しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ゼパニヤ書1章 <角笛とときの声の日>

2018-12-26 | ゼパニヤ書

ポインセチア「その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩の日、荒廃と滅亡の日、闇と暗黒の日、雲と暗闇の日、角笛と、ときの声の日、城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日だ。」(ゼパニヤ1:15,16新改訳)

直接にはユダに臨む滅亡の預言だが、ゼパニヤの筆はそれを越え、世界が味わう終末の苦しみについて述べている。理由はパウロも記すように、「不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているから」(ローマ1:18同)だ。▼神は私たちを永遠の滅亡から救い出そうとして、ご自身の愛子を惜しまずに十字架にわたされた。これを小さなことと見なし、罪を犯し続けていれば、あとに何が残るというのであろう。神の激しい怒り、ゲヘナの燃える炎しかないのは当然である。ゼパニヤはユダ王国、ヨシヤ王の時代に活動したが、すでに北方からの危機は濃厚になりつつあった。つまり、アッシリヤを倒し、バビロンが勃興(ぼっこう)しようとしていた。現代もそのとおり、人類が不信仰を悔い改めなければ、黙示録の時代が幕を開ける。◆ゼパニヤの時代、ユダ王国はダビデから18代目のヨシヤ王が治めていた。彼は26歳のとき、主の宮で見つかった律法の書を読み、ショックを受けた(Ⅱ列王記22:11)。当時のユダがあまりにも神のいましめから離れ、罪を犯して堕落し、このままでは審判を受けるしかない状態にあることを悟ったからだ。彼は衣を裂き、主の前でへりくだって泣いた(19)。その結果、王国最後の信仰復興が起き、滅亡のときが延ばされたのである。◆神の厳粛な審判が迫ったとき、必要なものは真実の悔い改めである。個人でも教会でも、さらに一国でもそれは同じだということを知らなければならない。御聖霊は、古い世界の崩壊が近づいた今、「声を大にして」悔い改めを全世界、特に教会に対してよびかけておられる。さばきは先ず神の家から始まらなければならないからだ。私たちも「呼びかけられている一人」であると、心から認めるべきではないだろうか。「だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。」(黙示録2:5同)、「だから、悔い改めなさい。そうしないなら、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦う。」(同2:16)、「だから、どのように受け、聞いたのか思い起こし、それを守り、悔い改めなさい。」(同3:3)、「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。」(同3:19)