しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <風は思いのままに>

2021-02-12 | ヨハネ福音書

「風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」(ヨハネ3:8新改訳)

人が救われ、キリスト者となることには御霊が深くかかわっておられる。それだけでなく、救われた人はすべてのことについて御霊の導きに従わずには生きられない存在である。▼さらに「風は思いのままに吹きます」とあるが、これは御霊が気まぐれな方という意味ではなく、キリスト者の人生に絶対的な権威を持っておられる、という意味である。ところが、私たち多くの信仰者は御霊の導きと支配に従おうとしないで、自分の肉の欲望のままに生きているのが現実ではないだろうか。だから神の栄光が現われるどころか、御名を辱しめることが多々あり、まことに残念というほかない。▼もし私たちが自己を捨て、完全に明け渡し、御霊の示されるままに従って行くなら、驚くべき神の栄光が現れるであろう。それはイエス・キリストが従順の子羊として地上を歩まれたことの再現となるはずである。◆ここでは、ユダヤ人で最高法院の議員、律法の教師という名誉ある人物、ニコデモの霊的無知と不信仰の頑なさがストレートに描かれる。だが主イエスは決して彼を笑ったり軽んじたりしておられない。それどころか16節をはじめとして、新約聖書中の宝石ともいうべき真理が次々と呈示されているのがおどろきである。主はニコデモがどんなに無知かつ不信仰でも、やがて眼が開かれることを予期して語っておられるかのようだ。御霊による新生の秘儀、十字架につけられたお方の死が告げる贖いの深さ、広さ、そして信仰と不信仰が人を分け、さばくという測り知れないおごそかさ、これらが語られたことのゆえに、私たちは救いの恩寵の重さを知ることになったのである。ニコデモの夜の訪問がなかったら、これらは展開されなかったであろう。