しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ヨナ書1章 <ヨナの頑固さ>

2018-11-27 | ヨナ書

梅田「主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」(ヨナ1:17新改訳)

ヨナ書は、何となくユーモラスな感じを抱かせるという意味で、異彩を放っている。とはいっても、記されている内容と、それが示す人の頑固さは非常に深刻でもある。また、主イエスがご自分の生涯をあらわすしるしとして、ヨナに言及しておられることは注目に値する(マタイ12:40、ルカ11:30)。▼いずれにしても、ヨナが大魚の腹の中に三日三晩いて死ななかったのは神のみわざというしかない。なぜなら、魚の腹中には消化液があり、どんな生き物でも溶けてしまうのがふつうだからだ。しかし彼は三日も生存し、体も損なわれず、そこから天の神に向かって悔い改めの祈りをささげたとは驚きである。▼まちがいなく彼は苦痛と死の恐れに囲まれ、極限的な状況に置かれた(2:5,6)。同時に神がいかに偉大な能力の持ち主であるかも実感したことだろう。深海の生き物すら神の支配下にあることを、極限状況のもとでヨナは悟ったのだ。私たちも大いなる賛美をもって主をほめたたえたい。◆本書のテーマをあらためて考えると、それは「人の心に抱く正義感が、常に正しいとはかぎらない」であろう。彼はイスラエルを愛し、その敵を憎むことにおいて人後に落ちない預言者であった。燃える愛国心に生きていたともいえる。それだけに、最大の敵アッシリヤを利するような命令は、たとえ神が語られたことであってもゆるせず、従えなかったのである。彼の持つこの「偏狭さ」こそ、心の邪悪性の現れであって、イエスを十字架に追いやった祭司長やサンヒドリン議員たちも抱いていたものである。◆ヨナはこの問題を乗り越えられなかった(→4章)。それはイエスの全き従順とあがないの死により、初めて明らかにされた福音を受け入れ、御霊のご支配の中で生きる時、私たちの人生に実現する「いのちの道」なのである。