しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 Ⅰ列王記12章 <金の子牛>

2020-07-16 | Ⅰ列王記

「そこで王は相談して金の子牛を二つ造り、彼らに言った。『もうエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる。』」(Ⅰ列王記12:28新改訳) 

子牛は若さと力の象徴として、エジプトでもさかんに礼拝された。かつて私も日本で開かれたエジプト古代遺跡展に行き、金の子牛像を見たことがある。イスラエルの民がヤロブアムの案出した子牛礼拝をすんなり受け入れたのはこのためであったと想像できよう。▼預言者アヒヤが言ったように(Ⅰ列王記11:29)、王国分裂は神から出たこと、ヤロブアムの王位就任も神の御心だったから、彼はどこまでもそれを信じて行けばよかったのである。それなのに将来に不安をおぼえ、北王国の民をまとめようとして偶像礼拝制度を設けたのは、取返しのつかないあやまちであった。▼神の御約束があるのに、不安心理から人間的策を弄(ろう)し、罠(わな)に落ちることはアブラハムにもあった(→創世記16章)。みことばを握り、どこまでも信じ抜くことが大切である。

 


朝の露 Ⅰ列王記11章 <ソロモンと肉欲>

2020-07-15 | Ⅰ列王記

「この女たちは、主がかつてイスラエル人に、『あなたがたは彼らの中に入ってはならない。彼らをあなたがたの中に入れてもいけない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる』と言われた、その国々の者であった。しかし、ソロモンは彼女たちを愛して離れなかった。」(Ⅰ列王記11:2新改訳)

ソロモンは、富と知恵において地上のどの王よりもまさっていたが、女性の肉的魅力に勝つことができず、年をとったとき、主に対する信仰から離れた。▼人はすべての奥義とすべての知識に通じていても、心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして天の御父を愛することができなければ、一切は無益である。ソロモン王の生涯全体がそのメッセージとなっている。▼神のひとり子が世に来られたのは、私たちをこの霊的惨状から救い出すためであった。じつにキリストこそ、人の心を罪の鉄鎖で縛りつけている悪魔を打ち砕き、永遠の自由を与えることができるお方である。「見よ、ソロモンよりも勝る者ここにあり。」(マタイ12:42同)◆使徒ヨハネは記す。「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢(文語訳では所有の誇・もちもののほこり)は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです」(Ⅰヨハネ2:16同)と・・・。つまり旧約聖書最大の知恵者ソロモンはこの三つの罪を犯し続けて生涯を終わったことになる。いかにあわれな存在であったかをおもうべきだ。考えてみれば、イエス・キリストが出現するまで、すべての人は罪と肉欲、快楽の奴隷状態から自由になれなかった。だから、旧約時代の信仰者たちは、人を真に自由にしてくれるメシア、キリストの出現を今か今かと待望していたのである。◆現代人も変わらない。個人的にイエスを救い主と信じて生まれ変わり、さらに共に十字架につけられた、という経験を通過しなければ、その人は旧約時代に生きているのである。だからソロモンとおなじように、黄金と富に目がくらみ、淫欲の生活をひそかに慕う。彼の最晩年の作、伝道者の書をぜひ読もう。


朝の露 Ⅰ列王記10章 <ソロモンの知恵>

2020-07-14 | Ⅰ列王記

「ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた。王が分からなくて、彼女に答えられなかったことは何一つなかった。」(Ⅰ列王記10:3新改訳)

ソロモン王が持っていた知恵が並外れたものであったことはたしかだ。なにしろシェバの女王が考え抜いて用意した難問に、苦も無く答えてしまったのだから。「ソロモン王は、富と知恵において、地上のどの王よりもまさっていた」(Ⅰ列王記10:23)とあるとおりであった。▼だが私は、この記事を読んで「すごい!」とは思うが、あまり魅力をおぼえない。なぜなら神は、そのような知恵の豊かさを期待して人を創造されたのではないからだ。ともあれ本章はソロモン王朝の絶頂期を描いているが、次章でははやくも繁栄が下り坂に向かう様子を記している。▼彼はシェバの女王や世界中の人々を、その知恵でうならせたが、肉欲に勝つ知恵は持っていなかった。そのため、神のいましめを守らず、大勢の異邦人女性を愛し、彼女たちの偶像礼拝に引きずり込まれて行った。愚かな息子ソロモンよ。ダビデが生きていたら、そう叱りつけたであろう。◆ソロモンはあくまでもキリストのひな型であって、かげにすぎない。やがて主イエスが再臨し、世界の王としてエルサレムに着座されると、本章の預言は完全に成就するであろう。「全世界は、神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとして、彼に謁見を求めた」(24)とあるが、千年王国では全世界の人々がキリストにお会いしようとエルサレムに詣でることになる。「終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。多くの民族が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。』それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。」(イザヤ2:2、3およびミカ書4:1,2同)◆世界中の人々は、シェバの女王が「息もとまるばかりおどろいた」ように、エルサレムに輝く王座と主のしもべたち、キリストの民として栄化された人々の様子を見て驚嘆するにちがいない。そして、主を知る知識が大洋のように世界をおおう。それはソロモンの知恵もはるかにおよばないキリストを知るという知恵であり、知識なのである。

 

 


朝の露 Ⅰ列王記9章 <空の空>

2020-07-13 | Ⅰ列王記

「ツロの王ヒラムが、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および金を用立てたので、ソロモン王はガリラヤ地方の二十の町をヒラムに与えた」(9:11新改訳)

ツロのヒラム王はソロモンが神殿と宮殿を二十年かけて建てたとき、望むだけの木材を与えた。レバノン杉は最高の木材といわれたから、ヒラムが与えた資材と金などの貴金属、技術職人を含む価値は莫大なものであった。彼はダビデ王に対する友情から息子ソロモンにそれだけの好意を示したのである。▼それに対し、ソロモンはヒラム一族の食料とガリラヤの粗末な町二十を与えただけであった。「ヒラムはツロからやって来て、ソロモンが彼に与えた町々を見たが、彼はそれが気に入らなかった。彼は、『兄弟よ。あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか』と言った。そのため、これらの町々はカブル(ないのと同じ、の意)の地と呼ばれ、今日に至っている。」(12,13同)▼ここに繁栄を誇った王朝の陰の部分を見ることができよう。後にソロモンの子レハブアムが即位したとき、民を代表してヤロブアムたちは、「あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきを軽くしてください」(Ⅰ列王記12:4同)と嘆願している。▼ソロモンは決して理想的な王ではなかった。民を酷使し、自分の周りに巨万の富を集め、千人の妻を持つ生涯を送ったことは、私たちの眉をひそめさせる。結局、彼は「空の空なるかな」という告白を残して治世四〇年を終えた。後に主イエスは野の花を指さしながら、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした」(マタイ6:29同)と仰せられた。人が見て気絶しかねないほどの栄耀栄華、だがそれは庶民の幸福を犠牲にした繁栄であった。冷たく、手前勝手で自己中心の繁栄といわれても仕方がないものであった。▼ところが御父の御愛は万物すべてに及ぶものである。明日は刈られて灰にされる一輪の野百合ですら、人が束になっても造り出せない精緻さと美しさを持っている。なんと優しさと慈しみに満ちた創造主のみわざであろう。ところが貴方や私は野百合よりもはるかに大切で尊い存在として、父が飾り、日々保っておられるのである。「信仰の薄い人たちよ」とのイエスのお声が聞こえてくるではないか。だから不信仰を心からおわびし、感謝しながら、喜びにあふれながら、今日一日を歩ませていただこう。

 


朝の露 Ⅰ列王記8章 <神殿完成>

2020-07-09 | Ⅰ列王記

「こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。」(Ⅰ列王記8:60新改訳) 

豪華の極み、ソロモンの神殿が完成し、奉献式が行われたが、本章はその模様を示す。12節~53節は王が神に向かってささげた祈り、56節~61節は民に呼びかけた王の勧めである。イスラエル民族が存在する目的は、彼らの敬虔な信仰生活を見て、「ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るようになる」ことにあった。イスラエルが冒頭の聖句のように歩んでいれば、世界はたしかに唯一の神を信じるようになっていたはずだが、歴史はその反対になったことが悲しい。▼第一、このようにすばらしい祈りと勧めをなした王自身が、晩年には神をうらぎった。480年前、神がモーセに予告していたことは確かであった。「見よ、あなたは間もなく先祖とともに眠りにつこうとしている。この民は入って行こうとしている地の異国の神々を慕い、自分たちのうちで淫行を行い、わたしがこの民と結んだわたしの契約を破る。」(申命記31:16同)▼だがソロモンが民を代表して祈った祈りは、イエス・キリストにおいて成就したと見なければならない。ソロモン神殿は跡形もなくなったが、永遠の神殿であられる主イエスが天において、昼も夜も御父にとりなしを続けておられる。しかもその執り成しの内容は御聖霊により、ひとりひとりのキリスト者の心に、日夜聞こえているのである。37節には「どのようなわざわい、どのような病気であっても」とあり、あなたの民イスラエルが祈るなら、それを聞いて願いをかなえてください(39節)と記されている。▼いま世界中で新型コロナ・ウイルスのため病む者、死に至る者が発生し、大騒ぎになっているのは周知のとおりだ。しかしソロモンはちゃんとその解決のためにも、3千年前に祈りをささげていた。だから私たちは信仰と希望、確信を抱いて大祭司イエスに解決を求めてよいのである。