春の暮るる日
あすもくる ときはあれども はなみつつ くれぬるけふは をしくぞありける
明日もくる 時はあれども 花見つつ 暮れぬる今日は 惜しくぞありける
春が暮れる日
明日という日もあるのだけれど、春が終わってしまう今日という日を、花を見ながら惜しいと感じる。
第四句は「なれぬるけふは」とされている写本もあるようです。ただそれだと意味がよくわからないですね。^^;;
春の暮るる日
あすもくる ときはあれども はなみつつ くれぬるけふは をしくぞありける
明日もくる 時はあれども 花見つつ 暮れぬる今日は 惜しくぞありける
春が暮れる日
明日という日もあるのだけれど、春が終わってしまう今日という日を、花を見ながら惜しいと感じる。
第四句は「なれぬるけふは」とされている写本もあるようです。ただそれだと意味がよくわからないですね。^^;;
山吹
うつるかげ ありとおもへば みなそこの ものとぞみまし やまぶきのはな
うつる影 ありと思へば 水底の ものとぞ見まし 山吹の花
山吹
水に映る姿があるということは、水底に山吹の花が咲いていると見ることもできようか。
第二句は、「ありとおもはずは」となっている写本もあるようです。「影が映っていると思わなければ、水底に咲いていると見ることもできる」となるので、意味としてはそちらの方がスムースなように思います。
田作れるところ
あらをたを かへすいまより ひとしれず おもひほにいでむ ことをこそおもへ
あらを田を かへすいまより 人しれず 思ひほに出でむ ことをこそ思へ
田を耕しているところ
農民が新しく開いた田を耕している今から、稲の穂が出て実るときのことを人知れず思っているように、私の人知れぬ思いもいつか外に現れてしまうだろうと思う。
初句「あらを田」は「新しい」「荒れた」の両説があります。第四句「穂に出づ」は文字通り穂が出て実る意に加え、それに準えて「表に現れ出る。人目につくようになる。」意で用いられます。
桜の花
さくらばな をるときにしも なくなれば うぐひすのねも くれやしぬらむ
桜花 折るときにしも 鳴くなれば 鶯の音も 暮れやしぬらむ
桜の花
桜の花を折ろうとしたまさにそのときに鶯が鳴いたならば、その鶯の声もきっと暮れ時になっているのであろう。
晩春に向けて鶯の声も暮れるという発想は 428 にもありましたね。
ゆくはるの たそかれどきに なりぬれば うぐひすのねも くれぬべらなり
行く春の たそかれ時に なりぬれば 鶯の音も 暮れぬべらなり
柳おほかるところ
あをやぎを たよりとおもひて はるのうちの みどりつもれる ところなりけり
青柳を たよりと思ひて 春のうちの 緑つもれる ところなりけり
柳が多いところ
青柳がたくさんあるのを春のしるしと思って見ると、なるほど緑いっぱいの景色なのであるよ。
「たより」は機会、ついで、つて、等の意。