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生きるために…

昨日、一昨日と次男のサッカーの試合。天候に恵まれ気持ち良く応援
する事ができた。
昨年の今頃は一番苦しかった時期で、屋外でサッカーを見て、改めて
健康の大切さを実感した。



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<・・・一年前>

・・・2005.8月下旬か9月上旬

「これは今すぐ移植手術をしましょう、という話しではありません。
今の治療(透析)を続けていくなかで、症状が急変した場合手遅れ
にならない為、又、今のままでは症状の改善がみられない場合の為
の準備と考えて下さい。」

K病院に転院し、少し経った頃、H大病院のF医師が来て下さり、
生体肝移植についての説明を受けたが、こんな話しで始まったような
記憶がある。
K病院のO医師、A医師がH大病院と連絡を取り合い、最悪の場合
を想定し準備を進めておいて下さっていた。

H大病院からはF医師の他、移植コーディネーターの方、こちらは
妻と父そして2人の姉が出席した。 ・

「生体肝移植」・・・
・ドナー(肝臓提供者)なくして手術はありえないこと。
・患者とドナーが、血液型と肝臓の大きさが合うこと
・患者とドナーが同時手術となるので、家族の負担が大きくなること
・ドナーは20歳以上で、2等身以内、もしくは配偶者であること。
・ドナーは健康であり、且つ検査をして適合しなければ行えないこと。
・患者はもちろん、ドナーも危険を伴うこと。
・身体に大きな傷を残してしまうこと。
・ICUについて
・そして移植手術後のこと(薬、入院期間etc)など

F医師からの説明はこのようなものだったと思う。
そして、そのドナーの条件を満たす者として2人の姉が最適であり、
各種検査を受ける必要と、その受け入れについても説明があった。

しばらくは当事者である自分の意思とは関係のないところで話しは
進んでいった。

「松本さん御自身はどうですか?」
F医師に振られ、何とも言えない気持ちで話しを聞いていた自分は、
しばらく言葉が出なかった。頭の中がパニック状態で、今置かれて
いる自分の立場があまりにも悲しかった。

「いやです。なんとか移植をしない方向で・・・」
涙をこらえて、そう声を搾り出すのが精一杯だった。
こんなことをして、生きる価値が自分にあるのか。
何よりも自分には何もできない、家族と医師達にすべてを委ねなけ
ればならない状況に、なんだか違う世界にいるような気がしていた。


「御家族の方から何かありませんか」
父は「私の肝臓じゃだめなんでしょうか」と訴えたが、「お父さん
の場合年齢的に無理があると思います。手術には危険も伴いますし」
妻は「私は・・・」、「奥さんは体格的に肝臓が小さすぎて」
そう、サイズが合わないと無理なのだ。

上の姉は次姉と「私達がドナーになるから」と、精一杯冷静に、そ
して必死に訴えてくれた。
こうなったら何が何でも、今の透析治療に託すしかない・・・。
自分にできるのは唯一それだけだと。

この時は、移植手術は自分の中では絶対にありえなかった。
少しだけ、”死”を意識した、生まれて初めての瞬間だった。
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