【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「トゥヤーの結婚」:伝通院前バス停付近の会話

2008-03-12 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

どうしたんだ、そんな黒い顔して。
え、そう?
ここに鏡があるから、見てみろよ。
これ、鏡じゃないわよ。ただの案内板よ。
でも、顔が映るからよく見てみろよ。
あら、ほんと、まっ黒・・・って、悪かったわね。これが、あたしの素顔なのよ。あなたは容姿のことしか話題ないわけ?
いやいや、顔が黒いっていうのは、必ずしも欠点じゃないぜ。中国映画の「トゥヤーの結婚」を観てそう思ったね。
内モンゴルの草原で牧畜をして暮らす女性が主人公の映画だからね。顔が黒いのもあたりまえ。
常に顔に赤や青のターバンみたいなのを巻いているんだけど、その原色がなんとも目に鮮やかで黒い顔もひときわ印象的なんだよな。
寒いから厚い綿入れみたいなのを着こんで、身体がお相撲さんみたいにパンパンにふくれあがっているんだけど、それが草原に生きる女性のたくましさを感じさせる。
あれで電車に乗れば痴漢も寄って来ないよな。
なに考えてるの、あなた?
でも、話は非常に深刻で、夫が井戸を掘ろうとしていたときの事故で下半身不随になり、生きていくために離婚を決意する。でも、彼女の再婚の条件が、新しい夫に前の夫も一緒に養ってくれるよう求めるというもの。
すごい非常識な条件に思えるけど、中国には実際にそういう例があるらしいわね。
東京みたいなところに住む俺たちには考えられないけど、あの大自然の中で暮らしている人々なら、案外自然なことなんじゃないかとふと思ってしまう。
生きるとは、本来そういうことなんじゃないか、ああいうところで生きていくためには、世間体とか常識とか関係ないんじゃないかって、妙に感動してしまうわね。
トゥヤーというある意味、野性的な女性をユー・ナンという女優が演じているんだけど、一昔前なら絶対「紅いコーリャン」のコン・リーの役だよな。
というか、中国の辺境が舞台だからか、全体の印象は「初恋の来た道」を思い出させたわ。
ああ、あの映画のチャン・ツィイーもやたら分厚い服を着ていた。
もちろん、「初恋の来た道」の中のチャン・ツィイーはたくましいというより可憐で、「トゥヤーの結婚」のユー・ナンのほうがずっと年齢も上で、どっこい生きてるって感じだけど、どちらも究極の純愛物語だもんね。
ああ、そうだよな。トゥヤーは、夫に対する一途な思いから、夫連れ再婚をしたいなんていう行動を取るんだもんな。
その夫がまた、いかにも内モンゴルらしい朴訥な男で憎めない。ハリウッド映画には絶対出てこないタイプよね。
小さな娘がまた、いかにも内モンゴルらしい、朝青龍みたいな顔をしている。
それって、ほめ言葉?
もちろんだ。朝青龍みたいにかわいいって言ってるんだ。
中国映画って、ときどきこういう生きることの根源を見せるような作品が出てくるから目が離せないのよね。
黒い顔でもいいじゃないかって思えるような映画な。
そう、黒い顔でもかまわないのよ。
草原で生きるならな。
むひっ。


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「潜水服は蝶の夢を見る」:春日二丁目バス停付近の会話

2008-03-08 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

学校の校門が並んでいる風景を見ると、この時期、卒業の頃が思い出されるわ。
おや、お前にも卒業なんて頃があったのか。
当たり前じゃない。早く窮屈なセーラー服を脱ぎ捨てて、蝶のように美しく変身したいって願ったものよ。
そうか。蝶になるはずが、蛾になっちゃったってわけか。
失礼ね。夢見るくらい自由じゃない。
「セーラー服は蝶の夢を見る」ってか。
「潜水服は蝶の夢を見る」とはちょっと違うけどね。
当たり前だ。美醜の違いはあっても五体満足な人間が見る蝶の夢と、半身不随どころか全身不随の人間が見る蝶の夢とは比べること自体、不遜だ。
「潜水服は蝶の夢を見る」は、ファッション誌ELLEのやり手編集長だった男が、脳梗塞でまばたき以外何もできない寝たきりの存在に陥ってしまった中で、そのまばたきを合図にして自伝小説を書き上げる物語。実話だっていうから驚くわ。
たとえ肉体は潜水服を着せられたように不自由でも、人間には想像力があるじゃないか、蝶のように自由に夢見ることはできるじゃないか、っていう話なんだけど、決してお涙頂戴じゃなくポジティブに描いているところがいい。
もちろん、楽しい内容じゃないけど、同情とか、悲嘆をあおるんじゃなくて、何か一筋の光を与えてもらったような気分になる。
おかしなたとえかもしれないが、彼が必死にまばたきをして、それを合図に編集者が筆記をして小説を完成させていく姿は、ヘレン・ケラーがとうとう「WATER」ということばを発するまでの姿を思い出してしまった。
人間の力っていうやつかしら。
まばたきする左目の眼力にはすさまじいものがある。
全身で生きることを表現できない分、まばたきだけで生きることを表現しようとしたら、ああいう壮絶な目になるのかもしれないわね。
けれど、結局、彼は小説が発売されて10日後に死ぬ。
でも、それも、字幕で処理するだけで、愁嘆場はつくらない。理知的な映画よね。
理知的?俺たちにいちばん足りないものだな。
それだけに、いっそう感心するのよ、単なる凡人は。
そこが複雑な気持ちになるところで、凡人は、もっともっと生きていてほしかったという気持ちと、ひょっとしてこれでよかったんじゃないかという気持ちが人情として交錯してしまう。
ずうっと生きていたら、「海を飛ぶ夢」みたいな展開になったかもしれないわね。
あの映画のように、自ら死を選ぶべきかどうか悩む時期が来たかもしれない。
「海を飛ぶ夢」は、死を選ぶ自由は残されている、死を選ぶことは生きることだ、と尊厳ある死を選ぶ男の話だった。ああいう生き方も立派だと思うわ。
二本の映画を並べて思うことは、どんな形にしろ、何を選択するにしろ、人間には必ず自由が残されているってことだ。
蝶のように美しくなりたいなんてのん気なことを考えるのもいいけど、蝶のように自由に生きるとはどういうことなのかも、ときには考えてみなくちゃいけないわね。
そう、蝶のように美しくなるのはお前には無理かもしれないが、蝶のように自由に生きるのは誰にだってできるはずだ。
どうせ、私は醜い蛾ですよ。
それでも、俺は好きだぜ。
な、なによ、いきなり。
人がみな、いとおしく思えてくる映画だったってことさ。


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「明日への遺言」:小石川四丁目バス停付近の会話

2008-03-05 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

このあたりは、地下鉄が地上を走ってるのね。
空襲があったら目標になりそうで、なんだか危なっかしいな。
“空襲”って、いつの時代の話をしているのよ。
そりゃ、第二次世界大戦さ。アメリカ軍は日本中の町を無差別爆撃したんだから、ひどいもんだ。
でも、日本だって、中国や東南アジアで無差別爆撃をしたんじゃないの?
ああ、世界中で無差別爆撃が行われた。
つまり、無差別爆撃って犯罪じゃないのよね。
いやいや、国際法に照らせば犯罪らしい。
でも、戦争中のことなんだから仕方ないんじゃないの?
だから戦後、アメリカは、市街地無差別爆撃をしたことは棚にあげて、逆に空襲をした際、捕らえられたアメリカ軍人を、無差別爆撃をした犯罪人として処刑した東海軍司令官、岡田資中将を殺人罪で裁判にかけた。ところが、この中将、気骨があるもんだから、「太平洋戦争におけるアメリカ軍による市街地無差別爆撃は大量殺人である」と堂々と主張した。裁くのは戦勝国で裁かれるのは敗戦国なんだから、そんな理屈を展開しても結果は明白なんだけど、そんなことは関係ない。捕まっても筋を通し切る。
あらあら、どうしたの、歴史の講義を始めちゃって。
その、法廷での岡田資の戦いを描いた映画「明日への遺言」を観たもんだからな。
なんか、固い話になっちゃったけど、映画のほうは・・・。
やっぱり固かった。
全体の80%が法廷シーンなんだもの、柔らかくなりようがないわよね。
しかし、ふつうは口あたりをよくしようとして、回想シーンとか、季節の情景とかを入れるんだけど、そういうのはほとんどなく、裁判所と留置場だけで押し切ったというのは、むしろ立派だ。
気骨のある人を描くには気骨のある描き方がいちばんふさわしいってことかしら。
検察官や裁判長どころか、自分の弁護士さえ敵国だったアメリカ人というなかで、一歩もひるまずに弁論する姿には圧倒される。
藤田まことが背骨の通った将校を魂をこめて演じている。名演技よね。
そして、その妻が富司純子。ほとんどセリフがなく、裁判を傍聴するだけの役割なんだけど、そこにいるだけで、夫婦の愛情が感じられるからたいしたもんだ。
その影響を受けたか、アメリカ人の弁護士や裁判官、検察官も戦勝国だからって、理不尽な裁判はせずに、あくまで公明正大な裁判を心がけていく。
誰だって、ひとりひとりは、理性にあふれ、人間らしい心を持っているんだ。なのに、集団になると野蛮な戦争に陥っちゃうってところが、悲しいところなんだよな。
法廷シーンばかりで、興味のない人には退屈だったかもしれないけど、美術もすばらしく、本物の映画ならではの緊張感があふれてて見ごたえあったわ。
木村拓哉の「HERO」の法廷シーンとかと比べると、違いが一目瞭然だよな。
でも、ヒットするのは当然あっちだけどね。
蒼井優が出ててもだめか。
ほんの一コマだったじゃない。
彼女が語る空襲シーンとか、アメリカ人の処刑シーンとか、ふつうは回想で出てきそうなものなのに、いっさい出さないのが潔い。かえって緊張感が持続する。
製作費が足りなくて、手が回らなかったのかもね。
それでも、潔い。
アメリカ側の主張が正しいのか、岡田資の主張が正しいのか、私には難しくてよくわからなかったけど、ときどきはこういう映画を襟を正して観ることも必要よね。
地下鉄もときどきは地上を走る必要があるようにな。
うーん、いまの例え、裁判以上にわからない・・・。


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「ペネロピ」:小日向四丁目バス停付近の会話

2008-03-01 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

愛知学生会館かあ。やっぱりここの学生たちは、毎日ミソカツ食べて暮しているんだろうな。
愛知の学生がみんな豚カツにミソかけて食べていると思ったら、大間違いよ。
愛知の女学生の鼻はみんな豚の鼻になっているっていうのも、間違いか。
ちょ、ちょっと待ってよ。そんな話、聞いたことないわよ。
俺も。
だったら、撤回してよ。名誉毀損で訴えるわよ。
あれ、お前、愛知県人だったか。
違うけど、世の女性を代表して言ってるのよ。
しかし、豚鼻の女の子っていうのも、意外とチャーミングなもんだぜ。
それはそうね。「ペネロピ」なんていう映画を観ると、豚鼻がひとつのチャームポイントになってるもんね。
先祖の呪いのせいで豚の鼻を持って生まれてきた女の子が、上流階級の男と結婚することによって呪いが解けると知り、鼻をなおそうとお見合いを繰り返す話なんだけど、その女の子を演じるのがクリスティーナ・リッチだから、豚鼻でも十分かわいくて、お見合い相手がその鼻を嫌悪してみんな逃げていくっていうのがとっても不思議なんだよな。
上流階級っていうのがミソで、彼らは見栄を第一にするから、自分たちの価値観と少しでもずれたものには拒否反応を示しちゃうってことなんじゃないの?
彼女の親も同じ上流階級だから、自分の娘の鼻にすごい引け目を感じて隠し通している。
そういう親の影響を受けて、彼女も自分の鼻を欠点としか見えない。
よくいるよな。じゅうぶんきれいなのに、自分では醜いと思って整形手術とか繰り返す女性。ああいう心理なのかな。
そうよね。私も自分の容姿にもっと自信持っていいのよね。
それは人によるな。しかし、彼女が思い切って庶民の中に飛び込んだらかえって人気者になってしまうっていうのは十分理解できる。
結局、彼女の鼻はなおるんだけど、それは上流階級の男と結婚したからじゃないっていうところがまたミソよね。
ミソの多い映画だな。やっぱりミソカツ風ってことか。
醜いお姫様が王子様と結ばれて美しくなりました、じゃあ、典型的なおとぎ話じゃない、と思っていたら、それ以上に世の女性たちに勇気を与える展開になっていた。
自分を変えるのは男じゃない。自分自身なんだってことだろ。
誰かに愛されるのを待つんじゃくて、自分が自分を愛するところから道が開けるんだってことよね。勇気をもらうわ。
あの展開を見て、やっぱり私はこのままでいいんだ、と思ったんだろ。
思った、思った。
でも、それも人によるからな。
なにそれ、ヤな男。
繰り返すけど、愛くるしいクリスティーナ・リッチだから成り立っている話なんだよ、これは。
そんなの十分わかってるって。その上で誰もが楽しめるおとぎ話になっているんだから。観終わってほんわりといい気持ちにならなかった?
なった。
でしょ。男が観てもそうなんだから、女性が観たらもう最高よ。
そこが一番のミソってことか。
豚の鼻にミソって、やっぱりミソカツ映画かしら。


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