『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌

遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街)をブラブラあてどなく歩いた記録です。観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

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愛知県 岡崎市201205 その2

2012-11-10 19:40:33 | 東 海

これを見つけたとき・・・文字通り仰け反りましたよ。


 龍城連こと板屋町を訪ねた後、隣接する岡崎城址で小休止、朝から歩き通しでかなり足にきちゃってます。さて、この後どちらに向かいましょうか・・・二つの候補があります。一つは前述の『東遊廓』跡の中町、もう一つは『松栄連』こと松本町・・・もちろん両方!!といきたいところなのですが帰りの新幹線の時間が迫っております。ちょっと考えさせて・・・とりあえず往時の様子でも読みながらお待ちください。両方とも『全国花街めぐり』からになります。

 『東遊廓 市街の東隅中町に在りて、背に赤ちやけた松の林丘を負ふて前は甍の波、その瓦鱗を越えて萬燈山の翠微、遠くは桑谷山なる小連峰を望んで、夏の宵は蛍の光に蛙の鳴声、秋は月下にすだく虫の声声に閑寂な一廓を成して居る。もと市街の中央旧海道筋の伝馬町に在つたのを、大正九年県令に依つて移転を命ぜられ、同十二年三月卅一日限り板屋町花街と共に現在の地に遷つたもので・・・岡崎女郎の前身は言ふまでもなく飯盛女で、いつ頃からその飯盛女が此の伝馬町に現れ出たかは明らかでないが、伝馬町は即ち伝馬会所を始め、脇本陣その他旅籠が軒を並べた岡崎宿随一の盛り場で、徳川中世期の頃にはもう立派な遊廓となつてゐた、所謂「岡崎女郎」は此の廓の女郎を指したものである。私が最初岡崎市を訪ふたのは大正七八年頃と記憶するが、その頃は上伝馬町と板屋町の二廓に分れて居つて一現の客は上げないと云ふことであつた。そして岡崎女郎衆はよい女郎衆とうたはれた所以は、その頃でも一流の妓楼では花魁の教育が厳重で、縫針の一と通りは勿論茶の湯活花まで仕込んでからでなくては、客の座敷へは出さないといふことであつたが、今日はおそらく最早行はれては居まい。岡崎随一の本廓で、妓楼二十三軒、娼妓百五十三人、芸妓置屋十七軒、芸妓大小併せて七十人、揚屋が四軒、料理屋が十五軒・・・』

 『松本町(別称松栄連、或ひは西、又松應寺ともいふ)市の大通り本町筋と、外廓を流れる伊賀川との間に介在する松本町から元能見町、福寿町にかけた一帯の地域で、大体に於て文字通りの傾斜街である。元此の附近は能見ヶ原と云つた地で、天文十八年家康その父廣忠の屍をここに葬り、松を植ゑて墓じるしとし、次で永禄三年一寺を建立した、即ち松應寺であって、漸次人家が建ちならんで、松應寺門前町と呼ばれて居つた。そこへ明治三十八年三月蛭川某が「末広」といふ芸妓屋を開業したのが文字通りの草分で、続いて小林屋、常磐屋などができて、一歩横町へはひれば丘があり田圃があり藪だだみがあるといふ淋しい片田舎に、漸次紅燈がきらめくことになり、大正八年指定地として公許されて以来一層急速に発展して来たもので、現在では芸妓置屋四十六軒、芸妓の総数百七十人、揚屋、料理店六十軒の多きに上り、気品と芸に於ては些か劣るとせられるが、若手に美人の多いのと新進の意気を以て廓連を圧倒せんとしつつあるのが此花街である。』

 実際、『東遊廓』はそれなりに情報がありまして、遊廓特有の区画は残っているが遺構の類は皆無・・・一方の『松栄連』はと言いますと、ほとんどと言っていいほど情報が見つからないのです。私の最近のトレンド(爆)は『知られざる遊里』でして・・・しかも東遊廓跡がある中町はちょっと遠い(笑)・・・それにしてもトレンドという言葉を使うのは恥ずかしいな、などと思いながら行き先が決まりましたのでそろそろ・・・と立ち上がろうとしたときです。その1で述べていた異様な集団が・・・それは夥しい数のコスプレイヤーの皆さん・・・岡崎城が歴史の舞台ということで、おそらくは戦国物のゲームかアニメの登場人物に扮しているんだと思います。こう見えても私もオタクの走り、恥ずかしながら中学までは漫画家かアニメーターを目指していたのですぞ。今はそちらの世界に向かわなくて良かったと思っていますけどね。まあ、そこまでの才能もありませんでしたし。

 そんな私ですが、昨今の所謂二次元の世界は全くもってチンプンカンプン・・・漫画も限られたサブカル系の作家しか読みませんし、アニメなんて・・・あ、たまにサザエさん見ますな(笑)そんなことはどうでもよいわけで、問題は彼ら・・・いや、彼女たちの恰好です。まあとにかくとんでもないわけです(笑)しかし、不思議なことにちっともエロくない・・・カワイイですしスタイルも抜群なのに・・・あれはどうしてなんでしょうね。これだったらカフェー建築のほうが断然色っぽいよなあ・・・などと思っていると、彼女たちの後ろに続く一団に気がつきました。私とほぼ同世代と思われるオッサンカメラマンたち・・・彼女たちにポーズとらせると下から煽るようにして撮ってる・・・。まあ、趣味の世界ですからとやかく言うつもりはありませんが、私のだって人様に自慢できるようなものではありませんし・・・。でも、その様子を見ていると、なんだかいたたまれない気持ちになって足早にその場から離れさせていただきました。文字数制限に画像の枚数が多いのに、またどうでもいい与太話で前書きが長くなってしまった・・・サクサク進めましょう。



松本町へは岡崎城址から北へ真っ直ぐ1キロほど、手前の材木町を過ぎるとこんな艶っぽい建物が現れ始めます。




その向こう、正体不明ですが入口が二ヶ所・・・汚れなんでしょうけど、グラデーションがかった青い雨戸が綺麗。幾何学模様風の手摺もオシャレです。




脇の路地に入ると朱塗りの出格子・・・よく見るとペンキですな(笑)




その先のお宅の門構えが気に入りました。銘木の柱に中途半端な(笑)一二三石のタタキ、美しいですね。勝手な妄想になりますが、元置屋さん???




扉の脇にバーの鑑札が残るお店、例の如く入口は斜めに振られていますよ。




別の路地、ここが素晴らしかった。雁行する壁に古びた板塀、そして街灯。これが灯っている光景が見てみたい・・・。引き寄せられるようにして奥に進んでいくと・・・




今度はドクダミの垣根がお出迎え・・・この先には何が待ち受けているのでしょう。ワクワクしてきた・・・




なんと、この子たちのテリトリでした。かなり驚いていましたよ(笑)




近くのちょっと不自然に広い通り・・・ここが凄かったあ。右隅に気になるものが写っておりますが、見なかったことにしてくださいませ(爆)ここは後回し。




まずは向かいの松本観音さん、何でしょう、この入口・・・。




トンネルを抜けると・・・本堂でした。こんなお寺ですが、正式名称は浄誓院というそうで、三河三十三観音の六番札所にもなっている由緒正しき古刹なんだとか。




お次は妖気を発しているような異様な建物。所謂ソシアルビルの一種かと、テナントは全て飲み屋さん関係のようです。建物の周囲が通路になっていて一周できます。




とにかくこの外壁がひたすら気色悪い・・・。




・・・半ば廃墟状態のようですな。




隅の柱にはモザイクタイルが残っておりました。




突き当りには料亭風のお店・・・こちらも既に退役済みのようです。これが花街の遺構なのでしょうか。




このグリット模様の型板ガラス、好きなんですよね~。どこで手に入るんだろう。




同じ並びにあるのが冒頭画像の珍妙物件・・・「ヘッ!?」これが第一声、そして仰け反って「ひゃあああ」・・・さらに口ポカーン・・・本当ですよ(笑)




こう見るとえらくバランスの悪い建物ですな。しかし、古いのか新しいのか、年代がいまいち判断しずらいんだよなあ・・・。




珍妙な造形ばかりに気が取られていましたが、車庫になっている部分、ここが嘗ての店舗だったと思われます。床がモザイクタイルなんですよ・・・後から画像を見てから気付いたんですけどね。相変わらず詰めが甘い。隣の『けどが~』さんも気になる・・・三河弁でしょうかね。やっぱり岡崎でもモーニングを頼むとものすごいのが運ばれてくるのでしょうか(笑)




それではさきほどの『気になるもの』へ・・・こちら『全国花街めぐり』にも出てくる松應寺さんです。家康の父上、松平広忠公の菩提寺・・・その参道がどういうわけか横丁建築になっているわけ。




薄暗い内部・・・まさに昭和で時が止まっておりました。




歯抜け状ではありますが、嘗ては相当賑わっていたということなのでしょうか。




出口の光景が素晴らしすぎて、クラクラ・・・琥珀さん、屋号もステキじゃありませんか。よくあるパターンですと、腰までが鉄平石なのですが、なんとこちらは全面、しかも大理石ですぞ!!豪勢だあ(笑)




琥珀さん、どうやら現役みたい。換気扇がカラカラ廻っておりました。




既にお腹いっぱいなのですが、これだけじゃないのです、この一画・・・。参道の横丁建築から分岐している路地がありまして・・・覗いてみると・・・




こ、これは・・・バラックみたいな小さな建物がビッシリ・・・奥のお堂、地図には太子堂とあります。どうなっているの此処???何なの此処???




ほとんどが廃屋状態に見えます。中に明らかに飲み屋さん風のものが混じっておりまして、ますます頭が混乱・・・この辺りって花街じゃなかったの!?




こちらなど、ボロボロですが庇が桧皮葺き・・・傘だけの街灯が哀しすぎる・・・。




今日一日標準ズームで通すと誓っていたのに、堪らずいつもの超広角に交換(笑)すんばらしい光景ですなあ。




自分の中では、こういった場所は『青』!?と勘ぐってしまうのですが・・・如何でしょう・・・。まあ、そんなことはこの際どうでもいい・・・見事すぎる廃れっぷりを堪能しましょう。




桧皮葺きの建物の中を覗いてみました。普通の飲み屋さんならカウンターが奥に続いているのではないかと思ったのですが・・・ハア???・・・ほんと、どうなってるんだ、この一画・・・。




大好物の擬木までも発見!!




北側にもう一本路地が並行しているのですが、こっちも同じような状態・・・。




真っ直ぐ行くと松應寺さんの境内、右に行くと太子堂です。宗教と遊里の不思議な関係、今まで何度か紹介してきましたが、此処もその類になるのでしょうか。




ウハッ、こんな窓までも・・・画像を開いてから気付いたのですが、料理店の鑑札がありましたよ。




もっとジックリ探索したかったのですが、そうもいきません。名残惜しいのですがそろそろ・・・。いや~、それにしてもこれには驚かされました。




路地を抜けると、岡崎城址から続く通りに出ます。右のもとのみ公設・・・現在は小さなお店が集まる商店街のようですが、公設ということは元市場だったのかもしれません。それにしてもこの界隈、不思議な物件ばかりですね。




近くを探すと花街の名残りらしき物件を見つけましたが、残念ながら時間切れ・・・。




帰り道、岡崎城址を突っ切って行ったのですが、さきほどのレイヤー軍団に再会・・・彼女たちも帰るようでした。重そうなキャリーバッグを引きずる表情が疲れているように見えたのは気のせいでしょうか・・・。


以上で、名古屋尾張シリーズはオシマイ。関東近郊ではまず見られない見事な遺構の数々、ただただ羨ましいかぎり・・・ほんと引っ越したくなるくらい(笑)今回は遊里跡だけをピンポイントという感じになってしまいましたが、次回は町並みや近代建築も合わせてジックリ巡れたらいいなあ。長らくのお付き合いありがとうございました。


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4 コメント

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岡崎元能見町 (はた)
2012-11-11 12:11:23
はたと申します。いつも楽しく拝見させて頂いています。
まさか岡崎元能見町をこれほど鮮明な画像でみれるとは思っていませんでした。板屋町はメジャーで情報が多いのですが、元能見町がとりあげられたのは、ほぼ初めてだと思います。私もここは何度もおとづれていますが、とにかくすごいですね。奥にあった怪しいピンク色の外壁の料亭風の建物ですが、入口に「20才未満のお客様・・・・」のプレートはもうありませんでしたか?とにかくこの周辺にも楼閣風の建物が多数あります。
メジャー、マイナー・・・ (隼人)
2012-11-11 21:56:13
>はたさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

性格がひねくれているせいか、メジャーどころよりも松本町のようなマイナーな遊里に惹かれてしまうのですよ。まあ、こういったものの場合、メジャーも何も関係ないような気がしますが(笑)

お詳しいようですね。ピンクの料亭風とは、気色悪い建物の裏手のだと思いますが、「20歳未満ウンヌン」には気がつきませんでした。実際、時間の関係でほぼ駆け足状態でしたので・・・それだけが心残り。

他にも何かあるようですね。次回はもっとジックリ巡れたらと思っています。まあ、いつになることやら・・・。
龍城温泉 (CoCo壱名古屋)
2015-06-17 00:09:41
この付近の田町という場所で、たまたまレトロ銭湯をみつけました。夜でしたが営業中のようでした。
後で調べたら、龍城温泉といい建物の一部は、大正時代だそうです!毎月5のつく日は、定休日です。大正村に移築出来そうですね!!
知ってました・・・ (隼人)
2015-07-27 20:50:41
>CoCo壱名古屋さん

このお風呂屋さん、一応知っていたのですが、何しろ慌しい探索でしたのそこまで手が回らなかったというのが実情でして・・・次回はもっとジックリ歩きたいものです。

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