しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <主の日は近い>

2023-05-24 | ヨエル書
「ああ、その日よ。主の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。」(ヨエル1:15新改訳)

ヨエル書の主題は「主の日は近い」である。しかもその日は神の怒りによる審判という性格をもって臨み、この上なくきびしいものになる。ただし、ヨエルは審判から逃れる道も示しており、それは自分たちの罪を心から悲しみ、断食と真剣な悔い改めをもって神の前に出ることだという。▼ユダ王国の末期は霊的にいえば悲惨であった。神に対する敬虔な信仰が失われた結果、自然は荒廃し、収穫はわずかになり、人も動物も野山をさ迷い歩いていた(18)。害虫は空と田畑をおおい(4)、略奪者たちは国内を走り回り、神殿に来る人々はごくわずかで、祭司たちも苦しんでいた。だがまだ遅くはない。断食ときよめの集会を招集し、誰もがエルサレムの宮に集まり、泣いて祈れ、ヨエルはそう叫ぶ。これは現代の霊的荒廃とまったく同じだ。主はキリスト者たちが涙の祈りをささげるのを、どんなに待っておられることか。▼血と汗にまみれながらゴルゴタの刑場に向かうイエスは、悲しみながらついてくるエルサレムの婦人たちに言われた。「わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい。なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来るのですから。そのとき、人々は山々に向かって『私たちの上に崩れ落ちよ』と言い、丘に向かって『私たちをおおえ』と言い始めます。」(ルカ23:28~30同)▼やがて全世界に「主の日」が到来する。大患難は「全地の表(おもて)に住むすべての人に突然臨むのです」(ルカ21:35同)とも主イエスは言われた。私たちの備えは核シェルターを設けることではない。人の英知に期待する淡い夢を抱くことでもない。人の罪悪性は甘いものではなく、かならず暴発するのである。真の備えは、誰もがイエス・キリストを信じて永遠のいのちを与えられることなのだ。なぜなら、そのいのちだけが何物にも焼き尽くされず、永遠に存続して、新しい神の国に至るからである。