しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <ことばで過ちを犯さない人>

2022-07-16 | ヤコブ書

「私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。」(ヤコブ3:2新改訳)

人の口から出る言葉の罪深さについて、これほどはげしく鋭利な考察がなされている箇所は本章以外、聖書のどこにも見ることはできないだろう。ヤコブはキリスト者として、だれよりも言葉の聖別を追い求めた人であった。▼そもそも、ことばで過ちを犯さない完全な人はただひとり、ナザレのイエスしかおられない。だから私たちは聖霊によってイエス・キリストを心にお迎えする以外、守られる道はありえない。そのことは主ご自身も言っておられる。「木を良いとし、その実も良いとするか、木を悪いとし、その実も悪いとするか、どちらかです。木の良し悪しはその実によってわかります。まむしの子孫たち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えますか。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は良い倉から良い物を取り出し、悪い者は悪い倉から悪い物を取り出します。わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについてさばきの日に申し開きをしなければなりません。あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです。」(マタイ12:33~37同)▼人が地上生涯を終えたとき、なんと厳粛な日が待ち受けていることだろう。そこで私たちは一日を終えたとき、十字架の前にひれ伏して、その日に口から出した言葉をありのまま告白し、悔い改めるべきは悔い改め、血潮でおおっていただく必要がある。また自分が出した言葉により、だれかが深い傷を負ったことを知ったときには、心から和解することができるよう最善のことをすべきである(マタイ5:21~26同)。