「ツロの王ヒラムが、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および金を用立てたので、ソロモン王はガリラヤ地方の二十の町をヒラムに与えた」(9:11新改訳)
ツロのヒラム王はソロモンが神殿と宮殿を二十年かけて建てたとき、望むだけの木材を与えた。レバノン杉は最高の木材といわれたから、ヒラムが与えた資材と金などの貴金属、技術職人を含む価値は莫大なものであった。彼はダビデ王に対する友情から息子ソロモンにそれだけの好意を示したのである。▼それに対し、ソロモンはヒラム一族の食料とガリラヤの粗末な町二十を与えただけであった。「ヒラムはツロからやって来て、ソロモンが彼に与えた町々を見たが、彼はそれが気に入らなかった。彼は、『兄弟よ。あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか』と言った。そのため、これらの町々はカブル(ないのと同じ、の意)の地と呼ばれ、今日に至っている。」(12,13同)▼ここに繁栄を誇った王朝の陰の部分を見ることができよう。後にソロモンの子レハブアムが即位したとき、民を代表してヤロブアムたちは、「あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきを軽くしてください」(Ⅰ列王記12:4同)と嘆願している。▼ソロモンは決して理想的な王ではなかった。民を酷使し、自分の周りに巨万の富を集め、千人の妻を持つ生涯を送ったことは、私たちの眉をひそめさせる。結局、彼は「空の空なるかな」という告白を残して治世四〇年を終えた。後に主イエスは野の花を指さしながら、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした」(マタイ6:29同)と仰せられた。人が見て気絶しかねないほどの栄耀栄華、だがそれは庶民の幸福を犠牲にした繁栄であった。冷たく、手前勝手で自己中心の繁栄といわれても仕方がないものであった。▼ところが御父の御愛は万物すべてに及ぶものである。明日は刈られて灰にされる一輪の野百合ですら、人が束になっても造り出せない精緻さと美しさを持っている。なんと優しさと慈しみに満ちた創造主のみわざであろう。ところが貴方や私は野百合よりもはるかに大切で尊い存在として、父が飾り、日々保っておられるのである。「信仰の薄い人たちよ」とのイエスのお声が聞こえてくるではないか。だから不信仰を心からおわびし、感謝しながら、喜びにあふれながら、今日一日を歩ませていただこう。