しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <主よ、信じます>

2023-09-01 | ヨハネ福音書
「イエスは彼に言われた。『あなたはその人を見ています。あなたと話しているのが、その人です。』彼は『主よ、信じます』と言って、イエスを礼拝した。」(ヨハネ9:37,38新改訳)

生まれつき目の見えなかったこの人は、目の前に立つ人がキリストであることを信じた。これこそが真の奇蹟(きせき)であった。▼おおぜいのユダヤ人たちは、イエスをながめ続けて来たのに、その真の姿を認め得ず、信じなかったのに、彼ははじめて会った方を救い主と信じたのである。このことから、「目が見える」ということの本当の意味を、あらためて考えさせられる。▼私たちの多くは、生まれたときからこの世界を見、美しい野山や果てしない宇宙に浮かぶ星を、好きなだけ見て楽しむことができるし、それが当たり前だと思っている。だが、もし、それでもイエスを神の子、救い主と悟らないのであれば、じつは盲目なのである。そのみじめさ、悲惨な状態を自覚できないところに、余計(よけい)、あわれさがあるといえないだろうか。盲目だったこの人は、見えるようにされたとき、天地創造(てんちそうぞう)以上の幸せを手にしたのであった。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です(そこには新しい創造があります)。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17同)