学校の校門が並んでいる風景を見ると、この時期、卒業の頃が思い出されるわ。
おや、お前にも卒業なんて頃があったのか。
当たり前じゃない。早く窮屈なセーラー服を脱ぎ捨てて、蝶のように美しく変身したいって願ったものよ。
そうか。蝶になるはずが、蛾になっちゃったってわけか。
失礼ね。夢見るくらい自由じゃない。
「セーラー服は蝶の夢を見る」ってか。
「潜水服は蝶の夢を見る」とはちょっと違うけどね。
当たり前だ。美醜の違いはあっても五体満足な人間が見る蝶の夢と、半身不随どころか全身不随の人間が見る蝶の夢とは比べること自体、不遜だ。
「潜水服は蝶の夢を見る」は、ファッション誌ELLEのやり手編集長だった男が、脳梗塞でまばたき以外何もできない寝たきりの存在に陥ってしまった中で、そのまばたきを合図にして自伝小説を書き上げる物語。実話だっていうから驚くわ。
たとえ肉体は潜水服を着せられたように不自由でも、人間には想像力があるじゃないか、蝶のように自由に夢見ることはできるじゃないか、っていう話なんだけど、決してお涙頂戴じゃなくポジティブに描いているところがいい。
もちろん、楽しい内容じゃないけど、同情とか、悲嘆をあおるんじゃなくて、何か一筋の光を与えてもらったような気分になる。
おかしなたとえかもしれないが、彼が必死にまばたきをして、それを合図に編集者が筆記をして小説を完成させていく姿は、ヘレン・ケラーがとうとう「WATER」ということばを発するまでの姿を思い出してしまった。
人間の力っていうやつかしら。
まばたきする左目の眼力にはすさまじいものがある。
全身で生きることを表現できない分、まばたきだけで生きることを表現しようとしたら、ああいう壮絶な目になるのかもしれないわね。
けれど、結局、彼は小説が発売されて10日後に死ぬ。
でも、それも、字幕で処理するだけで、愁嘆場はつくらない。理知的な映画よね。
理知的?俺たちにいちばん足りないものだな。
それだけに、いっそう感心するのよ、単なる凡人は。
そこが複雑な気持ちになるところで、凡人は、もっともっと生きていてほしかったという気持ちと、ひょっとしてこれでよかったんじゃないかという気持ちが人情として交錯してしまう。
ずうっと生きていたら、「海を飛ぶ夢」みたいな展開になったかもしれないわね。
あの映画のように、自ら死を選ぶべきかどうか悩む時期が来たかもしれない。
「海を飛ぶ夢」は、死を選ぶ自由は残されている、死を選ぶことは生きることだ、と尊厳ある死を選ぶ男の話だった。ああいう生き方も立派だと思うわ。
二本の映画を並べて思うことは、どんな形にしろ、何を選択するにしろ、人間には必ず自由が残されているってことだ。
蝶のように美しくなりたいなんてのん気なことを考えるのもいいけど、蝶のように自由に生きるとはどういうことなのかも、ときには考えてみなくちゃいけないわね。
そう、蝶のように美しくなるのはお前には無理かもしれないが、蝶のように自由に生きるのは誰にだってできるはずだ。
どうせ、私は醜い蛾ですよ。
それでも、俺は好きだぜ。
な、なによ、いきなり。
人がみな、いとおしく思えてくる映画だったってことさ。
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潜水服・・・いろいろイメージのふくらむことばですね。
いまさらですが、考えてみると、
なかなか含蓄のあるタイトルでした。
■Agehaさんへ
もうご存じだと思いますが
このブログは、寒いギャグで
あふれかえっています。
そんな中で「我の強い蛾」・・・
これはもう、座布団10枚です!
すっかり「我の強い蛾」になってしまいました。
美しく生きてるかはこっちへおいといて
自由奔放(爆)
・・・寒いギャグに愛の座布団を・・・(笑)
TBつながりで過去ログへお邪魔しました。
相変わらず愛のあるボケツッコミで(失礼)
楽しく読ませていただいてます。
でもしめるとこはしめるからスゴイな~
>どんな形にしろ、何を選択するにしろ、
人間には必ず自由が残されている・・・
その自由を使ってどんな状況であっても
ポジティブに生きる、
強くなりたいです・・・。(5月病???)
僕も肉体的な不自由ばかり連想していましたが。
素敵な映画でした。
ここ最近gooブログへTBを飛ばせなくなってしまい、コメントだけで失礼させて頂きます(泣)。
そのコメントも「入力内容に不正なURLが含まれているため、コメントできません」となるので、URL欄はブランクにさせて頂きます(泣)。
なお、TBを受けることはできますので、よしなにお願いします。
何度か出てくる潜水服が不自由そうに見えたので、そう解釈してしまいましたが、たしかに潜水服を着ているように会話が聞こえてくるところからきているのかもしれませんね。いろいろ考えさせられる映画でした。
映画の中では、
水中で潜水服を着せられて聞こえてくる会話のようだ、
と言う所から、この題名がつけられたと思いましたが、
肉体が不自由な、と言う意味ですか???
小学校を受験って、5、6歳の頃ってことですか。面接でしゃべれないなんて、あたりまえの年頃なのにね。ある意味、非情ですね。あれから幾年月、校舎もあなたも綺麗になって・・・?
ある意味懐かしい。。。 校舎綺麗になったんですね^^
いや、珍しくおほめに預かり恐縮です。人間の持つ力について深く考えさせる映画でしたね。
■真紅さんへ
あらら、またおほめに預かりほんとに恐縮です。ある意味、とてもつらい映画なのに、2回もご覧になったなんて凄いですね。でも、たしかにもう一度観たいような気もします。
↑ぺろんぱさまと同じく、いつも新鮮な気持ちで面白く読ませていただいています。
会話形式のレビュー、とてもいいですね。掛け合いが絶妙です。
映画感想はついだらだらと粗筋を書いたりしてしまいがちですが、文章の長さもちょうどいいと思います。
毎回「オチ」があるのも凄いです。
この映画は2回観て、原作も読んでしまいました。
理知的であり、粋な映画でしたね。
ではでは、また来ます。
二人の会話で映画の世界が紡がれていくのがとても
新鮮で、いつも興味深く読ませて頂いております。
今回の貴レヴューに於いても、何度もPCの前で頷きながら読んでおりました。
彼の(合併症による)予期しなかった死が、(結果的には)彼にとってはどうだったのか・・・しかしそれを我々が云々することも、仰る通り「不遜なこと」なのかもしれませんね。
>どんな形にしろ、何を選択するにしろ、人間には必ず自由が残されて
この文章にいたく心を動かされました。
何気ない日常に於いても思い出したい言葉です。