エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

「ながめ余興場」という古い芝居小屋

2010年12月13日 | ドライブ
「ながめ余興場」は、群馬県みどり市大間々町にある。
高津戸峡のすぐ近くに立つ1937年(昭和12)建築の芝居小屋である。



1987年(昭和62)に閉鎖。
近年、文化財としての価値が見直され復元されたのである。



街中にありつつ、眼下に渓谷美が広がっている。
赤い橋は紅葉や春の芽吹き時、新緑、はては桜の満開に映えるのである。



この芝居小屋は、形式は切妻造り妻入りと称されるもので、建物正面の中央に唐破風を付けて客の入場口とし、その左右には千鳥破風を付けるなど、劇場らしい変化に富んだ意匠を施している。

実に見事な造作である。



遠目で見ても、高津峡の水は澄んでいてカガミのようである。

回り舞台であるけれど、この機構はヨーロッパに先駆けること約150年前、江戸時代の中頃に日本で発明され、明治以後、外国の舞台機構にも大きな影響を与えたとされているものである。

人が手で回す伝統的な回り舞台である。



みどり市大間々町大間々1635
お問い合わせ先 電話 0277-72-1968 FAX0277-72-1985

である。



正面の左側に入場券売り場があり、それもまた雰囲気のあるたたずまいである。

ここ上州の地はもう寒い。
新緑の季節にでもお尋ねになっては如何だろうか。





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正岡子規が逝去した・・・香川氏演ずる

2010年12月13日 | 日記
坂の上の雲で正岡子規が死んだ。
壮絶な病気との闘いは、夙に有名であるけれど、香川照之は見事に演じきった。

彼のこのところの人間描写は壮絶なものがある。
「龍馬伝」で岩崎弥太郎を演じきったのは、ついこの間である。

迫真の演技力である。



慶応3年9月17日(1867年10月14日) - 明治35年(1902年)9月19日
合掌。

しかし香川照之が演じた子規の命日は、2010年12月12日である。
二つ目の命日を香川照之は子規に捧げたのかもしれない。

 辞世の句
  「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」
  「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」
  「をとゝひのへちまの水も取らざりき」

である。

3年間の寝たきりでの闘病生活の中で、しかし子規は若き文学者を育て続けた。
高浜虚子、河東碧梧桐、伊藤左千夫、長塚節らである。

愛情をもって指導し続けたのであった。
子規は、碧梧桐と虚子について、「虚子は熱き事火の如し、碧梧桐は冷やかなる事氷の如し」と評したのであった。
愛情溢れる評である。

   昔見し 面影もあらず衰えて 鏡の人のほろほろと泣く
   釈迦に問ふて見たき事あり冬籠

いずれも子規の作品である。
病との闘いに疲れた刹那の心境でもあろうか。

作品に内包されているのは、写生の見事さである。

とまれ香川照之の演ずる正岡子規が死んだのである。
哀悼の誠を捧げようと思う。





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