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 いま読み返すと、青二才の分際で、よくもヌケヌケと書いたものだ。あの大俳優鶴田浩二さん、御免なさい。
 知名度の低い映画と思う。室町時代末期。「吉野の盗賊」と呼ばれる野盗団の物語。彼らは長者の館のみ狙った。頭目は大和国高市庄の守護代鏑木家の嫡男鏑木主水丞。
 という概要の映画。大和国高市庄附近には、高取城があった。
 歩こう会で行ったことがある。昔の面影が偲ばれた。

 

 [私の評価]中の上。
 1955年.日(松竹)[監督]大曽根辰保[撮影]石本秀雄[音楽]黛敏郎[主な出演者]高田浩吉。鶴田浩二。久我美子。御橋公[上映時間]1時間48分。

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めぐり逢えたら

2010-11-14 19:45:13 |  映画(ムメモ&ヤ行)
 妻に先立たれたサムと、一粒種ジョナーの会話にジンと来る。
 「魂はあるのかも」
 「ママを忘れそうだ」。
 涙雨に煙るシアトルの街から発せられたジョナー少年の声は、救いの女神に通じる。ボルチモアのアニー記者だった。
 ニユーヨークのエンパイア・ステート・ビル展望台に到るお話は、如何にも女性監督らしいセンスに充ちて滑らかに進む。

 

 「♪虹の彼方に」や「♪スターダスト」等、流れる音楽もタイミングが効果的。
 少々甘味を帯びるも、「めぐり逢い」よりも「特攻大作戦」に泣くという件り等、笑いも適度に鏤める。
 「映画の見過ぎ」という台詞には、参った、参った。
 先の展開が読めるストーリーながら、是と云った欠点も見せず、人情の深みを加えて纏め上げている。

 [私の評価]清々しく快い佳作。
 1993年.米[監督]ノーラ・エフロン[撮影]スヴェン・ニクヴィスト[音楽]マーク・シェイマン[主な出演者]トム・ハンクス。メグ・ライアン。ロス・マリンジャー。ビル・プルマン。ロブ・ライナー。ロージー・オドネル[原題]SLEEPLESS IN SEATTLE[上映時間]1時間45分。
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善き人のためのソナタ

2010-11-06 10:17:00 |  映画(ムメモ&ヤ行)
 ベルリンの壁が崩壊した時のドイツ国民の歓喜が、この映画を観てよく分かった。物語が始まる壁崩壊の5年前。「ブルジョワの象徴」とネクタイの結び方さえ知らぬ東独の男性に驚く。
 そんな彼等を取り調べるシュタージの洗練さもまた驚異。「無実なら抗議する。でなければ泣く。全く同じ表現を繰り返す」。
 盗聴、尾行、捜索。徹底された監視。上層部の絶対権限。本当に自由が無かったのだなぁ。

 音楽は革命の邪魔だと。脚本、演出、出演。総て彼等が決める。反抗者の先には、執筆停止。出演停止。が待っているのだ。
 監視者にも上層部の眼は光る。「失敗すれば銃殺」の台詞に愕然とする。

 そのような環境の中で、党に忠実なヴィースラー大尉が、次第に心境に変化を兆してゆくプロセス描写が秀逸。扮するウルリッヒ・ミューエの渋い演技が燻銀のように鈍く光って見えた。

 

 [私の評価]秀作です。
 2006年(07公開).独[監督]フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク[撮影]ハーゲン・ボグダンスキー[音楽]ガブリエル・ヤレド/ステファン・ムーシャ[出演者★=好演]★ウルリッヒ・ミューエ。マルティナ・ゲデック。セバスチャン・コッホ。ウルトリッヒ・トゥクール。トーマス・ティーメ[原題]DAS LEBEN DER ANDEREN[上映時間]2時間18分。
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 昨日は秋晴れの快晴。「屋外に出て歩かねば」と、11/7で終了する平城遷都1300年祭に、二度目の道行き。広大な広場も一杯の人だったが、大極殿も待ち時間の行列。内部も盛況を極めていた。

 
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余命1ヶ月の花嫁

2010-11-04 12:17:39 |  映画(ムメモ&ヤ行)
 内容は概ね想像がつく。悪いけど何時もは振り向かぬ作品。だが今回は違った。身近に目下治療中の乳ガン患者が居るから。その結果は。
 娘の父親を演じている柄本明の一挙一動に私の眼は終始没頭した。いま同じ立場に立たされている人間だから自然とそうなる。

 

 一つ一つの映画に対する各人の感想は違って当然ということも再認識した。これが最大の収穫である。
 内容は、確かに多少はセンチメンタルで、甘い。でも、寅さんじゃないけど、そう言ってしまえばお終い。もし、そう言われたとしたら、それがどうした。と言い出し兼ねない心境になる自分が居た。
 このことを肝に銘じたい。一つ一つの映画について、自分と異なるレビューについては、その方の心境にもなって、立場を変えた視野から観る眼も備えたいと思う。
 閑話休題。
 結婚するまでの瑛太の抑えた演技が印象に残るので、式のシークェンスにも慟哭はなかった。予想外の内容で満足した。

 

 [私の評価]準佳作。
 2009年.日(東宝)[監督]廣木隆一[撮影]斉藤幸一[音楽]大橋好規[出演者(★=好演)]榮倉奈々。★瑛太。柄本明。手塚理美。大杉漣。安田美沙子[上映時間]2時間9分。
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目白三平…小林桂樹さんを追悼して…

2010-09-25 15:13:03 |  映画(ムメモ&ヤ行)
 1955年6月27日の鑑賞記を以下に転記。
-----------------
 サラリーマン映画も数々出たが、この映画が初めて水準を抜いたのではあるまいか。第一人称の説明を主体として、定年間近い一サラリーマンの、貧しい生活の中に生きていく現実の姿をよく捕らえている。
 この映画の中には、源氏鶏太氏の小説の小説のようなユーモア的、架空的な物語は存在しない。(私は源氏鶏太氏の小説のユーモアを愛する一ファンであり、毫も鶏太氏を貶しているに非ず)
 現実に私達が毎日遭遇している様々な出来事。借金、宝籤、雨漏り、付合い、ボーナス等、が胸に思い当たるようにひしひしと描いている。
 サラリーマンの宿命、ペーソスが滲み出ている。
 そして、元気に生きよ、金が無くても。と教えているのである。
 -以上-
 [私の評価]中の中。1955年.日[監督]千葉泰樹[撮影]西川庄衛[音楽]芥川也寸志[主な出演者]笠智衆。望月優子。小林桂樹[上映時間]1時間32分。
---------------

 今月11日に谷啓さん。16日には小林桂樹さんが不帰の人となられた。
 谷啓さんは「釣りバカ日誌」の佐々木課長が印象深い。

 小林桂樹さんは数多くの作品に出演され枚挙の暇がない。私が印象的なのは
①1955年「ここに泉あり」(今井正監督)で、太平洋戦争終戦後の群馬県高崎市に市民オーケストラ誕生をと辛苦を重ねた井田亀夫さんを演じられた小林桂樹さんである。そういえば確か、高崎市のご出身だった。

②翌年(1956年2月11日)京洛劇場で観た「驟雨」(成瀬巳喜男監督)の小林さん、
③(同年9月26日)セントラル劇場で観た「兄とその妹」の小林さんも、なかなかのものだった。

④成瀬巳喜男作品では1958年「鰯雲」では、「流石に貫禄を示す」。
⑤1960年「黒い画集/あるサラリーマンの証言」の鑑賞記では、「石野貞一郎は、部下、梅谷千恵子と情事の帰途に、近所の保険外交員、杉山と遭遇、会釈を交わす。「そんなに親しくもないのに何故挨拶したのか?」不吉な将来を予感する石野。演じる小林桂樹は此処から、持ち味を発露させてゆく」と書いているが、熟演とは此の事也と思った。

⑥また1961年「名もなく貧しく美しく」の鑑賞記では「高齢者の実際を体験するために、脚に錘を付けて生活した方の体験談があった。その人の身になり切るということは至難の技である。高峰秀子と小林桂樹は、そういうことを充分にわきまえて演じているのがありありと分かる」と記しているのが印象深い。
⑦1971年「激動の昭和史/沖縄決戦」で戦争犠牲者へのレクイエムを経て、21世紀に入っても、ご活躍は留まることはなかった。

⑧2000年「老親」でも老人痴呆症問題に取り組まれた。
⑨私が小林桂樹さんを観た最後の出演作品は2003年「母のいる場所」これも或る有料老人ホームが舞台の映画だった。

 その時代、時代に応じた問題意識に取り組まれた小林桂樹さんだった。
 地味な方だったが、派手さにない渋さが光った。

 下の写真はどう見ても主役は派手な薔薇。
 

 だが、ちょっと場所を置き換えるた下の写真は、地味なコスモスが主役に見える。
 

 小林桂樹さんは、コスモスのような人だった。
 合掌。
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約束の旅路

2010-08-07 12:28:26 |  映画(ムメモ&ヤ行)
 1964年。東京オリンピックでも、4年前のローマに次いで優勝。マラソン二連覇を果たしたエチオピアのアベベ・ビキラ選手。エチオピア高地での練習は裸足だった。と聞く。
 それから20年後。当地を離れイスラエルに赴く幼年の男児が居た。数多くの映画がそうである様に、この映画のテーマも‘愛’。なかでも、親子間の愛と恩讐に重きを置いているのに注目したい。
 裸足で育てた我が子を、見も知らぬ遠い地に送り出す母。ユダヤ人と偽らせ、偽りの母を作って迄実行させるその心境は如何ばかりだったろう。

 たとえ如何なる波瀾万丈の人生であろうとも、固く結ばれた血の絆は絶対に切れぬ源此処にあり。と思わせる。「ファラシャと結婚すると、白人の女は黒人になる」という台詞を聞いた。
 ファラシャとは。モーセ作戦とは。この映画で初めて知った言葉であり、出来事である。地域的にも、人種的にも、宗教的にも、歴史的にも、多少解り辛い面があったので、起承転結の‘起’に当たる此のパートでは苦労した。

 

 主人公の幼年、少年、青年、各時代を三人の俳優が演じている。
 ‘承’に入る。シュロモと名付けられた少年は、義母と義父により育まれる。実娘サラと変わらぬ愛情を注がれつつ。
 パリに自己の進路を求めた‘転’。を経て、逞しい青年に成長したシュロモは、「愛に危険はつきもの」の台詞に代表される‘結’に直面する。
 
 「10年待ったわ」と訴えるサラとの葛藤に苦悩するシュロモ。
 そして、裸足になって、実母の許に走るシュロモ。
 高揚の中に陰影籠もるエチオピア高地ではあった。

 [私の評価]佳作。
 2005年(07公開).仏[監督]ラデュ・ミヘイレアニュ[撮影]レミー・シェヴラン[音楽]アルマン・アマール[主な出演者]モシェ・アガザイ。モシェ・アベベ。シラク・M・サバハ。ヤエル・アベカシス。ロシュディ・ゼム。ロニ・ハダー[原題]VA, VIS ET DEVIENS[上映時間]2時間29分。

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甦る熱球

2010-08-05 12:01:03 |  映画(ムメモ&ヤ行)

 いつもの事ながら、見難くて読み辛いトップ画像文なので、若干修正して下記に転記する。
-----------------
(52)甦る熱球 MGM James Stewart . June Alyson
. 古い映画(*1)らしく、古い方のMGMのロゴ(*2)だった。そしてこれは「グレン・ミラー物語」「戦略空軍命令」で、夫婦を演じて好評なスチュワート、アリスン御両人の初共演映画でもある。
 二人はさすがに現在より若く見えた。野球界のエースとなったスチュワートが、不幸、足を失ひ、一時は絶望しつつも、妻や母の愛と、自らの再生力で、見事、オール・スター戦に登場、完投勝利する迄を描いたもの。
 その最後の野球シーンは、正に感動的だった。これは実話(*3)であるとの事だが、全く作り気と言うか、そういう気分は毫も出さず、真剣極まるものであった。
 又最後に第三者が言う言葉「彼の勝利は、それのみならず、人生を歩むものの、あらゆるものの模範である」に、ぐっと胸に込み上げるものを感じつつ、幕が下りるのを見ていた。
-----------------
 先ず、補足説明。
(*1)古い映画といっても1949年の映画。その6年後に鑑賞した。
(*2)少なくとも1949年代迄は、Metro Goldwyn Mayerの表示位置が下部だったと思う。
(*3)1930年代に米大リーグで活躍したと聞くモンティ・ストラットン投手の伝記。

 かっての名投手も酒に溺れば身の破滅。今は浮浪の身に成り果てたバーニーに巡り会えたのが、モンティの転機となった。誰もが体験する出会い。それが人生に与える影響は大きい。とつくづく感じる。
 モンティ二番目の出会いは、エセル。彼女との結婚。幸せばかりでは無いのが人生。時には、予期せぬ不幸が襲う。モンティの場合は、休暇中に起こった狩猟銃の暴発だった。
 失った片足。義足で再びマウンドに登る迄の、彼の努力と、妻の協力には、胸奮わせるような感動が湧いて来たのを今も思い出す。

 [私の評価]可成りの意欲ある佳作。
 1949年(1955年8月28日鑑賞).米(MGM)[監督]サム・ウッド[撮影]ハロルド・ロッソン[音楽]アドルフ・ドイッチ[主な出演者]ジェームズ・スチュワート。ジューン・アリスン。フランク・モーガン。アグネス・ムーアヘッド[原題]THE STRATTON STORY[上映時間]1時間46分。
**************************

 うだるような連日の暑さ。昔は、ニッパチという言葉があった。2月と8月は、興行的にも枯れる月と聞いた事を思い出す。過去の8月に映画館でどんな映画を観たか調べてみた。明らかに年月日を記した映画が34本あった。その中から選んだ10本が下記。

①「巴里のアメリカ人」1954年8月4日.京都京洛劇場。
②「これがシネラマだ」1955年8月14日.大阪OS劇場。


③「あの手この手(洋画)」1954年8月16日.京都宝塚劇場。
④「情炎の女サロメ」1953年8月31日.京都宝塚劇場。
⑤「加藤隼戦闘隊」1944年8月30日.飛鳥国民学校。 

⑥「日本かく戦えり」1956年8月31日.奈良友楽大劇。
⑦「裸足の伯爵夫人」1955年8月2日.京都公楽小劇。
⑧「蘇る熱球」1955年8月28日.奈良友楽洋劇。
⑨「外人部隊(リメイク版)」1954年8月2日.京都朝日会館。
⑩「PLANET OF THE APES 猿の惑星」2001年8月8日.奈良シネマデプト友楽。

 以上の中から未レビューの⑧「蘇る熱球」をupした。

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胸に輝く星

2010-07-21 17:39:31 |  映画(ムメモ&ヤ行)
 四面楚歌のモーグ(ヘンリー・フォンダ)が、ノナ(ベッツィ・パーマー)の母子家庭と巡り会うプロセスは「シェーン」を思わせる。キップ少年に扮するマイケル・レイは、この前年、秀作「黒い牡牛」でも主役を演じて居た。なかなかエネルギッシュな子役である。
 これに、ベンに保安官を止めさせようとするミリーの挿話が絡む。彼女の言うことを聞かぬベンに、怒って部屋を出るミリー。扉のバタンという音に「女は怒ると直ぐにドアに当たる」は傑作。
 でも、ミリーの判断は当然なのである。保安官として未熟なベンは、「昔バッジをつけてた」というモーグに教えを請う。ベンに扮するアンソニー・パーキンスは、初々しさが出ていて、役に嵌っている。
 「手が下に→降伏。上に→撃つ」。「自信。1発で決めろ」。と説明しつつも「撃ち方を覚えるより人間を知る」を説くモーグだった。ヘンリー・フォンダの風格は、いつもの通りで事改めて言うことはない。

 

 「先住民は目の仇にされるから」の台詞が心底に響く。ノナの亡夫は先住民だった。
 西部劇の目玉も周到に用意されている。アウト・ドアでは、山岳地帯の戦いも、立体感在る秀逸な撮影で光る。
 イン・ドアでは、悪党ボガーダス(ネヴィル・ブランド=好演)が、乱入して来る音。さっと灯火を消すモーグが鮮やかだ。

 結末はお決まりのハッピー・エンドとは相成るが、ベンとの願いが結実し「心配ばかりの人生ね」と囁くミリーの台詞が、伏線が効いていて清々しい。
 地味ながら、題名にも象徴されるようなオーソドックスな手法が、かえって素直さが前面に出て、好感を持てる。

 [私の評価]佳作。
 1957年.米(パラマウント)[監督]アンソニー・マン[撮影]ロイヤル・グリッグス[音楽]エルマー・バーンスタイン[主な出演者]ヘンリー・フォンダ。アンソニー・パーキンス。メアリー・ウェブスター=ミリーMillie。ベッツィ・パーマー。マイケル・レイ。メアリー・ウェブスター。ジョン・マッキンタイア。ネヴィル・ブランド[原題]THE TIN STAR[上映時間]1時間34分。

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幼獣マメシバ

2010-06-19 17:32:05 |  映画(ムメモ&ヤ行)
 パソコンで毎日ブログを愉しむ二郎だった。だが突然、不幸が襲う。父の死。その後を追うように、母の家出…。身内に不幸が重なる事が不思議に在る。私も毎年不幸が襲った子供時代を思い出してしまった。
 特に、父の死という共通性は、二郎に同情の念を湧かせる。家に閉じ籠もりがちだった彼の生活を変えさせたもの。それは、マメシバと、可蓮との出逢いだった。ロードムービーって、ひょんなことから始まるんだなぁ。

 

 主人公を演じる佐藤二朗。なかなか個性的な好演だ。イントネーションを語尾で軽く揚げ‘ウン’と小さく囁く台詞を連発する。なかなか味がある。
 マメシバもまた、ものこそ言わねど、泳ぎも巧くて、その可愛さは準主役か。存在感抜群で微笑ましい。
 然し乍ら、私だけかもしれぬが、母が家出した訳に、ちょっとした無理を感じる。それを具体的な言葉で言い表せないのが残念だけど。
 現実感、臨場性、盛り上がり、といった要素にも稍欠けるような気もした。

 [私の評価]中の中。
 2009年.日[監督]亀井亨[撮影]中尾正人[音楽]野中“まさ”雄一[主な出演者]佐藤二朗。安達祐実。藤田弓子。笹野高史。石野真子。[上映時間]1時間46分。

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許されざる者

2010-05-19 11:31:16 |  映画(ムメモ&ヤ行)
 「父さんは人殺しだったの?」と呟くマニーの子が可哀想でならなかった。
 地平線の彼方に連なるワイオミングの山並み。その昔、あのシェーンが去っていった地を、今、マニーが旅立つ。
 「母さんが護っている」と言い残して。
 幾歳月使っていなかった拳銃だった。柵の上の缶に向かって試し打ちしてみた。その腕は衰えていなかった。


 そのマニーと今、連れ立つ旧友ネッドが居た。
 夫を見送るサリーが可哀想でならなかった。
 ただ突っ立った儘。一言も発せず。天を仰ぐその眼は光っていた。見事なり。この伏線。


 「過去も未来も消し去る」…。引き金を引くことが人生と嘯くキッドが居た。
 自慢のスコフィールド銃だった。
 以上の三人が向かう先。


 其処はビル・ダゲット保安官が牛耳る街。目的は、娼婦を虐げたカウボーイに対する仇討ち。…という、こんな娯楽性豊かな西部劇をクリント・イーストウッド監督が、20世紀末に撮ったのに驚く。
 この映画の2年前「ダンス・ウイズ・ウルブス」を観た時、20世紀の米国映画史に燦たる歴史を誇った正統派西部劇は、其の幕を閉じたといって差し支えないだろう。と私は書いていた。

 従ってこの映画は未見だった。でも、観て佳かった。
 イーストウッドが不遇の時代。彼に手を差し伸べたドン・シーゲルと、セルジオ・レオーネに捧げた映画と漏れ聞く。
 「許されざる者」は、あのキッドが立ち去る時の「もう止めた」に象徴するように、銃暴力否定を主張しもって、西部劇を終焉に導いたのかもしれない。

 21世紀の今、20世紀の佳作「決断の3時10分」のリメイク「3時10分、決断のとき」(2007年)以外、これといった西部劇は見当たらない。

 [私の評価]可成りの意欲ある佳作。
 1992年(93公開).米(WB)[監督]クリント・イーストウッド[撮影]ジャック・N・グリーン[音楽]レニー・ニーハウス[主な出演者]クリント・イーストウッド。ジーン・ハックマン。モーガン・フリーマン。リチャード・ハリス[原題]UNFORGIVEN[上映時間]2時間11分。

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