しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 1テモテ6章 <再臨の時を>

2014-10-25 | Ⅰテモテ

北海道の高速「私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。」(14新改訳)        

愛弟子テモテにおごそかな命令を与えるとき、パウロはつねにキリストの現われを意識する。たとえば「その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。」(2テモテ4:1同)というふうに。

理由は、主がピラトとカヤパの前で再臨を宣言され、十字架につかれたからである。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」(マルコ14:62同)

イエスが永遠の王として着座された御国がまもなく到来する、その切迫感と緊張感が初代教会を支配していたからこそ、彼らの宣教には力があった。もちろんこの意識は人為的に作り出すべきものでなく、聖霊によってもたらされるものである。終わりのとき、教会に襲いかかる睡魔を払いのけるため必要なのは、この切迫感と緊張感なのだから。

「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」(ルカ21:36同)
[写真:空いている北海道のハイウェイ]