エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて25年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

La Flambirdo

2012-03-23 | 読書ノート


 手塚治虫の漫画「火の鳥 未来編」のエスペラント訳である、10年以上前に発行されたものがいままで本棚に眠っていた。短時間で一気に読んでしまった。
 手塚治虫は私の子供時代から活躍した人だから昔から大好きだった。講談社の全集をほとんど揃えているくらいである。エスペラント化するのなら『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』など青年漫画から選んで欲しかった気もするが、長編が多いから無理かもしれない。
 漫画雑誌に連載されたものを単行本にするときには再編集されることが多い。火の鳥も「COM」という雑誌に連載されたが、大判の本である。これをそのまま小型本にすると台詞の文字が小さくなりすぎる。そこで絵の一部を犠牲にして吹き出しを大きくする。
 火の鳥は何度か再版されているが、エスペラント版はそのうちのひとつを底本にしたのだろうか。吹き出しなどは講談社の全集版とほぼ同じである。ただし、エスペラント版の最後のページが講談社版にはないからこれが底本ではないのかもしれない。表紙の絵も違う。
 おもしろいことに絵柄がすべて左右逆になっている。右開きを左開きにしたためである。これでとくに不自然さは感じない。原本をコピーしてソフトで左右逆にしたと思うが、その時に発生したモアレが見られる。
 台詞以外の、おもに擬音・擬態語の翻訳には苦労されたのではないだろうか。またこれは絵と一体になっているから一つ一つ消して文字を挿入している。細かく見ると消し残したところや書き足したところがわかる。

 少しマニアックになりすぎた。エスペラントに関してひとつだけ書いておこう。
 こんな台詞がある。「Cxu ni estas jam ratoj en sako?」(原文:もう フクロのネズミかな ぼくたちは)ほとんど直訳だが、これで国際的に通用する・・・のでしょうね?
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5 コメント

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著作権と独特の表現について (かいちょ)
2012-03-23 23:00:18
エスペラント化されたマンガといえば、この「火の鳥」や「はだしのゲン」などがありますが、著作権に関してはどうなっているのか関心があります。当然著作権保有者の承諾を受けた上で出版・販売しているものと思いますが、実際どうすればいいのか。また、もし無料で配布するならば、著作権使用料は無料になるのか(日本では入場料無料の演奏会などの場合はそうなります)、なども。

Moea Asocieto SennaciecoというSATのもじりのような団体があって、そこでは「萌え」コンテンツをエスペラント化してエスペラントを普及させることを目的としているのですが、そのようなコンテンツはアニメとかであることがほとんどで、著作権に関してはかなり難しいところがあると思うのです。その一方で、同人誌でアニメなど二次創作をしている例などがあって(優良で販売)、著作権の取り扱いはどうしたらいいのかよく分からないのです。ケースバイケースでしょうか。

また、民族独自の表現としては、"Mirrakontoj de Liaozhai"の中に「馬耳東風」をそのまま訳した"kiel ĉevalaj oreloj la orientan venton"という表現がありましたが、いくら何でもこれはちょっとどうかなと思いましたが。また、"Raportoj el Vjetnamio"の中でも、"Ne stultigxu por auxdace karesi la tigrolipharojn."(p.39)という表現がありますが、これは西欧人に分かる表現でしょうか?「わざわざ虎のひげに戯れるような馬鹿なことはするな」というのは東洋人には比較的理解しやすい表現だとは思うのですが。

"Ilustrita Frazeologio"という慣用表現集があるのですが、ギリシャ神話とか西洋の史実を元にしたもの("transiri la Rubikonon"[majstro自身この表現を使っているようですが])が結構あり、これなども広くいえば西欧固有の表現であるように思います。もっとも、majstro自身エスペラントがアジアまで広がることを想定していたかどうかはよく分からないところがありますから、さしあたっては西欧以外の国々での固有の例え方(「袋の鼠」のような)が問題になるのでしょうか?「袋の鼠」というのは比較的分かりやすい例えだとは思いますが...
Unknown (esperakira)
2012-03-24 00:39:59
著作権といったことについては、私には全くわかりません。
"Raportoj el Vjetnamio" は日本のエスペランティストに校正をしてもらいました。この部分にはとくに何もなかったと思います。固有表現であっても理解できればいいと思います。
ザメンホフは早期から東洋にも広がることを期待していたフシがあると、どこかで聞いたことがあります。日本で運動が始まったとき非常に喜んだとか。
袋のネズミについては、訳者が日本でも最高のエスペランティストの一人なので、私からは何もコメントできません。
その時はその時だ (みなかみ)
2012-03-24 23:42:52
 おひさしぶりです。
 宮本正男さんの訳で tiam estas tiam というのがありました。
 rato en sako ですが,rato をわざと単数にしているのでしょうか。Ili furiozis kiel ratoj en sako. だと「袋のねずみ」とはニュアンスがちがうような気がします。
タイプミス (esperakira)
2012-03-25 00:25:29
ratoj でした。訂正しておきます。
tiam estas tiam... おもしろいですね。使う勇気はありませんけど。
訂正 (Jamo)
2012-03-25 19:02:35
 上の「みなかみ」は私です。もう2,3回やってますが,日本語サイト(将棋や野球)用のハンドルネームを使ってしまいました。
 単数は C^u ni estas jam rato-en-sako. となんとなく副詞的に使っているのかな,と思ったのです。

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