エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

失われた無垢な命

2015年07月10日 | ポエム
今日は、失われた無垢な命について語りたい。
失われたのは、孫娘の友の命である。

きっと、ままごとのように楽しい交流のあった友の命である。
仮に、孫娘をR失われた命の友をG君、そして仲良しだったK君と言おう。



失われた命は、青田風になって爽やかに吹き渡っている。
けれど、そんなことはRには分からない。

テレビのニュースでも報道された・・・。
原宿での事故である。
5歳の無垢な命である。

いつも仲良し3人で遊んでいたと云う。
G君とK君、それに女の子のR。
男の子二人は、いつも喧嘩ばっかりしていた。
Rは、二人の間に入って仲直りさせ直ぐに仲良しに戻った。

G君は、家に帰ってもRのことしか話さなかったという。
RもよくG君のことを私たちに話した。

そのG君が交通事故に会ってしまった。
G君のご両親から、Rの母親に連絡が入りRちゃんにGと会ってあげて欲しい・・・と。

Rの母親は、取る物も取り敢えずRをG君のところに連れていった。

Rは、G君に会っている間は泣かなかったと云う。
しかし、G君の家を出たとたんに号泣した。
Rの母親は、泣きながらその話しをした。

お通夜の朝、幼稚園でG君の下駄箱を前にしてRは・・・。
『G君!」と呼びかけたらしい。







「青田風無垢な命の吹き渡る」





三人は、この春に幼稚園に入園したばかりである。
この幼く、無垢な命の炎は途絶えてしまった。
ぼくの孫のRも、きっと無意識の初恋だったに違いない。
同時に、Rはお姉さんの気分であったのかもしれない。
Rは、家では妹である。
下には妹も弟もいない・・・。

Rは、通夜と告別式の全てに出席した。
母親の話しによると、読経の時間ほぼ一時間静かに席に座っていたという。
また、失われた命のG君の親戚がRの所に着て・・・。
『あなたがRちゃん、Rチャんなの?」と聞いてきたと云う。

また出棺の時、仲良し三人組のRとK君の二人は大人の中でもみくちゃにされながらも、G君の棺に近づこうとしていたと云う。
ぼくは、Rの気持ちもそうだけれどG君のご両親の気持ちを思った。
それだけで、胸が塞がれ涙が溢れた。

無垢な命の炎を消しただけでなく、多くの人の胸を痛めたこの事故。
事故という、その罪を憎む。

人の世に熱あれ、光あれと願う。

G君の冥福を祈るしかない。
そして孫娘のRや、友達のK君の心の傷が早く癒える事を祈る。

今日は、ぼくの悲しみについて書きなぐった。
最後まで詠んで頂いた方に感謝するものである。


      荒 野人





奄美のパッションフルーツ

2015年07月09日 | ポエム
奄美から、二度目の贈り物・・・。
パッションフルーツが届いた。

大きくて、中身がびっしりと詰まっている。
スプーンで少しだけ掻き回して、やおら口に運ぶ。
そうでなくても、家中にパッションフルーツの香りが充満しているにもかかわらず、これでもかと甘酸っぱい香りが広がっていく。







「梱包の時計草の実文添えて」







奄美では「時計草の実」と標識が貼ってあるお店も多い。
この実は、時計草の実であるのだ。

梅雨らしい日々が続いているけれど、時々雨が上がる。



雨上がりに出来る水たまりは、異次元を映し出しているようで面白い。
僕は、水たまりが好きだ。
もっと云えば、その水たまりに再び雨が降り落ち「水輪」が出来る様も面白い。

雨の日の散歩は楽しい。



      荒 野人

梅雨の山から

2015年07月08日 | ポエム
梅雨時の山は、雲を着ている。
雲は、纏わり付くように山肌を飾る。

その風情は、素晴らしく荘厳である。



昨日と一昨日、ぼくは故郷の山梨県に出かけた。
伯母が亡くなったのだ。

父の実兄の妻だった。
父の実兄は、もう40年前に逝去している。
この伯母は、再婚もせず二人の子どもを育て上げた。
着物姿の粋な美人で、花が大好きだった。
庭には、蛍袋や半夏生が咲き乱れ、桔梗の紫が鮮やかであった。

この伯母は、花の季節に伯父の下へ旅立った。
告別式の後、初七日の席で・・・献杯の音頭をとった。
「今日は、七夕です。伯母ちゃん伯父ちゃんと会って仲良くしろしね!献杯!」
ぼくは、山梨の方言でそう言って杯を捧げた。



この山肌を縫う雲は、中央高速道の景色である。
時折雨がパラついた。

伯母は泣いてはいない・・・。
残された、子ども二人が泣いているのだ。







「山の襞ことごとく雲木菟の声」







山の中から木葉木菟(このはずく)の声が届いた。
久しぶりの、木菟の声であった。



山の景色の反対側は、街である。
この電線の下は、葡萄の棚である。

とまれ・・・俳句を始めてから、はじめての木菟の声であった。
伯母が、聴かせてくれたのかもしれない。



      荒 野人

半夏生に半夏雨

2015年07月07日 | ポエム
風流ですね・・・!
半夏生に、半夏雨が降りかかっている。

この日ぼくは、ブラームスを聴きにいってきた。
ブラームスの醸し出すアンサンブルは、誠に心地良い。
ブラームスの管弦楽曲は、大好きである。







「半夏雨ブラームス聴く耳聡し」







早めに家を出て、コンサートの前に後楽園遊園地を少しだけ歩いた。
昼食は、熟成肉のランチを頂いたのである。

40日くらい熟成させるらしいのだけれど、誠に地味深い旨味である。
最近、食べる前に写真を撮ると云う作業が疎かになっている。
単なる食いしん坊になってしまっている。

だからと云う訳では無いけれど、写真が無い。
勘弁されたい!



後楽園は雨上がりだからであろうけれど、人手が多かった。
従って、園地内のレストランはファーストフードも含めて、列が出来ている。

嗚呼、先に食べてしまって良かった!
そう思ったのである。



相変わらず、ここでは黄色い声が上がっている。
その黄色い声は、楽しそうである。



会場が開く前、およそ一時間半前に遊園地を離れた。
半夏雨が、パラついていた。

ぼくは傘をさす事も無く、駅に向かったのであった。



       荒 野人

ヤマモモ熟るる

2015年07月06日 | ポエム
見上げてみれば分かる。
梅雨の晴れ間の、なんと鮮やかで瑞々しい事であろうか。



天は虚空の如く鮮烈で、瑞々しいのである。
ぼくは、その空間を覗き窓にして詩を詠むのだ。

その作業は、晴れやかであって自然に対して或るおこがましさを覚えるのである。







「ヤマモモの熟るる並木のいじらしく」







今日は、ヤマモモの実りを身近に感じた。
このヤマモモは「くせ」のある果実だけれど焼酎で漬け込むと良い。

その個性が際立つのである。

この木は、他聞に洩れず誰も実を採ろうとしない。
勿体ない話しである。



実が落ちて、舗道を汚している。
踏んづける人が居なければ良いのだけれど、誰か実を踏んで喜んでいる。

比較的に、綺麗な場所を写したけれど黒ずみの在る場所は踏まれた跡である。
こうした、果実による瑕疵を見るのは辛い。



      荒 野人