健気だなあ。
父親に捨てられた九歳のいたいけな少女が孤児院に入る韓国映画。
正確には韓国とフランスの合作。監督はフランス人のウニー・ルコント。
そのためか、悲惨な話なのに、どことなくセンスのいいところが感じられる。
この女の子が知性を感じさせるいい瞳しているのよねえ。
ほとんどこの女の子の瞳を見るだけの映画。ポスターから想像できる通りだ。
それ以外に何が必要?
何も。
何も足さない。何も引かない。
さざ波のようなできごとはあるけれど、いたってシンプルなつくりの映画。
この少女、最初は、いつか父親が迎えに来ると信じている。
周囲の子どもたちや施設の従業員には、まったく心を開かない。
唇をきゅっと結んだままの堅い表情がまた、たまらない。
幼いなりの決意にあふれていて、思わず抱きしめてやりたくなる。
それはやめなさい。あなたが抱きしめたら犯罪よ。
なんで?心外だなあ。俺は、父親のような愛を感じるって言ってるんだぜ。
彼女が唯一、楽しかった記憶といえば、父親の漕ぐ自転車に乗せられて街を走った記憶。
そのときのこぼれるばかりの笑顔。これがまた、施設に入ったあとの仏頂面とは正反対に幸せそのもので、なんとも心に沁みる。
彼女がこの笑顔を取り戻すのは、いつになるんだろうと思うと、私の胸も張り裂けそう。
お前の胸が張り裂けたら、ホラーになっちゃうけどな。人肉ホラー。
ニクいことに、父親はほとんど背中しか出てこない。
おっきくて、あったかそうな背中。父親が極悪非道に描かれればまだあきらめがつくものを、こんな思い出を抱えてちゃあ、この子が父親に未練が残るのもしょうがない。
孤児院の少女といえば、映画史上の最高傑作「シベールの日曜日」を思い出してしまうけれど、この子はまだシベールの年令にも達していない。
やがて旅立つ彼女に、俺たちは「幸せになれよ」と声をかけることしかできない。
そう、それでいいのよ。抱きしめたりしないでね。
って、まだ誤解されてる?