朝から曇り空で、昼に霧雨も。それでも梅の花が満開になってきたので、なんとなく気持ちが弾む。それに、昨日、京都で受講した講座が素晴らしかったこともある。奇蹟とか僥倖を願うのではなく、あくまでも自分の内面の力で、難題を見据え、問いを立て、解決に向かって行動していくこと。そして、何よりも必要なことは、愚痴とか恐怖とか心配とか、のマイナス言葉を使わず、自己を表現していくことだ、という生きる基本を再確認できたからかもしれない。さらに金がなければ、何とか稼ぐべく仕事をすること、働くことに尽きるとも。日これから、また京都のコンサートに行き、それを体に落とし込むことができるだろうとの予測があって、この霧の向こうへ行くのだという期待が膨らむ。
どう考えても、トランプ外交には賛成できないし、ウクライナ、ゼレンスキーの方に肩入れしたくなる。それは、あの言葉の悪態ぶり、無礼さ、狡猾さが許せないというか、いやだからだ。一種の言語ゲーム、悪態パフォーマンスと、これまで受け取っていたが、余りにも独り善がり、他者不在の発想にあきれるばかりだ。こんなことをしていたら、世界は破滅するだろう。それを阻止し、柔軟な共同体と豊かな生活を守るためにも、まずは一人一人の真剣な取り組みが必要なのであり、その第一歩が「書く」こと、「歩く」こと、「語る」ことの実践だと思う。乱暴な言葉に惑わされず、自分の信念を明らかにしつつ、歩いて行こうと思う。(3/2)


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