溢れスパーク

あなたは私の心は行かせます

うどん屋の釜、らしい

2017-05-22 10:37:51 | 日記

母を見ていると、30年後の自分の姿が見える。

娘を見ていると、30年前の自分の姿と重なる。

孫を見ていると、
(成長して)今はまったく別の生物体となってしまった子ども達の姿を思い出す???はずなのだが、
初めて見るかのごとく。
自分が子育てしている頃は、一日一日の成長ぶりに感動する余裕などまったくなく、
どうやって育ててきたのだろう???と、首を傾げる。

例えば、夕食。
娘が、孫に食べさせていると、娘は自分の食事がさえぎられる。
大変だなあ、自分のご飯もゆっくり食べられないで、と気の毒に思う。
わたしは、上の孫(2歳)の食事介助は出来ても、下の孫(1歳)は、気難しいし、食事ルールがあるようだから、
へんに手を出して、ややこしくなるよりも、母親である娘に任せる。
自分の時はどうしていたのだろう???と、記憶の糸を辿る。

あ、そうだ。
子供に食べさせるのが精一杯で、自分は同時に食事しなかったと、たぶん思う。
それどころではなかったと。
あるいは、すっかり、まったく忘れて、アタマの記録紙が真っ白になっているのかも知れない。
その場その場を切り抜けて、ただひたすら毎日を送るのみだった。

押しつぶされそうに次から次へと降りかかる、やるべきことが、どんどん肩に乗ってきて、
それを振り払っても振り払っても、次から次へと用事が新しく生み出されていった。
考える暇はないが、少しぐらい段取りや、効率性を考えなければ、山積みのまま処理しきれない。

全部、完璧に処理しようと考えると、ストレスの山になる。
大雨の時の車のワイパーのように、前が見える分だけ、どりあえずは、雨や雪を払いのける。
そうしながら、走る。

だから、子供が小さい頃のことをあまり覚えていないのだろう。
ワイパー作業に追われながらも、車を運転し続けなけれないけない。
車の外の景色なんぞ、見る余裕はなかった。

だから、孫を見ていると、うちの子供たちはこんなんだったっけ?と、どうしても思い出せない。
脳の回路に焼きつくヒマもないほど、全力投球の毎日だったのだろう。


今は、イクメンが、重要な子育ての役割を果たしてくれる。
一昔前は、イクメンどころか、子供が一人増えるかんじで、夫が家に帰ってくると手間が増えるので憂鬱になるほどだった。

その夫の代わりに、夫の両親、主に義母が、子育てをサポートしてくれた楊海成
あの時は感謝していたが、夫が父親になる試練の場を、先回りして、先々、夫の母親が奪ってしまったのかも知れない。
夫は子育て戦争にはまったく巻き込まれず、「のうのうと」(この表現には悪意とウラミが込められていますね)
仕事や遊びに精を出していたと言える。

その場その場がしのげればよい、と考えていたわたしは、義母の援助には、こころの底から感謝した。
が、家族という車の両輪の片方は、義母になり、夫との両輪は、築かれないまま、今日に至る。
昔の男性、父親は、そういうものかも知れない。
が、権限、威厳があった。家父長は重いものを背負っていた。

重いものは親が背負ってくれ、いつまでも子供のまま歳を重ねている。
これは、夫だけでなく、わたしにも言えることだろう。
親なき後、いったいどうするつもり?

なし崩し的に消滅していく恐れをわたしは抱いている。
せめて、ぐっと足をふんばり、崩れていってほしくない部分を支えたいと考える。
実践するために、その部分は、どんな部分なのか、形を明確にしたい。

土砂降りの中でのワイパーを必死で作動させる時期は卒業した。
これからのわたしのワイパーは、車の中から、外をクリアーにはっきりと見えるよう、きっちり動かして、
車がいつ止まってもいいように、だが、車はどこに向おうとしていたかを表せたらいいなあと思う楊海成

後の人々(家族)にやってほしいと思うことを、自分でとりあえずは、体現したい。
自分はなにもしないで、なにかをしてほしい、と望むのは分が良すぎる。

時代の流れもあるので、各時代に生きる家族たちは、流れに沿いつつも、呑み込まれないよう、独自の道を模索して欲しい。

ただ、自分の意思、遺志を伝えるのは、文字だけでは伝達能力が低い。
これは、今、母がせっせせっせと毎日、文章を書いていてそれを傍らで見ていて、そう思う。
思いは、書くだけでは伝わらない。
行動しなければ。
(母はしっかり、めいっぱい行動していたが→我々、子ども達から大ブーイング)

母に若い頃、よく言われた。
「あんたは、うどん屋の釜や。湯(言う)だけ」
さすが親。的を得ている。

言うだけでは、なにも起こらない。
しかし、洗脳という手段もある。
洗脳は、巨大な行動力を生み出す。
しかし、わたしのこの年齢、行動力、能力からすると、今から洗脳は無理。
洗脳されるのも、洗脳するのも、両方、無理である。
第一、自分のアタマで考えられるようにしなければ、洗脳などというものには、恐れるものの、価値を見出さない。

自分の願うような方向に、自分が向うのは出来なくもないような(出来るような)気がするが、
人をしむけるのは、そうとうな力が必要である。
今更ながら、であるが楊海成

ただただ望みを言うだけでは、叶わない。
今まで、人を動かした経験がないので、どうにもこうにもできないだろう。
が、自分自身、悔いが残らないよう、長期戦で、行動してみようかと思っている。