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お坊さん便について・・

2016-04-19 20:01:16 | 最近のニュースから
話題になった「お坊さん便」

ネットでお坊さんを手配するのを仏教会が中止を求めたのに対して、やってる業者は拒否するみたいですネ

ネット上には色んな意見が出ています。

もう両親の葬儀を済ませた私ですが、タイミング的にこう言う「お坊さん便」が注目されていたら
そして私に少し勇気があれば、この「お坊さん便」を利用していたかも知れません。

私はお坊さん便に大賛成と言う訳では有りません、現状の坊さん達に批判的な感じを持っているだけなんです。

反対する人達の意見を幾つか拾ってみました。
・・・見ず知らずの坊さんに数万円支払うなんて???
〇世の中に坊さんと親しい人って、そんなに存在しているのでしょうか・・・。

・・・宗教を商売にすることに強烈な違和感
〇確かに私も同感です。しかし現状の仏教会のやっている事も同じ様に商売を感じます。

・・・僧侶を、法要をなんと思ってるんだ。
〇そう言う人はなんと思ってるだろう??? 国民の義務(納税)を果たさない宗教家達を・・・。

この問題の基本的な問題は何処に有るのか???
それは気が付かないだけで明快なんです。

信仰の無い人まで日本では仏教に則った行事をして、何かの時はそれに則ってやらなければダメな様な雰囲気があるんです。
無宗教の人や他の宗教を認めない、それこそ宗教的な感覚なのに、それが正しいとしている事が原因なんです。

霊感商法と言うか、マインドコントロールと言うか、、、
無宗教の人達に対して「その粉」を撒き散らす事に成功しているのが宗教団体です。



親が亡くなり、遺体を焼き、残った骨を本人が生前に望んだ場所に埋める。
そこを荒らされないように墓標を建てる。

残った者は親の事を思い出したり、何かを報告したくなったり、
有るか無いか解らないあの世とやらで、亡くなった人が安らかに過ごしているだろうか・・

人によりその思いは違っても、亡くなった親の所に行って手を合わせたり、頭を下げたり。

このような人としての思いや行動の中に宗教は必要なのでしょうか・・・
私は宗教の事を考える時に必ずこの思いが頭の中を走ります。

私は自分の感じた時に親の墓に行っております。
別に何処かの宗教が進める日に行くわけではありません(重なる事も有ります)
心の中で両親に話しかけたりしますが、手をあわさない時もあったりします。

「今日はなぁ、ええことが有ったので報告に来たわぁ~、どう?? そっちも調子ええかぁ~、、、そんなわけ無いか」
こんな感じの事を心の中で話しかけたりします。
そんな時に手を合わせたり、頭を下げたりはしません。
最後に 「また来るわな」と心の中で言って終わりです。
・・・これ、何か宗教と関係有るんでしょうか??? それとも私は間違った事をしているのでしょうか???

子が親の骨を置いてある場所に行き、過去のかかわりを思い出したり。
たまには仏教では仏(ホトケ)なのに、神のようにお願い事をしたりします。

お墓の場所は法律で制限されているし、菩提寺より近い霊園にしました。墓標は木だと朽ちるので石(墓石)にしただけです。
私の家は一応真言宗なんですが、私の一連の行動でそれを意識した事は有りません。

母が先に亡くなり、父親の意向もあり一般的な法要は行ってきました。

生前の父と私は何度も話し合い、その中で・・
私は父親に墓には体力の続く限り行こうと思ってるけど、葬儀の後に49日から始まる法要は何処までするか解らないと告げました。

それに対して父親は「あんな坊主より、お前が来てくれる方がずっと良い」と言ってくれました。

結局、父親が長生きしたので母親の法要は13回忌までしました。
しかし、父親の方は3回忌の時に親戚の人達に
「今回を持って両親の法要で皆さんに声を掛けることは止めます」と宣言しました。

父親の葬儀・初七日・49日・一回忌・母親の13回忌・父親の3回忌と連続でした。

私の思いは・・・
葬儀や法要は親子の間で行われる事が多いですよね。これは超プライベートな事なので、どのような形であれ他の人が口を出すことでは無いと思います。

有名で大きなお寺さんの坊さんを何人も頼んで数百万支払うのも勝手。
「お坊さん便」を利用するのも勝手です。
本当に誰(坊さん等)にも頼まず身内だけで済ますのも勝手です。

他人が口を挟む事じゃない、その人の考えを尊重する気持ちを持って欲しい。

仏教会に言いたい事・・・「お坊さん便」をとやかく言う前に自分達のあるべき姿を考え直すほうが先ですヨ