エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて27年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

子供用エスペラント入門書

2012-11-18 | 読書ノート


 Tom kaj Tina、次の読書ノートである。Internacia Esperanto-Lernolibro por Infanoj とある。40ページほどの本なので1日で読んでしまった。前文エスペラントだから、少なくとも日本人がこの本だけで学習するのは無理だろうと思うが、講習会用には使える。大きさも手頃である。別冊で講師用の参考書もある。挿し絵がふんだんに入っているなど、子供の関心を引く努力がされている。
 Tom と Tina は仲のよい兄弟。家庭や学校での日常生活を描きながらエスペラントの学習が進められる。これがなかなか楽しい。そして後半は2人の少し長い冒険である。2人だけで列車に乗っておじさんの家へ行く途中、怪しい男と同室になる。Tom はちょっとした策略でその男が泥棒だということを確かめる。途中で下車した泥棒を Tom が追いかけて・・・.ちょっぴりハラハラどきどきの物語。
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5 コメント

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denaska esperantisto (かいちょ)
2012-11-21 10:19:42
"Denaska esperantisto"とはちょっと違うかもしれませんが、外国語教育を行う前に自国語による基本的な会話・文法を子供に習得させておくべきではないかとかねがね思っています(特に最近小学校での英語必修化が云々されるようになって)。

エスペラントはたしかに一つの言語ではある。しかし、それを「生まれつきの言語」として教えることはどうなのかなと思い続けています。いつだったか、YouTubeで赤ん坊にエスペラントを覚えさせて、体の部分をさして"Kio estas tio?"と尋ね、赤ん坊が"orelo!"とかいっている動画を見たことがありましたが、これはただのデラシネを生み出しているのではなかろうかと思っています。

早いうちに外国語に耳を慣れさせておくことに関しては異論はありませんが、子供のidentityをどう考えているのかという疑問がついて回ります。私自身はSennaciismoというものは信用していません(Lantiは本当にSennaciistoだったんでしょうか。"For neuxtlarismon!"など調べてみたいと思っています)。エスペラントが普遍的な人生の基礎となるような慣習、風習、文化を真に持ち得ているのかということに関しては、私はかなり懐疑的です(かなりヨーロッパ寄りではないかと)。

とはいえ、早期外国語教育(エスペラント含む)については何がしか賛同てきるところがあるので、前期の思いとは矛盾するところがあり、思い悩んでいるところです。
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denaska (esperakira)
2012-11-21 12:18:30
このテキストは、もちろんdenasaka esperantistoを作るためのものではありません。
denasakaについては議論があると思いますが、以前出会ったdenasakaは、「自分にとってエスペラントは自然だが、苦手だ」と言っていました。実際、ものすごく早く話すのですが、簡単な単語を知らなかったりするのです。
家庭でエスペラントでも社会に出るとエスペラントは使えませんから。
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denaska esperantisto (Masakato)
2012-11-21 12:55:27
エスペラントに限らず、父母が国際結婚した場合は父語、母語、現地語で生まれつき教育されるのが普通です。子どものidentecoがめちゃくちゃになったという話はあまり聞きませんが。誰とは何語で話すかさえしっかり決まっていれば。
現在、私宅にフランスから母(日本人で、フランス人エスぺランチストと結婚したエスぺランチスト)と娘(生まれつきフランス語、日本語、エスペラントで育った)が居候していますが、問題はなさそうです。今、遊びにでかけているので、今晩直接聞いてみます。
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denaska esperantisto (Masakato)
2012-11-23 01:14:19
私の思い違いで、彼女はdenaska esperantistoではありませんでした。最初はフランス語で育って、エスペラントは子ども大会に参加のために始めたそうです。日本語もそのあとで。でも両親がエスぺラントでしゃべるから、自然にわかったでしょう。うちの娘(同い年)も子ども大会の時だけのエスペラントでしたが、外国人のお客が多いので、何となくわかります。両親が留守の時に電話がかかってきても、何とかでたらめなエスペラントで応対したようです。10代の時にはフランスの彼女は我が家では完璧なエスペラントでしゃべっていました。今回は娘が劣等感を持つといけないので、日本語にしようとしたら、本人曰く、うまくしゃべれなくてもわかるから大丈夫、とのことでした。この二人とも、もしかしてエスペラントだけで育っていたら、どうなっていたことでしょう。フランスの彼女が言うには、誰とは何語で、ということがはっきりしていれば、問題はないそうです。また、フランス語、エスペラント、日本語に加えて、学校で英語やドイツ語などを習うときも、身についた3言語が助けになったそうです。
日本人同士の結婚でも、生まれながらに父とはエスペラント、母とは日本語で育った例がありますがidentecoはどうだったか、知りたいですね。
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denasaka (esperakira)
2012-11-23 10:11:15
ヨーロッパではエスペラントでなくても、父母の母語が違っていてdenaskaの多言語話者というのは結構多いのではないですか?
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