学研CAIスクール 徳島本部校

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2012年07月02日 | 代表日記
4月号で私が中学に入学した最初のテストで2番を取ったお話をしました。
その後も中1の間は2番から8番位の間で推移していました。
クラブ活動(バスケット)にも精を出し、充実した学校生活を送っていましたが、
中2に上がるとき、徳島市の中学校に転校することになってしまいました。

その年、長姉が短大に進学、次姉が城東高校3年で、兄が城北高校に進学したこともあり、
転校するのは私だけだったので、両親も転居の時期と判断したのだと思います。

私も話を聞いた時は、徳島市の中学に行けば髪が伸ばせる!
(鳴門市は坊主でした…)と浮き浮きしていましたが、
いざ転校してみると、がっかりすることばかりでした。

鳴門の中学はとても大きな中学でしたが、校長先生がとても気合の入った先生で、

「青白き秀才ではなく、日に焼けたたくましき英才たれ!」

という校長先生のお話しが大好きで、中学校にも誇りを感じていました。

徳島市内のH中学はといえば…規模も5分の1程度、
先生もどうしても前の学校と比べてしまっていたのですが、
何とも腑抜けた感じ(失礼!)、
すぐに学校に行くのも嫌になってしまいました。

中2の頃は、母に熱があると嘘をつき(体温計を摩擦熱で上げるコツを覚えました…)、
よくずる休みしたものです。

 そうこうしているうちに、理科数学で苦手意識が芽生えて成績が落ち始め、
H中学より5倍の規模の中学で10番以内だったものが、
10番を越えて20番に近くにまで落ち込んでしまいました。

成績は落ちるし、
学校にも誇りがもてないし、
クラブもやめてしまいました。

中1の時、あれほど毎日が輝いて見えた日々から、一転して、
挫折とまではいかないけれど、心は曇り空のようだったように思います。

そんな日々の中で、私は、もう中学を早く卒業して、高校、大学に行きたいと思うようになりました。
幸い私には上の兄弟ばかりでしたので、
大学の情報を集めるための雑誌(蛍雪時代)とかが家にあり、
大学紹介の記事をみては、この大学がいいな、いやこれもいいなと色々と思いを巡らせていました。

私はその頃から将来の仕事は、「世界を股にかける気骨のジャーナリスト!」と思っていましたので、
大学も絞られてきました。
一橋大学社会学部、早稲田大学第一文学部、上智大学文学部新聞学科、同志社大学文学部新聞学科…。

 ここで、先ほど前振りとして理科数学に苦手意識が…という話をしましたが、
それがネックとなり一橋大学は中3に上がる段階で断念してしまいました…。

 でもそんな風に気持ちを切り替えて勉強したおかげで
成績も10番前後まで上がってきましたが、
そこからが上がらない、最後までその壁は越えられなかったです。

昨年、仕事で上京した際、H中学の同級生でテレビ朝日に就職しているキャリアウーマンと
六本木ヒルズの高級鮨店で食事をしながら(ご馳走になりました…)
中学時代の昔話に花を咲かせましたが、
彼女を含め、成績上位の子は皆、数学の塾に通っていたとのこと!

医者になったあいつも、こいつも。そうか、そうだったのか!

私は、誰に相談することもなく、
分からないことがあっても誰に教えてもらうこともなく孤軍奮闘していたのに、
君たちは!と悔しがっても後の祭り。

あの時、数学に苦手意識が芽生えた時に、解決してくれる塾に行っていれば、
といくらわめいても負け犬の遠吠え。

 結局私は、中3の時点で英数国理社が必要な国立大学ではなく、
英国社で勝負ができる早稲田大学に志望校を決めて、
数学はまるっきり勉強しなくなってしまいました。
(※ということで私、数学はできませんので悪しからず…)

私は自分の体験を踏まえて、
生徒さんたちの発達段階に応じて、
タイミングを逃さず、
必要な時期に、
必要な指導と情報を提供できる存在でありたいと思っています。

今年も、7月23日から夏期講習が始まります。
生徒さんにとっても、我々スタッフにとっても思い出に残る夏にしていきましょう!


※今月の短歌は、時事ネタで。

原発を
再稼動する
ニッポンに
舌を出してる
アインシュタイン
(24年6月)



学研CAIスクール徳島本部校

代表 松前 義明

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