人は愚かで哀しいものなんですね。
12年間の時田名人(竹財輝之助)に対する怒りと復讐の思い。
実は犯人の勘違いと思い込みだった。
12年前の時田の意図は、「あの子が弱くなると、面白くないから」だった。
心理的に揺さぶって自滅させることではなかった。
なのに犯人は、思い込みが募り、殺人まで犯してしまう。
時田と腹を割って話してみれば解消できたことかもしれなかったのに。
<思い込み>と<勘違い>、根拠のないことで12年という時間を無駄にし、人生を棒に振ってしまった犯人。
何と愚かで、そして哀しいのだろう。
しかし、それが人間なのだ。
コンピュータとは違う所。
右京(水谷豊)はそんな人間の有り様を<棋風>に例えてこう表現する。
「棋風は指す人のクセやこだわり、信念が表れる。自らの棋風からは逃れられない」
誰もが<自分>にこだわり、<自分>に振りまわされて生きている。
<自分>にこだわり過ぎた結果、犯人のように罪を犯すこともある。
人間関係は、自我と自我のぶつかり合いである。
だから、ディスコミュニケーションとなる。
若き日の犯人と時田のディスコミュニケーションがいい例だ。
しかし、人は時として理解し合える。
電脳戦で、犯人が打った49手目。
時田は、その49手目が犯人の手であることを認識していた。
認識して、「なつかしい気持ち」になったという。
犯人と時田は日常生活ではディスコミュニケーションだったが、将棋を指している時は豊かなコミュニケーションが出来た。
ふたりの関係は<将棋>を通してのものだったが、こういうコミュニケーションの仕方もある。
人は理解し合える。
これが今回の作家さんが描きたかったメッセージなのだろう。
最後に、右京さんの犯人の特定。
ミステリードラマではこれが難しいのだが、今回は的確だった。
犯人は<将棋の盤面を再現できる人物><将棋の盤面を一目見て記憶できる人物>。
これが出来るのは、将棋に精通したあの人しかしない。
伊丹(川原和久)たちより「一手先を読んで」捜査する右京さんって、事件でチェスや将棋を指しているのかもしれませんね。
12年間の時田名人(竹財輝之助)に対する怒りと復讐の思い。
実は犯人の勘違いと思い込みだった。
12年前の時田の意図は、「あの子が弱くなると、面白くないから」だった。
心理的に揺さぶって自滅させることではなかった。
なのに犯人は、思い込みが募り、殺人まで犯してしまう。
時田と腹を割って話してみれば解消できたことかもしれなかったのに。
<思い込み>と<勘違い>、根拠のないことで12年という時間を無駄にし、人生を棒に振ってしまった犯人。
何と愚かで、そして哀しいのだろう。
しかし、それが人間なのだ。
コンピュータとは違う所。
右京(水谷豊)はそんな人間の有り様を<棋風>に例えてこう表現する。
「棋風は指す人のクセやこだわり、信念が表れる。自らの棋風からは逃れられない」
誰もが<自分>にこだわり、<自分>に振りまわされて生きている。
<自分>にこだわり過ぎた結果、犯人のように罪を犯すこともある。
人間関係は、自我と自我のぶつかり合いである。
だから、ディスコミュニケーションとなる。
若き日の犯人と時田のディスコミュニケーションがいい例だ。
しかし、人は時として理解し合える。
電脳戦で、犯人が打った49手目。
時田は、その49手目が犯人の手であることを認識していた。
認識して、「なつかしい気持ち」になったという。
犯人と時田は日常生活ではディスコミュニケーションだったが、将棋を指している時は豊かなコミュニケーションが出来た。
ふたりの関係は<将棋>を通してのものだったが、こういうコミュニケーションの仕方もある。
人は理解し合える。
これが今回の作家さんが描きたかったメッセージなのだろう。
最後に、右京さんの犯人の特定。
ミステリードラマではこれが難しいのだが、今回は的確だった。
犯人は<将棋の盤面を再現できる人物><将棋の盤面を一目見て記憶できる人物>。
これが出来るのは、将棋に精通したあの人しかしない。
伊丹(川原和久)たちより「一手先を読んで」捜査する右京さんって、事件でチェスや将棋を指しているのかもしれませんね。
>還暦過ぎても
コミック好きだなんて 褒められたもんじゃないですし
あまり言えませんよね。
いえいえ。
小説もコミックも同等のメディアですし、どちらが上とか下とかはないですよ。
逆にコミックは、小説で描けないことを表現できる素晴らしいメディアです。
ジャンルに上下なし。
おっしゃるとおり、コミックに画力と構成力が要求されるように、小説にも文章力と構成力が要求される。
ぼくも、好きでない文体の小説は受けつけませんし。
要は、小説にも傑作と駄作があり、コミックにも傑作と駄作があるということでしょうね。
それと、考えてみると、ぼくは小説を昔コミックを読んでいたときのような、かなりの速読で読んでいるんです。
逆にコミックの場合は、絵のディテールとかが気になって、速読できない。
ありがとうございます。何となく、なぜコミックが読めなくなったかの謎が解けたような気がしています。
>「3月のライオン」は以前も紹介していただきましたね。
アララ そうでしたか?
自分がコメントしたことは まるで覚えていないくらい
次々に忘れてしまって恥ずかしいです。 ^^;
>逆に小説を、ほぼ1日1冊のペースで読んでいて。
それは すごい!!!
素晴らしいですよ。
小説の方が想像力を必要とするぶん
脳が活性化するように思えますし
何と言っても高尚ですよ。
コミックは 絵があるぶん想像力が削がれますね。
それだけに 作家さんには画力が必要になります。
絵が良くないと読む気になれません。
逆に
絵だけが上手くても 構成力が無いとつまらないので
これまた 読む気が失せます。
還暦過ぎても
コミック好きだなんて 褒められたもんじゃないですし
あまり言えませんよね。
恥のかきついでに 「よつばと!」 もオススメです。
これも 以前コメしましたかしら?
「3月のライオン」は以前も紹介していただきましたね。
まだ未読です。
最近、コミックを読むのがつらくなって来ていて。
逆に小説を、ほぼ1日1冊のペースで読んでいて。
何でしょう、これは? 脳の構造が変わったんでしょうか。
「相棒」見ましたよ。
将棋ネタ繋がりで すぐ思い出すのは
コミックの 「3月のライオン」 です。
今のところ いちばん好きなコミックです。
将棋については 全然分らないので
そこは適当にスルーしても 十分面白いです。
それぞれのキャラが立っています。
登場人物で 嫌いな人はいませんが
特に好きなのが 担任教師と3姉妹です。
この人たちが出てくると 和みます。
今でいうところの 『ほっこり』 しますよ。
「相棒」の内容に関係無くて すいません。
「相棒」に関しては 棋風について感じるところがありました。