お弁当屋さん いやいや イベント屋時代のお話、
むかしむかし、1993年 2月 のお話。
場所は、今年のクリスマスに閉館してしまう、有楽町西武
当時、有楽町西武は西武から独立した単独会社だった、この事はあまり知られていない?
クライアントは、香港政府観光局日本支局。
この担当者がなかなか小うるさい人だった。
お仕事は「香港パーティ」という3日間のイベント。
開会式・テープカット
この時に、くす玉(当初この手配も任させていたが、途中から他の代理店へ)を使用。
お決まりのセレモニーがあり、中国音楽の演奏があり、
テープカットありで、くす玉割れて、デパートオープン。
このスケジュールでの開会式の進行。
オヤジは、進行スタッフ、演奏者(クライアントマター)の入りが遅れたりで、進行が押せ押せで、オープニング後のクライアントからの小言が心配!!!
いざ、テープカット終わって、くす球割れる!!!
ダーン!紙吹雪が華麗に舞う、我々スタッフは「エッ!?・・・ヤッター!!!」
この意味するものは、当初からこのくす玉、紙吹雪無しのオーダー。
当方、四方八方手を尽くして探したが、手に入らず、それで他の代理店へ発注。
オープニングセレモニー終わりで、デパートオープン、お客さん入れ込み。故に、掃除をする時間を考えて、紙吹雪無しだったんだよね。
で、紙吹雪が待った瞬間に我々の押せ押せの進行はどこへやら、注意は紙吹雪へ。そこで、我々の「ヤッター!」となる。
3日間、ゲストが来てのトークショー。
1日目「チョウ・ユンファ」
当時も熱烈なファンがいて、初日の前日デパート閉店後の仕込を終えて、帰宅するオヤジ。
デパートの構造で、外部のエレベーターから直接トークショーの会場へ行けるようになっていた(記憶が定かでないが)
オヤジの帰宅時(多分、11時前後)既に、行列が。
「チョウ・ユンファ」の名前すら知らなかったオヤジはクリビツ。
まあ、そんなこんなで無事初日が終わり、
2日目は、「BEYOND」
この名前でピンと来る人、結構通かな。
当時、「進め、電波少年」のオープニング曲が彼ら。
さらに、オヤジが印象に残っているのは、この年の6月(既に、イベント屋卒業で今の仕事に)だったか、メンバーがウッちゃんナンチャンの番組収録中にスタジオで事故にあい、亡くなってしまったこと。
この当時は、結構ショックだった。
そんで、3日目は「サンディ・ラム」
彼女の詳細は、オヤジもよう知らんかった。
そんな、数日間を暮らしていた有楽町西武が無くなってしまう事をきいて、思い出したことを・・・・・・
むかしむかし、1993年 2月 のお話。
場所は、今年のクリスマスに閉館してしまう、有楽町西武
当時、有楽町西武は西武から独立した単独会社だった、この事はあまり知られていない?
クライアントは、香港政府観光局日本支局。
この担当者がなかなか小うるさい人だった。
お仕事は「香港パーティ」という3日間のイベント。
開会式・テープカット
この時に、くす玉(当初この手配も任させていたが、途中から他の代理店へ)を使用。
お決まりのセレモニーがあり、中国音楽の演奏があり、
テープカットありで、くす玉割れて、デパートオープン。
このスケジュールでの開会式の進行。
オヤジは、進行スタッフ、演奏者(クライアントマター)の入りが遅れたりで、進行が押せ押せで、オープニング後のクライアントからの小言が心配!!!
いざ、テープカット終わって、くす球割れる!!!
ダーン!紙吹雪が華麗に舞う、我々スタッフは「エッ!?・・・ヤッター!!!」
この意味するものは、当初からこのくす玉、紙吹雪無しのオーダー。
当方、四方八方手を尽くして探したが、手に入らず、それで他の代理店へ発注。
オープニングセレモニー終わりで、デパートオープン、お客さん入れ込み。故に、掃除をする時間を考えて、紙吹雪無しだったんだよね。
で、紙吹雪が待った瞬間に我々の押せ押せの進行はどこへやら、注意は紙吹雪へ。そこで、我々の「ヤッター!」となる。
3日間、ゲストが来てのトークショー。
1日目「チョウ・ユンファ」
当時も熱烈なファンがいて、初日の前日デパート閉店後の仕込を終えて、帰宅するオヤジ。
デパートの構造で、外部のエレベーターから直接トークショーの会場へ行けるようになっていた(記憶が定かでないが)
オヤジの帰宅時(多分、11時前後)既に、行列が。
「チョウ・ユンファ」の名前すら知らなかったオヤジはクリビツ。
まあ、そんなこんなで無事初日が終わり、
2日目は、「BEYOND」
この名前でピンと来る人、結構通かな。
当時、「進め、電波少年」のオープニング曲が彼ら。
さらに、オヤジが印象に残っているのは、この年の6月(既に、イベント屋卒業で今の仕事に)だったか、メンバーがウッちゃんナンチャンの番組収録中にスタジオで事故にあい、亡くなってしまったこと。
この当時は、結構ショックだった。
そんで、3日目は「サンディ・ラム」
彼女の詳細は、オヤジもよう知らんかった。
そんな、数日間を暮らしていた有楽町西武が無くなってしまう事をきいて、思い出したことを・・・・・・