「彼らはヨセフが話したことを残らず話して聞かせ、彼はヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見た。すると彼らの父ヤコブは元気づいた。」(27新改訳)
たぶんこのとき、ヤコブは子どもたちから十数年前の真相を知らされただろう。ヨセフをエジプトに売ったこと、動物の血を彼の晴れ着に塗ってうそをついたこと、等等。だが聞いたヤコブは、愛する息子が生きているとの知らせに圧倒され、怒ることを忘れたのかもしれない。
彼の一生はだまされ続けた一生であり、晩年になっても、打ち続く不幸に笑うことを忘れていたが、はじめて明るい光が差し始めた。なにしろ、死んだとあきらめていた愛子が生きていたのだ。イエス・キリストもこの喜びを語っておられる。「だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。・・・楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」(ルカ15:32同)
ヤコブの喜びと驚きは、失われたたましいに対する神の愛を彷彿させる。願わくば、私たちもこの愛に突き動かされ、救霊のためにいそしむ者でありたい。 [写真:ハマナスの実]