平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

あいのり 8/7

2006年08月08日 | バラエティ・報道
 ひさよんとちゃきのウーマン・ウォーズ。
 テレビ画面を通しての第三者の立場で見るとこうだ。

 ひさよんは「想いが憎しみに変わり、田上くんをおとしめようとした」
 「和泉のため」「新メンバーのため」と言っているがそれはきれいごとで、憎しみから田上くんを糾弾、みんなの前で恥をかかせてやろうといった意図があったことは確かだ。
 ちゃきは問いつめて、それをひさよんの口から聞きたかった。
 
 一方、ちゃき。
 彼女の行動もひさよんの起こした行動の結果、田上くんがリタイアしたことへの恨みから来ている。ひさよんのやり方を責めているように見えるが、田上くんがいなくなったことに憤りを感じている。仮にひさよんがスタッフに事実を言って田上くんがリタイアしたとしても、ちゃきはおそらく同じようにひさよんを責めていただろう。スタッフにチクる様な陰湿な方法で彼を追いつめてと。
 そしてひさよんのリタイアを望んでいる。

 田上くんは悪。悪は糾弾され一掃されなければならないと考えるひさよん。
 ひさよんくんは悪。悪は糾弾され一掃されなければならないと考えるちゃき。
 心の奥底にあるものはふたりとも同じだ。
 それは後半のエピソードであるクロアチアのセルビア人とイスラム教徒の憎しみ合いと闘いに似ている。
 憎しみ合いからは何も生まれない。
 仮に憎しみの対象が排除されたとしても、残るのは虚しさ(田上くんを排除した時、ひさよんが感じた虚しさ)か、くすぶり続ける憎しみの炎だ。
 その心は決して豊かでない。

 そしてそれと対照的なのは、あいのりの本来の目的である「真実の愛を見つける旅」。
 真実の愛を見つけて帰国していったメンバーの心の豊かなこと。
 仮にフラれたとしてもひとりの人間を思い続けた心はすごく豊かだ。
 愛ではなく憎しみを描く様になってしまったあいのり。
 それは人間観察ドキュメントとしては面白いが、あまり見ていて気持ちのいいものではない。
 そろそろ「真実の愛」を見たくなって来た。
 しかし、ひさよんとちゃき、女性メンバー3人のうちのふたりがこんな状態ではそれはなかなか訪れないだろう。
 それに、ひさよんとちゃき、このふたりの決着はどうつくのだろう?

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 功名が辻 この世の悲しみ | トップ | 結婚できない男 第6回 »

コメントを投稿

バラエティ・報道」カテゴリの最新記事