平安夢柔話

いらっしゃいませ(^^)
管理人えりかの趣味のページ。歴史・平安文学・旅行記・音楽、日常などについて書いています。

大河ドラマ「義経」第14回&梶原景時

2005-04-15 22:25:11 | 2005年大河ドラマ「義経」
 大河ドラマ「義経」第14回の感想です。

 橋合戦は、予想通り(?)あっさり簡単にすまされてしまいましたね。
頼政の討ち死にのシーンも、矢が一本刺さっで、「これまで」と一言叫んだだけで終わってしまいました。以仁王に至っては、矢が刺さったところは一応映像で流れましたが、ほぼナレーションだけで終わってしまいました。そして、その矢の刺さった場所は頼政とほぼ同じ所でした。
義経が主人公のドラマなので仕方がないとは思うものの、原作が軍記物の「平家物語」なのですから、合戦シーンくらいはちゃんとやって欲しいなと、ちょっとがっかりしました。

 さて、前回から登場している丹後局なのですが、髪型もしゃべり方も怖いですよね。これは、「丹後局=妖婦」ということを視聴者に印象づけるための演出なのでしょうか。この丹後局にすっかり骨抜きにされている後白河院、思いっきり格好悪いです。後白河院が、「平家ではだめだな。」と、平家を見限るような発言をしたのも、丹後局が平家についてのあれこれを後白河院にしゃべったためですものね。丹後局が実際、あのような気持ち悪い女性だったかは疑問ですが、後白河院を操っていたことはある程度史実だと思います。

 そして、そんな世の中の動きを知ってか知らずか、相変わらず菊を見ながら井戸端会議をやっている平家の女性たち……。ちょっとのんきすぎるなと思いました。
その中で、故重盛の妻経子の立場の微妙さが少し気になりました。
 彼女は、鹿ヶ谷事件で備前に流罪となり、配所で殺された藤原成親の姉妹に当たります。つまり、重盛亡きあとの平家方から見れば、敵の一族と言うこともできるわけで、宴に遅れてきた理由も、そのような自分の立場を卑下したものなのかなと、少し考えてしまいました。
 そして彼女が、「維盛や資盛の出世を楽しみにしています。」というようなことを言ったのは、「それでも平家の嫡流は故重盛の息子の維盛や資盛です。宗盛どのには決して渡しはしません。」という、経子の時子への無言の抵抗なのかなと思ったりしました。
 ちなみに、平維盛は公卿補任その他によると母不詳になっていますし、弟の平資盛の実母は下総守藤原親方の娘です。つまり、二人とも経子の実子ではない可能性があるのですよね。それなのに、ドラマでは経子の実子のように描かれています。好意的な見方をすれば、維盛も資盛も幼い頃から重盛の正室である経子の許で養育され、彼女にとっては実子同然になっていた……、という設定なのかもしれません。

 さて、橋合戦が簡単にすまされてしまったことは最初の方にも書きましたが、頼朝と山木兼隆との戦いも、石橋山合戦も、橋合戦同様簡単にすまされていました。このことも残念でしたがただ一つ、頼朝と梶原景時の出会いは、なかなか見応えがあって良かったと思いました。「ああ、こういう事があって景時は頼朝に終生忠義を尽くすのか。そして、命を救ってもらったことから頼朝も、景時を頼りにするのね。」ということがよくわかりました。

 そこで、今回は梶原景時について少し調べてみました。

 梶原景時(?~1200)
 彼の前半生は生年も含めてほとんど不明です。石橋山合戦では平家方である大庭氏に属し、頼朝軍を打ち破りました。 その時、洞窟に隠れていた頼朝を密かに見逃したのが、景時であったと言われています。
 やがて景時は頼朝方に属し、範頼・義経の平家討伐軍では戦目付役として従軍しました。しかし、義経とことごとく意見が対立し、そのことを頼朝に讒言したことが、頼朝と義経の兄弟仲を悪くする原因になったとも言われています。
 景時は、その後も頼朝の参謀として彼の絶大な信頼を得て、鎌倉幕府の実力者となっていったのではないかと思われます。
 しかし建久十年=正治元年(1199)正月、頼朝が急死すると景時の人生に暗雲が立ちこめるようになります。
 その年の十月景時は、結城朝光が「忠臣は二君に仕えず」と言っていたということを頼家に讒言しようとします。結城朝光の母は頼朝の乳母でしたので、朝光は頼朝の側近中の側近でした。その朝光が「忠臣は二君に仕えず」と言っていたということは、明らかに新将軍頼家への謀反と取られかねません。景時にしてみれば頼家への忠義心のつもりで讒言しようとしたのでしょうが、逆に御家人達から嫌われることとなったようです。そして、景時は御家人達に糾弾されて失脚してしまいます。
景時は頼朝の参謀として謀略にも優れており、そのために失脚した者も多く、御家人の中にも彼を憎む者がたくさんいたのかもしれません。この事件は御家人達による景時追い落としとも考えられると思います。
 その後景時は甲斐源氏の武田有義を将軍にしようと画策し、上洛の途につきます。
しかしそれは幕府の知るところとなり、景時は上洛途中の駿河国狐ヶ崎(今の静岡市清水区)で幕府軍と遭遇し、合戦の末討ち死にしました。

とかく悪役にされがちの景時ですが、彼には彼なりの立場があったのだと思います。そして、景時が政治的に有能な人物だったことは間違いないと感じました。しかしその有能ゆえに敵を作りやすい人だったのかもしれませんね。少し石田三成に似ているところがあるような気もします。
 梶原景時はかなり知名度のある人物だと思いますが、実は私は、彼についてあまり知りませんでした。なので、今回調べてみてなかなか興味深い人物だと感じました。
 そのようなわけで、今回の大河ドラマでは、義経と景時の対立をどのように描くのかが楽しみになってきました。
 あのおとなしくていい人という感じの義経が、景時と大げんかをするとはとうてい思えません。多分景時が無理難題を義経に押しつける……、つまり景時が完全に悪役になるという設定なのでしょうね。視聴者が「義経くん、かわいそうに。」と同情するように描くのだと思いますが……。どうなることでしょうか。

 さて来週は、いよいよ義経と頼朝の対面が描かれるようですね。頼朝はどのような反応をするのでしょうか。源氏の一員としてのこれからの義経の活躍も楽しみです。
この記事についてブログを書く
« 「平安時代好きに50の質問... | トップ | 15年間ご苦労様☆ »
最近の画像もっと見る

2005年大河ドラマ「義経」」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事

トラックバック

日本語は難しい!?―『義経』vol.14「さらば奥州」 (徒然独白~手鞠のつぶやき)
予想どおりではありましたが、開始10分で終了した「橋合戦」。最初に義経と秀衡の草笛吹きなども入ったため、正味4分のあっけない幕切れでした。 しかし、宇治川の激流も見せず(エンディングの義経紀行で少し流れてましたが)、どこだかさっぱりわからない本陣に、いきな