馬医者修行日記

サラブレッド生産地の大動物獣医師の日々

臨床家が研究報告する理由

2017-12-03 | How to 馬医者修行

臨床家でも、研究発表、調査報告、症例報告を続けいている獣医師もいるし、ほとんど、あるいは、まったくやらない人も居る。

「どうして臨床家が研究発表や症例報告をするんですか?」

尋ねられたので、頭を整理して答えておこう。

 

・正しい診療をしたいからだ。

効果がない治療が行われることがあるのが臨床の世界の常だ。

「オシッコを飲めば癌が治る」という本が出版されていたこともある。後に著者は逮捕された。

獣医学的に問題があることをしていたら口頭発表でも袋叩きにあうだろうし、学術誌には論文として掲載されない。

別な観点で見てくれる専門家たちを納得させられるか世に問うことは、その診療が正しいか評価を受ける機会でもある。

 

・レベルアップしたいからだ。

症例報告や研究発表しようとすると、抜け落ちなく診療のレベルを維持しておかないと難しい。

おろそかにされがちな基本的なことをやっていなかったり(それは心拍を数えることだったり、血液や細菌検査だったり、画像診断だったりする)、

手技に問題があったり、きちんと記録をとっていないと、発表を計画している段階で自分の至らなさを発見する。

発表や報告を続けることは診療そのものをレベルアップさせる手段でもある。

 

・勉強する機会になるからだ。

大学で教わってきて、回りを見よう見真似で診療している。ときどき本では勉強する。しかし、それでは不充分だ。

珍しい病気や、最新の手技は、成書には載っていなくて、学術誌に載ったばかり、というものもある。

自分が発表・報告しようとすることについては、歴史的な背景から、他の専門家の記述から、最新の情報も、そして権威者の意見まで、調べておくことが望ましい。

研究発表の質疑応答に備えて勉強していて、自分の意見と違う記述を見つけて青くなったりする;笑

(それでさらに深く考えながらその論文を読むと、自分との対象の違いなど、違う考察になっている理由をみつけられたりする)

論文作成では、「緒言」や「考察」を書くために、いくつも学術報告を読まなければならない。

発表や報告をすることは、臨床家にまとまった勉強をする機会を与えてくれる。

 

・自分の分野をとおして社会貢献できるからだ。

ひとりで診れる動物は限られている。

しかし、自分の考えた方法が正しくて、それを広めることができれば何倍もの動物を治すことができる。

生涯、自分が直接診た患畜の数は記録しようと思えば数えられるが、発表や報告で貢献した数は数え切れないほど多くなる可能性がある。

臨床獣医師としてできる最大の社会貢献の方法ではないか。

 

・学んできたことに感謝しているからだ。

大学で教えてもらって、本で勉強して、学術論文を読んで、診療してきた。

すべて先達からの恩恵だ。

そして、今も同じ分野で悩みながら、試行錯誤を繰り返しながら、良い結果が出たら発表してくれる仲間も居る。

その分野に、自分が見つけたことがあったら発表し、報告するのは、恩恵を受けてきた者の義務じゃないか。

自分が欲しい情報がみつかったときの喜び。それでうまく行ったときの感謝。

臨床の分野に感謝しているので、自分もまたその分野に何か書き加えることができたら、それは無上の喜びだ。

 

・臨床獣医師として、研究者として、評価してもらえるからだ。

若くて、無名で、貧しいこと(毛沢東が示した何かを成すための条件;私、共産主義者ぢゃありませんけど・・)のままでは診療もやりにくい。

何度もその分野で発表・報告をしていると名が知られてくる。自分の実力もつく。

そのうち、学会の座長を頼まれるようになり、講演に呼ばれるようになる。自分の知識は倍増している。

論文を投稿しても掲載されやすくなる;笑 (これはあってはならない副産物だが、論文審査の過程で仕方がないことでもある)

そのころには、日々の診療もかつてよりはやりやすくなる。

自分の実力がついたせいか、顔が知られるようになったせいか、歳上になったせいか、わからないが、自信とはそういうものだろう。

評価され、信頼されてもいる。

そしてまた自分を、歳とって、無名で、貧しい、と認識し直して、今より高いレベルに挑戦するのだ。

評価してもらうことは、自分のためだけじゃない。

 

・この業界・分野・生き方を愛しているからだ。

自分が好きな動物に、自分が正しいと思う診療をして、人とその動物に喜んでもらえる、この臨床獣医師という分野と生き方が好きだからだ。

だから、発展していってほしいと思っているし、そのことに貢献したい。

そして、まだ私は現役の臨床獣医師だ。

自分が正しいと思う知見、手技、について考え、それをまとめて発表・報告する。

それは、上に書いてきた理由で、臨床とか、臨床獣医師のしごとに、私にとって当然含まれているべきものなのだ。

 

以前にも紹介した一文をまた記しておく。

It was brought up to believe that the only thing worth to doing was to add to the sum of accurate information in the world.

やるべき価値があるただひとつのこと、それはこの世界に正しい知見を加えていくことだ、と信じるようになった。

                         -----Margaret Mead 文化人類学者

臨床家にとっては thing worth to doing は目の前の動物を助けることだ。

そして、その記録を公表することは、学者、研究者と同じく、とてもだいじなことだ。

California Davisの待合室に掲げられていた一文。

勉強せずに臨床をするのは、海図を持たずに航海へ出るようなものだ。

勉強して実践しないのは、航海に出ないのと同じだ。

だったかな??