しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 ゼパニヤ書2章 <高慢の罪>

2018-12-27 | ゼパニヤ書

ゼラニウム「これは彼らの高慢のためだ。彼らが万軍の主の民をそしり、これに向かって高ぶったからだ。」(ゼパニヤ2:10新改訳)

8~11節はユダ王国に隣接していたモアブとアンモン人に対する刑罰の預言。▼モアブ人の高慢は諸国に有名だったらしい。イザヤは、「われわれはモアブの高ぶりを聞いた。彼は実に高慢だ」(イザヤ16:6同)と言い、エレミヤも、「私たちはモアブの高ぶりを聞いた。実に高慢だ。その高慢、その高ぶり、その誇り、その心の高ぶりを」(エレミヤ48:29)とあきれている。今も周囲のひんしゅくをよそに、口を開けば自慢話をする者がいる。人々が心の中で眉をひそめているのも知らず、とうとうとしゃべる姿を見ていると、聖書にあるモアブ人はこういう姿をしていたのか思う。▼キリスト者は、高慢が悪魔の本質から発していることを肝に銘じなければならない。そして謙遜の徳をこよなく愛し、義と柔和に満たされることを熱心に求めるべきである。主の怒りの日にかくまわれるかもしれないから(3)。◆ところでモアブとアンモンの祖先はアブラハムの甥ロトである。アブラハムとロトの家畜が多くなり、いっしょにいることができず、両者は分かれることになった(創世記13章)。アブラハムはロトにゆずり、先に好きな土地を選ばせ、自分は後に回ったが、ロトはさっさと肥沃な地域を選んでそこに移動した。これは彼の自己中心と高慢、不敬虔がうかがえる態度であった。本来なら「とんでもない、おじさんこそ先に行くべきところを選んでください。私は甥ですから後になるのが当然です」と言うべきであったろう。◆しかしロトは肥沃な地域と町を選んだが、そこは悪徳の町々で有名なソドム、ゴモラがあった。そのため、ロトはやがてすべてを失う羽目になったのである。そして彼が自分の娘から生んだ民こそモアブとアンモンだったのだからおどろく(創世記19章)。ロトの子孫に脈々として流れる高慢という「遺伝子」、ここから自由になるには神への信仰に生きるしかない。そうしたのがモアブ人の貞女ルツであった。