しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露<過越の食事>

2023-09-30 | ヨハネ福音書
「さて、彼らはイエスをカヤパのもとから総督官邸(そうとくかんてい)に連れて行った。明け方のことであった。かれらは、過越(すぎこし)の食事が食べられるようにするため、汚れを避けようとして、官邸(かんてい)の中には入らなかった。」(ヨハネ18:28新改訳)

ユダヤ人は異邦人の家に入ると汚れ、聖なる過越の食事ができなくなると考えていた。そこでピラトの官邸に入らなかったが、イエスのことは縄(なわ)でしばり、さっさと渡した。▼モーセ律法には、野外で死んだ動物の肉は汚れたものとして決して食べてはならない。自分を汚すことになるから。ただし、その動物は異邦人に売っても差支(さしつか)えないとある。つまり、イエス・キリストは汚れた動物のように異邦人に渡され、異邦人もまたこれを価値なき者として厭(いと)い蔑(さげす)み、犯罪人たちといっしょに十字架につけた。これが十字架刑の意味するところなのだ。▼ああ、主はすべての人間から、ぼろ雑巾(ぞうきん)よりも価値のない存在として捨てられ、始末されたのであった。このように、主の自己卑下(じこひげ)はおどろくべきものであり、徹底(てってい)の極(きわ)みである。このことがわかれば、どうしてイエスの十字架を涙なしに仰ぐことができようか。このご謙遜(けんそん)がなかったら、私たちの救いも永遠になかったのだ。