【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「アキレスと亀」:亀戸駅前バス停付近の会話

2008-09-20 | ★門33系統(豊海水産埠頭~亀戸駅)

ロケット館?
トイレなんじゃないのか?
トイレの芸術的表現ってこと?
よくわからないものなんだ、芸術は。
ある意味、あきれる。
亀戸であきれる。アキレル、亀戸・・・アキレルと亀・・・アキレスと亀。
うーん、そーとー苦しい。
そうだ、芸術は苦しいものなんだ。「アキレスの亀」の主人公は絵を描くことに一生を費やすが、そのために妻も家族も苦しめてまったくいいところがない。
その芸術家をビートたけし、妻を樋口可南子が演じるんだけど、どうして樋口はこんなしょうもない男についていくのかしらね。
樋口可南子って、どんな男でも許しちゃう菩薩みたいなところがあるからな。ダメな男を支えるいい女を演じてたじゃないか。
それに甘えて、この絵描き、現実生活と向き合おうともしない。
まあ、そう目くじらたてるな。まともに描けば、芸術家の苦悩と悲惨っていうところなんだろうけど、監督が北野武だからそうはならない。軽妙というか、洒脱というか、いいかげんというか、ちゃらんぽらんな表現を採用している。そこが、世界のKITANOたる所以だ。
そういう意味では、世界の映画人と違って私はKITANOとは相性がよくないのかしらね。一筋縄じゃいかない映画だってことは初めから想像していたけどね。
そんなことはないだろ。話はいたって単純明快。表現もいたって平明。あっけらかんとしていて難しいこと全然ない。
あっけらかんとし過ぎよ。一歩間違えば単なるギャグの連続に見える。
そこをギリギリのところで映画の側に踏みとどまっているのが、北野映画の特徴なんじゃないか。
私はもっと陰影の深い映画のほうが好みだな。
まあ、俺も自画像を描くようになってきた最近の作品に比べれば、処女作の「その男、凶暴につき」の頃の硬質な作品のほうがひそかに好みではあるんだけどな。
あの映画はあまりに即物的に人を殺すんで驚いた記憶があるけど、こんどの映画もよく人が死ぬわよね。
父も母も友人も娘も・・・。
あんなにあっさりと人を殺す必要があるわけ?この監督、横暴につき、ってところかしら。
「その男、凶暴につき」はもともと犯罪映画だからある意味、人が死んでも必然性があるけど、たしかに今回の映画はこんなに死ななくてもいいんじゃないの、という気はしたな。
そういう多くの犠牲の上に芸術は成り立つんだ、っていう感じでもないしね。
いや、死の気配っていうのはいつも北野武の映画には漂っていて、それもまたトレードマークではあるわけだ。
なーるほど。って感心するほどのことじゃないでしょ。
やっぱりお前には真の芸術は理解されないか。
このロケット館と同じようにね。



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ふたりが乗ったのは、都バス<門33系統>
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