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終の棲家

終の棲家 (ハルキ文庫)
仙川 環
角川春樹事務所




まだまだ早いと思いつつも、やっぱり2005年を境に考える事が多くなった。



老後のこと。



独居老人の医療問題を扱った、『 終の棲家 』を読み、暗澹たる思いに浸った。






死に際をどうやって迎えるかは、多かれ少なかれ、誰もが考える事ではないか。

若くて現役バリバリの頃はいいとしても、誰でも老いはやってくる。


おそらく誰もが「老い」に悩む時が来る。嫌でも。





自分が病気をし、祖母が介護の末、死亡し、そして両親が今度は介護をされる側になる。

自分の病気を通してはこの国の医療体制を含めた福祉制度の脆弱さに唖然とする。


諸外国に比べて、となると恵まれているのかもしれない。

ただ、満たされる部分と、どうにもならない部分が極端過ぎるのだ。



あっちが良ければこっちが駄目で、駄目となったらとことん駄目。

法律を傘にこられるとどうにもならない。融通性はゼロだ。




両親による祖母の老々介護に至っては、まさにこの『 終の棲家 』にあるように、最近の、国の、
医療行政の末期をみる思い。



最前線に位置する者の考えがどれだけ反映されるのか。

机の前で、高い給料をもらい、高価な家を手にした者たちには、80歳の老人が100歳の老人
のおむつを交換する現実が、どの程度わかっているのだろう。




老人医療費の高騰、という。

そして財源が無い、という。

だから医療費削減、という。



本当か?


絶対に否、だ。






最近、同年代の人と話しをすると、将来は家を売り、マンションへ、という事を話しする人が
やたらと多い。

我が家でも二世帯住宅に夫婦二人が残ったら・・・、と考える。

じゃあもし一人になったら。


そこでも富めるものとそうでないものと、最期の迎え方まで決められてしまうのだろうか。




「コンクリートから人へ」という。馬鹿の一つ覚えのように。

「人へ」の「人」って何だ?


政治家か、官僚か。




特別養護老人ホーム、もしくはそれに近い形のものをたくさん造り、そこに携わるすべての人、
介護師はもちろん、建設に関わる人、管理する人、事務作業に関する人・・・これら若い人(たぶん)
の職業機会を増やし、貧しくても最低限度の日常介護を受けられる安心感を、若くはない人に
与えてはどうか。




それでもカネがない、というなら政治家さん、現代の姥捨て山でも作ったらいいではないか。

永田町辺りに。
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