25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ITの世界

2019年09月15日 | 社会・経済・政治
 google の Android のことをアプリ関連のことで調べる必要があって、悪戦苦闘している。
  わからない言葉だらけである。Mp3 wma メールでのやりとりをしていても、体験して理解できるまで時間がかかる。
 そうこうしているうちに、iOS(apple)とAndroid(google)の戦略の違いが見えてくる。iOS はとにかく閉じている。)iOS でi phone 用のアプリを作るにはapple のものを買わなけれならない。まず、PC.それからプログラミングソフトウェアなどなぢ。Google は開放型でどんどん無料提供する。

 思えば 昔のYahooとGoogle の検索エンジンとの違いである。Yahoo は人気がでるとすうにオームページ審査を厳しくし、有料化した。Google は無料でなんでもかんでも載せるという方針を取った。Google が勝利したように見える。

 アメリカののしあがっていったIT企業はグローバル化の象徴でる。アメリカに追いつき、追い越せと人口数14億人の中国がつづいている。ほぼアメリカが世界を支配した格好であるが、大人口を抱えた中国、インド、インドネシアが5Gや6G などの新しい通信インフラを整えていけばアメリカを容易に追い越すことだろう。日本は今や3周遅れと言われている。
 言葉だけは知っていても入り込むことがなかった アフェリエイトというビジネス分野がある。自分のブログにアフェリエイト登録会社えお通じて選んだ広告を載せるのである。その広告いよって物が売れたり、クリックしてもらうだけでお金が入ってくる仕組みになっている。やれやれ、新しいことに取り組むことの骨の折れることよ。
 アイデアは頭から生まれるが、それを実用化しようとするととんでもない知識と経験、いわゆる技術がいる。いくら技術があっても、発想力がない人は言われたままのことをこなす職人となっていく。

 5Gの時代にあれば、産業革命が起こると言われている。

 おっ、今日は九州場所の女、田島さんが砂かぶり二列目にいて、バッチリとテレビに映っているぞ。隣の人と会話もしていたが、それが男性か女性か行司の真後ろにいるのでわからない。大相撲は観客もおもしろい。



 
 

名古屋行き

2019年09月14日 | 日記
 昨日、本当に久しぶりに車で名古屋駅まででかけた。いろいろと、見たいものがあったから、早めにでた。仕事を終えて、母への準備も終えて、1時半だった。これなら、6時07分に着く細君をピックアップするにも十分である。しんどくなるくらい書店内で歩くだろうが、気にならない程度の時間である。4時には着いているつもりだった。ところが鈴鹿と四日市の間で渋滞になっている。これはトラウマになる、と思った。「また名古屋に車でいけば渋滞か」と思うトラウマである。
 着いたのは夕方の5時を過ぎていた。あせって、セントラルタワーの三省堂に向かった。ところが三省堂はない。JRゲートタワーに引っ越したという。
 もうこれだけで15分は使った。ようやく三省堂に着き、本を探しはじめると、とてもじゃないが時間が足りない。まずは外国語のテキストとCDのあるところへ。そこで選ぶにしても焦ってしまい、もう、目にしたものを、である。次にアプリ関係の情報がほしい。これがどこなのかわからない。書店員を引っ張りだす始末であった。5Gの知識を得ておこうと、その関係の本も探った。そして現代思想にふれたいと思った が、時間切れであった。急いで、反対側の新幹線口まで歩いた。細君を迎えるついでに自分の興味あることを、という算段が甘かった。そして思い出した。JRで紀勢本線をのんびりいくのがよかったのだと。ただJR料金が異常に高いために、忘れていた。
 そういえば、名古屋発19時45分の南紀特急は必ずと言っていいほど、途中、鹿がぶつかり到着が遅延していた。それが嫌で車に換えたのだった、鹿であれ、人間であれ、事故が起きれば停滞である。
 なんだか時間を損したような気分になった。これはきっとトラウマになる。 もう名古屋には行きたくないと思うのだ。

また「昭和史」再々読

2019年09月13日 | 社会・経済・政治
三度め、半藤一利の「昭和史」を読んでいる。

 田中 義一は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。爵位は男爵。 陸軍大臣、貴族院議員、内閣総理大臣、外務大臣、内務大臣、拓務大臣などを歴任した。(Wikipediaより) この男は天皇に対して張作霖爆破事件のよからぬ噂を天皇が聞いた。 田中は天皇に聞かれても、のらくらとのれんに腕押しで、真相を探ることも、処罰をすることもしない。陸軍から責められるのも嫌だし、天皇やその側近たちから文句を言われるのも嫌なことで、ただなんとなく時が過ぎていくのを待っている状態である。天皇はカンカンになって怒る。「田中を首にしろ」という。すると側近・重鎮の西園寺公望がこれまで田中はけしからん、首にしろと言っていたにもかかわらず、天皇は内閣総理大臣を首して政治介入することなどあってはなりません。と言い出す。そばにいる牧野伸顕などは呆れる始末である。

 このウヤムヤが関東軍の暴走を食い止められなくする。今度は柳条湖事件である。満州鉄道を爆破されたとでっち上げの事件を作り、張作霖の息子、張学良を追い出すのである。もちろん謀略である。天皇は猛反対するが、大元帥天皇の意思に反して、朝鮮にいる日本軍は関東軍を応援に向かう。大元帥の許可がいることなのに、このような指図をする幹部軍人は死刑ものだが、逆に出世していくのだから不思議だ。マスコミも煽り始める。煽ると新聞が売れる。国民は主戦論になっていく。 満州事変のことだ。ここから日中は悲惨な十五年戦争に突入する。

 何がきっかけで戦争状態になるかわからない。よくよく注意しなければならない。事件かもしれない。ちょっとした言葉なのかもしれない。
 どうやら戦争に突入していくのは、幹部軍人の知性、性格。それで事件への対処の仕方が変わってくる。田中義一のようなノラクラな筋の一本も入っていない男が総理大臣ではどうにもならない。

 昭和史のおもしろくないのは出てくる人物が面白くないのだ。傑出したものがいない。まあ、傑出しているものがいたら、十五年戦争も、太平洋戦争もやっていなかっただろうが。
 陸軍と海軍から大臣を出さない限り組閣できない。またこれがよくコロコロ変わる。強気の精神論だけが前に出てゆく。この精神論の被害者が国民の徴兵された兵士である。

 どうしてこんなことを書くかと言えば、何が起こるかわからない心配があるからである。日本はどんどん戦争のできる国になりつつある。
 先の戦争を反省していない大臣が入り、「なかったことにしたい」妄想にとらわれた日本列島人が少数いる。日本人の誇り、矜持、汚れのなさ、を言うコメンテーターもいる。まだ戦争の記憶は消えていない。だから事あると韓国と日本は張り合うし、靖国神社に首相が参拝すれば中国も怒る。アメリカの大統領でさえ靖国神社には行かない。
 なんだかまだ戦争は終わっていないのか、と暗澹とする。




 

不穏だな

2019年09月12日 | 社会・経済・政治
母の家の前でJさん夫婦が連日ゲートボール場の草を刈り、コート内はメンバーも出て、雑草の根から取っている。Jさんはボランティアである。その草刈り機の先端のところを見ようと思い、50センチほどのロープの柵を越えようとした。右肢が越え、左肢も超えると思っていたら、左肢がロープにひっかかり、ぼくは前へ転倒した。あとで左肢を見たら、すねに傷ができている。足底から20センチほどのところでロープに擦ったのである。つまりぼくの無意識の左肢は上げるに20センチ足りなかったのである。こういう時、「いかんなあ」と思う。

 プリンターのカートリッジインクを買いに行くと、改めてインクは高いなあ、と思う。2個買って、割引してもらって、3600円である。「高いよなあ、インクは」と言うと、「プリンターは安いんですがねえ。これがねえ」と毎度の話である。
 カウンターの向こうに128ギガのSDが置いてある。「128ギガ? これ、どんな機種でも使えるん?」「いえ、機種によります。海外では1デラのSDがあるそうですよ。日本ではまだ売ってませんが」係員はニコニコ笑いながら情報を教えてくれる。
「1デラ、なかなか使えないですよね」と彼は言う。

 5Gの時代が来たら1デラごときさっさと使うだろうと推測する。高速、大容量の通信インフラなのだから、好きな映画を1デラのSDに入れてしまえばいいではないか。
 コンビニで食べ物を買い、また母の家に置いてある事務所に戻ると、ゲートボール場の草取りも終わろうとしていた。秋になれば、また朝早くからゲートボールをするのだろう。人間も長生きするはずだ、と思う。よく歩くゲームだからこれはいいものだろう。

 安倍政権は「生長の家原理主義者」が好きである。恩か義理でもあるのだろうか。国粋主義で戦争を煽りに煽った谷口雅春の考えに近いところがあるのだろうか。あるいは、病気でも治った、というのだろうか。稲田朋美も可愛がった。彼女は株を挙げる内閣に入ったからか、株で大儲けした。今度は衛藤晟一の起用である。彼は「日本会議」の事務局となっている日本青年協議会の委員長までした男で、当時の生長の家の政治活動メンバーである。その後生長の家は大転向し、谷口家は国粋主義からエコロジストに変身したのであるが、谷口雅春の考え方を引き継ぎ、(原理主義と呼ばれている)、政治家として上りつめて行ったのである。明治憲法に戻そうというのが彼らの悲願である。安倍政権のブレーン椛島有三は日本青年協議会の会長であり、日本政策研究センターの伊藤哲夫もブレーンである。生長の家原理主義者たちが「日本会議」をリードし、この国を引っ張っていると自負するところだろう。

 右派団体「日本会議」は政治家や各種団体がなんとなく参加しているいわば緩い団体であるが、この団体を使うのが日本青年協議会だ。もう椛島有三は青年でもないのだが。

 こんな忖度と右派の集まりの中に小泉進次郎もいるのだから、なんだかなあ、と思う。小泉進次郎はどんな思想をもっているのだろう。よくわからない。
 人気のあった親父の小泉元首相も人材派遣導入などという馬鹿なことをしたものだった。

慌ただしく

2019年09月10日 | 日記

 韓国のソウルで反日集会をしている人々のそばで「ハグしてください」と目隠しをして手を広げる日本人男性。1時間半で50人の人とハグした。
 かたや日本の男性に触発された韓国の女性。大阪で反韓ヘイトスピーチデモをしているそばでその女性が「ハグ」の呼びかけをした、呼びかけは双方とも文字である。その小さなボードにはなぜ「ハグ」を求めるのか書いてある。政権と政権がいわば喧嘩するなかで勇気ある行動的が示すのは普通に生きる人が国が違っても交流を続け、ハグを続けていけば、もしかしたら国家間の戦争をなくせるかもしれない可能性があるということだ。

 それが朝見た「モーニングショー」。本日は内閣も改造。これには一過言あるが、今日はその暇がない。午後一時から今後を左右する話し合いがあるので、次の段階を想定してホームページの原稿を作らなければならない。午前中には病院にも行かなければならなかったが、二日酔い気味だったので、行きたくはなかったが、行った。案の定、血圧は上がっていた。当然だと思っていたら、薬を変えるという。ぼくはこの薬を飲まなくて済むようダイエットもしたのだった。だが「怒涛の子供たちの夏来襲」で、調子こいて飲み食いした。すると、ズボンのバンドの具合がなんとなくわかり、体重計に乗るのが恐ろしくなった。絶対に体重は戻り、さらに超えているように思う。

 これと昨晩の飲酒がきっと血圧に悪影響している。案の定であった。「えのもとさん、だいぶ高いなあ」「いくつですか」「上が170で、下が100やんな」。180までは薬は出さなくてよいという風な指針が出ていたのを新聞で3、4年前に読んでいたので、200は行ってないからという思いもあって、ホッとしていたら、「薬を変えるわい」という。お医者さんのデスクにはパソコンがあった。「やっと導入か」と思いながらも、血圧剤についてはショックだった。
 
 そそくさと、事務所に戻り、ホームページの台本作り。今日は母親が介護施設に行く日なので、昼食は作らなくてよい。

 午後一時。プログラマーと話し合い。知らないことばかりだが、完成したにもかかわらず、ある機種ではインストールができ、ある機種ができない不具合がある。この解決のことと次の段階に進
むホームページ、Google Play へのアップロードの話となった。

 3時半には貸別荘のゴミを取りにいく必要がある。曽根までいくと、別荘は想定外のひどい様相であった。これを片付け、ゴミを出すだけでもたっぷり汗かいた。スーパーに寄り買い物。家に帰ると相撲が始まっている。見たい取り組みがあるので、母親に早めに夕食にしてくれ、と電話して、5時に実家に向かう。戻ってビール缶を開けて、相撲観戦。栃ノ心は可哀想だった。今場所は「遠藤」がキーパーソンだと思う。

 細君が東京の娘の家に行ったので、一人のんびりである。すべて自分でするので張りもある。
 もう夕方はすっかり昨日のアルコールが分解されたようである。慌ただしい一日だった。

 天皇も「この内角は嫌」と言えなくよなあ、と思いながら今ビールを飲んでいる。


 
 

老いのゆくえ

2019年09月10日 | 文学 思想
 書店に小説家黒井千次の新書「老いのゆくえ」が並んでいた。気になって手にとり、買った。帯に「人は自らにふさわしい老い方をするより他にない」とある。
 自らにふさわしい老い方か、そういえば尊敬する吉本隆明は老いてゆく日々もさらしながら死ぬまで本を書いていた。西部邁は老いることで、妻が死んだときと同じ迷惑を娘にかけまい、と自裁した。川端康成は老いてノーベル賞を受賞し、老いて若い女性に恋をし、それが原因かどうかはしらないが自殺した。川端の場合は古井由吉が「事故の顛末」という小説にした。恋をしたのがほんとうかどうかはわからないのだが。
 自らにふさわしい老い方とはどういうもんだろう、と考える。自分とは何か、と問と同じように決して結論のでない問のような気がする。自分なんて自分でもわからないように、老い方もわからない。人生の岐路はまだまだ続く。まだまだ岐れ道をどっちにするか選ばなければならないだろう。
 この前新聞広告で、「DVD世界の絶景100選」を見て、買いたいなあ、と思ったが、行きたいなあという思いが勝って買うのを止めた。バリ島で紫色の夕暮れを見たことがある。そういう珍しい風景が世界のあちこちにある。それらを見たいものだ、と思っている。これは実行できるだろうか。その中にはアメリカを車で縦断してみたいというぉともあるし、スラウェシでヤシ蟹も食べたいということもる。
 酒は自堕落に飲んでいる。休みの日というのを作れない。運動もそこそこ。

 黒井千次はすでに85歳である。ぼくなどは黒井千次に言わせればまだ「若造」だろう。昨日一番下の4歳の孫がぼくの歳になるまで、まだ65年もあるのかよ、と嘆息をついたのだった。

 5Gは次の産業革命のインフラだという。中国は今このインフラ整備を進めているという。来る日の革命のために。その片鱗くらいは見たいものだ。

 もう銃撃戦の中で、いつ弾にあたっても不思議でない歳になっている。まだ生ききったという思いもなければ、最高で思い残すこともないということもない。
 黒井千次の文でも読んで参考とすることにしよう。
 

チョ・グクの問題

2019年09月09日 | 社会・経済・政治
 日本は常にロシアの南下を恐れ、朝鮮半島を防御ラインとし、さらに満州までも防御地域とした。日露戦争ではなんとか勝ったが、次の第二次世界大戦では隙をつくかのように、ロシアが参戦し、満州に攻め込んで来た。というより略奪しに来た。シベリアの収容所に兵士を労働者として運び込んだ。

 戦争をするからこういうことになるのである。戦後、勇ましく主戦論を唱えた人々はどうしているのだろうか。「いいや、あれは間違っていなかった」「しかたなかった」と考える人。「自分はどうかしてた」と反省して考える人。戦争に行かされた人、行かなかった人、軍人でも戦った人、戦わなかった人、事務をしていた人、それぞれの環境によって違うのだろう。病気、栄養失調、マインドコントロールによる自殺。310万人の犠牲者。

 これから日本の防衛ラインはどうなっていくのだろう。ぼくはこれを心配しないが、ナショナリズムの強い人は心配することだろう。竹島や尖閣はナショナリズムを煽る問題だから小競り合いが起こるとも限らない。

 それにしてもチョ・グクという人物。オロオロ、汗ふきふきせず、態度は悠然としている。とても自分の権力を利用したことやっているようには見えない。映画俳優のようである。文政権の20年左派政権継続構想の大事な担い手である。文政権にとっては痛手だろう。20年構想が実現したら、韓国の左派政権はアメリカとどうするのだろう。アメリカから離れていけば、北朝鮮、ロシア、中国が西、北に広がることになる。やはり竹島、尖閣が防衛ラインとなるのだろうか。台湾はいずれ中国に吸収される。台湾が中国に攻められたらアメリカが出るだろうか。日本は集団的自衛権を発動するだろうか。
 このようなことまで考えさせられるのがチョ・グクである。

 中国とアメリカの関税戦争。どっちが持ちこたえるだろう。この経済貿易戦争で、中国は世界の低廉な工場の時代を終えることにはなるだろう、とぼくは思う。中国はこれから自国製品を品質のよいものにして、技術の先端を走ることに強化するだろう。
 トランプ大統領が出てきてからというもの、世界は一気に不安定化したように感じる。

 さて、時代は変わっても変わらないのは生物としての人間である。子供の一人が指でVのサインをすれば、他の子供も瞬く間に同じことをする。幼児が蛸の絵を描けば、次から次へと同じ蛸の絵を描く。韓国憎しと一人が煽れば、必ず幼児、子供のように感染される者が出てくる。こういうことは変わらない。人間は知性がなければ幼児性のまま行ってしまうのだ。

 

 
 
 

 

時代は変わる

2019年09月08日 | 文学 思想
 「道頓堀で居酒屋やってまんねん」 「へえ、道頓堀ですか」。ぼくは宮本輝の「道頓堀川」を咄嗟に思い出し、ついでグリコのネオンサインを思い出した。若者が興奮して飛び込むのもこの川だった。「ぼくんとこは道頓堀と言っても一本筋がちがんですわ。常連さんばっかでやってます」と言って朝の8時に大坂を出たらしい。海が見えて、広い庭があって、こんなとこでのんびりさせたいんですわ。みな、マンションとか庭のない家で育ってますんでね」
その大将はこまめに若い子らの面倒をみているようである。ぼくに手土産までくれた。
 台風の影響が心配されたが、雨が降ることもなく幸運だったと思う。

 どうもこの9月に入ってからの客をみていると、分散してしまった仲間が一同に集まったり、今日の大将のようにやはりアルバイトで働いてくれる人を一同に集めて、自分たちでBBQをするのである。釣りをするのでもない。熊野古道を歩くのでもない。ただみな集まって同じ時を過ごし、食べて飲んで楽しむ。思えばこのようなことは旅館や民宿、ホテルではできない。 
 昔は社員旅行というのがあった。上げ膳据え膳で宴会がある。朝から酒を飲むものまでいる。まだこういうのがあるのだろうか。
 デフレ時代の遊び方は、自由に、自分たちで準備用意して、料理をし、フトンを敷き、洗面用具もタオルも持参結構というわけである。
 こういう合理的で節約の人たちが増えているのだろう。

 これももう昔の話だが、列車内で宴会をする人たちがいた。そういうグループもこの頃見なくなった(と思う)。列車が速くなったのと健康面への気遣いもあるだろうが、大声を上げたり、昼間から酔っぱらうのを奇異な目で見る人も多くなったのだろう。
 このような面では時代が変わった。

 もうひとつ変わってきたことがある。それは剥き出しの感情をSNSや電話、FAXでしてくる人が増えているような気がすることだ。それに乗る週刊誌、テレビ情報番組。危ない、危ない。

 日本は明治維新から40年で日本を近代化し、世界での地位を上げた。次の40年で日本は崩壊に歩んだ。積み立てた言論が戦争となった。戦後の40年でまた復興、成長し、GDPが世界で2位となって一億総中流社会と呼ばれるようになった。そして今は次の40年間の最終コーナーである。積み立てされた言論は本当のところどうなっているのだろう。勢いのよい剥き出しの感情の少数のものたちがこの日本列島を支配しているわけではない、と思う。

やれやれどんどん

2019年09月07日 | 日記
 プログラマーとこちらのやりとりがうまくいかず、やれやれ、という事態だった。ぼくの方に落ち度があるのか、つまりぼくの方のスマホ、PCの環境が悪いのか、ぼくには判断がつかない。相手から指示がくる。そのとおりやってみるが、うまくいかない。google drive やgoogle play を知っていても、その中身や設定のしかたも初めてのことである。ようするにその手の経験がない。
 結局、今日は完成したアプリをインストールし、それを開いてみることができなかった。昔だったら相当イラついただろう。この頃はふーーんてなもんである。20年以上も経ってできなかったものができるのである。どうってことはない。何日でも待てる。

 ところで、今日は東京、大坂、名古屋から同期生が一同に曽根貸別荘に集まって飲み会をするのだそうな。りっぱな大人の会社員である。「前の浜で泳いでもいいですか」「低体温になれば溺れるよ」「いえ、自信があります」 りっぱなふくらはぎを持っている。大丈夫そうな躯体をしている。でもわからん。
「死なれたら困るんだよ」とぼくは「いかん、禁止だ!」と言えない。別にこの前の海で泳ぐには禁止でもない。好きにしてくれ、という気分である。
 彼が泳ぐのをみている人がいるとも限らない。陸側からは見えないが、海の筏からは見える。誰が「危ないことをして」と区長に告げるかわからない。それも面倒なことだが、自己責任の世界のことなので、「くれぐれも死ないように」と言って了承した。内心は、そんなこと俺に訊くなよ、である。
 そうそう海に飛び込んで死ぬとは思えないが、8月中は水の事故死のニュースが多い。
 ぼくの子供の頃は尾鷲港から佐波留島まで遠泳することもあった。ドーバー海峡を泳ぐものもいるのである。
 曽根の浜くらいで心配するな、と自分に言いたいが、やはり何が起こるかわからない、と心配である。そのうち台風の雨が降り始めたので、雨では泳ぐのも止めるだろうと思ってホッとした。
 本当は泳いだのか、泳がなかったのかわからない。
 何となく、若者が死に一番近いところにいるから、心配してしまう。きっとぼくが彼と同い年くらいなら、やれやれどんどん、である。

再挑戦

2019年09月06日 | 日記
母の交通事故があって、バリ島での仕事通いができなくなったので、その事業を売却した。それまでは若い人たちといつも会って、話をしていた。バリ島だけでなく講習は東京、北海道、博多、那覇でもやっていたので、よく通ったものだった。
 母の見守り、そして裁判と長期に渡ったが、もう会う人は友人と弁護士だけとなってしまった。2010年のブログを校正・整理していると自分がいかに人と多く会っていたかわかる。しかし、それでも三十代、四十代の頃に比べたら話にならないほど少ない。
 尾根からいつ落ちるかもわからないような状態でこの20年歩いてきたような気がする。

 仕事で出かけることがなくなるということは若い人にも出会わないということだ。だから積極的にボランティアでもサークル活動でもしなければと思う人も多いだろう。
 母の交通事故以降、緩やかで、忙しさのない生活を送ってきた。それで気が付くことがあった。久しぶりに人と会って長話をすると、疲れるのだ。久しぶりにスピーチなどを頼まれるとさらにひどく疲れるのである。この緩やかな時の経過とともに、バリ島や沖縄で必死こいて説明し、体使って講習できていた頃と現在の自分との差を考えてしまう。
 
 体から酵素が減りつつあるのか。マグネシウムでも不足しがちなのか、それが今の自分の時の経過というものなのか。

 人生の最後にどうしてもリベンジしておきたいことがあって、「書くこと」と同時にこのリベンジをやる。自分へのリベンジである。「再挑戦」と言ってもいい。そのスタートが九月半ばくらいからとなる。世界でおそらく初の超便利な語学学習プレイヤーアプリだ。他社のものと比べてもこちらが上だ(と自分で判断している。ただガラパゴス化が恐ろしい)。日本語を勉強する人や、他外国語を勉強する世界中の人に使ってほしい、と思っている。

 とりあえず、慎重に始める。ホームページ作りからだ。そして Google Play への登録となる。そしてもうひとつのフォーマットiOS 用開発を始める、という段取りである。うまくいくかどうか。もちろんいってほしいが、開発の難しさ、不具合の発生については過去に知っているので、用心、用心と自分に言い聞かせる。また人と会うことが増えるのかもしれない。

煽り、煽られ

2019年09月05日 | 社会・経済・政治
香港政府が「逃亡犯引き渡し条例」を撤回したというニュースが昨晩入ってきた。ブログでこの話題を昨日の午前中、アップするのを忘れていたのでしたばかりだった。思いが届いたようで嬉しかったが、学生たちの要求の一番に誰でも立候補できる「普通選挙」がある。香港自治政府がここまで本当は認められているはずだった。一国二制度制を反故にしたのは中国政府の方である。この推移を遠く日本から注視したい。

 日本と韓国の問題で週刊ポストが大失態をしてしまった。テレビ報道番組でも馬鹿なことを言う者がいて、嫌韓を煽る。しかしこの頃では「冷静に報道しよう」という番組も現れ、政権対政権の喧嘩が国民対国民にならない余裕を両国の国民はもっているようである。早く、国内の空港で便が止まっている韓国―日本便が復活してほしいものだ。

 戦前、毎日新聞が主戦論を唱えると新聞の販売部数が増え、結局は朝日新聞までも主戦論を唱えるようになった。国民が煽り煽られ、新聞の煽り煽られ、内閣は判断を間違い、軍部は天皇を利用し、精神論だけで戦争に突入していく。最後は空襲、原爆で兵士ではない一般人、女子供まで殺されることになった。

 ぼくは戦争には正義の戦争はなく、戦争そのものが悪だと考えている。同じような意見の人が多くなってきているように思うがどうだろう。嫌韓論を書き、韓国の悪口を言っているような学者や文化人、それに賛同する人は圧倒的に少数だと思う。ただこの少数がこまめにSNSを使い、こまめに活動するのだ。

 「日本人は汚れたことなどしない民族なのだ」と思いたい勢力がこの国には少数いるのだ。「しかたのなかった戦争だったのだ」と思いたい。「戦争で死んだ人たちに無駄に死んだなどと言えない」と思いたい。

 人間は科学技術をすごい勢いで発展させたが、煽り煽られとか、マスコミの態度、政治家の態度など進歩していないところがあって、七十数年前と同じようなことをやってしまっている。そう思うと暗澹とした気分にもなり、人間性というものはそうそう早くに変わるものではないのだと、自分が生きている間にはどうにもならないのだと、と思える。

 話は違うが、ちょっとした知恵が人間の意識を変えることがあるかもしれない。例えば、桑田佳祐が「ピースとハイライト」の歌詞の中で、「教科書は現代史をやる前に時間切れ どうしてそうなっちゃうの」と書いたように、歴史は現在から過去に下っていった方がいいのではないか。原始時代からより、現在から。そして「なぜそうなったの」とつないで過去に向かう。
 ちょっとづつ、一人一人の冷静な努力で、生活の場面で、自分も煽り煽られない努力をしなければならないのだろう。

 

  

口がすべった

2019年09月04日 | 日記
 時々口をすべらせる。30年ぶりくらいに会ったお寿司屋さんの主人に、出逢った懐かしさも含めて
「あんたとこの寿司の高いのには目が飛び出したで」本当は(あのバブルの頃は)をつけるべきだったのである。ご主人はおおらかに、「値段らあな、こころの問題やでな。美味しいと思たら、不服言うたらあかん」とあっさり上手投げをかけてきた。イカをまな板にたたきこんで、「ほら、見よ、このイカまだ生きとるやろ。冷凍なんかじゃないど、ほれ、獲れたてじゃ」と言葉で押しまくっていた大将だった。

 もうひとつ、マックでオーダーの順番を待っていると、中年の男がそわそわとやってきて、ぼくの前をウロウロし、次はぼくの番なのに、気づかずなのか、わざとなのか、カウンターの前に行き、オーダーを始めた。「こら、並ばんかい。おれの番やでな」 と子供に言うように言ってしまった。「その言い方はなんじゃい」と言い返してきた。ぼくは一歩その男に歩みより、顔を睨むことになった。「人が立っとるのうくらいわかるやろ。そしたらなんで立っとるかわかるやろ」と言った。すると「こういうところは初めてなもんで」とその男はぼくの後ろに並んだ。ぼくのオーダーが終わり、ぼくはコーヒーがでてくるのを待っている。その男はオーダーを始めた。それがマックのメニューをよく知っているのである。「なんど、初めてやのに、すらすらと注文できるもんやな」とは言わなかった。そこまで言葉は滑らなかった。しかし、店の注文受付の女子に、「だれが次に待っとるか、見ておいて、先にお待ちの方、どうぞ、と言わなあかんで。しっかりせんかい」と、ちょっと強い調子で言ってしまった。
 そんなことがあって、あれから新人の女子スタッフの顔を見ていないので、心配している。

 暴走老人になる素質があるのかもしれない。
 ある意味最高の場所である。本格的は読めるし、好きなだけ勉強もできる。仲間もいる。食事、医療体制も整っている。生い先短い身となれば、暴走してしまう不満や衝動もよくわかる。

香港人

2019年09月03日 | 社会・経済・政治
香港では中学生も高校生もデモに参加するようになってきた。香港自治政府の長官もあきらめたらいいのに、と思う。小学生までデモ参加を始めたら、警察官にも子供がいるだろうに、警察もあきらめるのではないか。楽観的過ぎるだろうか。中国政府も香港が自由都市であるから相当メリットが大きいはずで、特に金融都市としては世界有数のうちのひとつではなかったか。
 ぼくの友人の息子さんが香港の女性と結婚した。現在は夫婦で東京の八重洲に住んでいるらしい。一度会いたいと思っているのだが、会うにはそれなりの準備がいることもある。香港が中国のような制度の中に組み込まれていくことには多分反対だろう。なぜばらその友人とお酒を飲んだ時に、ぼくは「中国人と結婚したの?」と言ったら、「違う。香港人やで」と即中国人を打ち消したから、息子さんの奥さんがそう言ったのだろう。
 彼女は東京でテレビを見、ネットでYOU-TUBEも見ていることだろう。自分も故郷がどうなっていくのか、心配してニュースを見ていることだろう。
 中国にはこの辺で引っ込んでもらいたいものだ。

 雨傘運動から5年。権力を倒すのは大衆の力である。これがシンセンやシャンハイに飛び火するとも限らない。

 中国も大成長して世界の工場かえあ脱する転換期に入ってきた。アメリカとの関税戦争はその象徴的な出来事である。先進国のアメリカは安い労働力を求めて中国に進出した。アメリカは製造業の空洞化が起こり、金融業やIT企業が大成長した。中国は有り余る労働力で、先進国の技術を学び、今やITの世界でも、5Gの世界でも、アメリカを追い抜こうとしている。いつ民主化するのか、いつ言論の自由が保証されるのか。いつ普通選挙が行われるのか。そういう方にいく原動力に香港と台湾はなりそうな気がする。 ー

胎児の微笑

2019年09月02日 | 文学 思想
胎児の微笑・2009年12月30日(水)

 超音波診断装置を使って二十三週と一日めの胎児を撮影した。三分間の撮影で計六回。一回あたり四・七秒の微笑を胎児は見せた。その写真が今日の読売新聞に載っていた。
 ぼくらは母の心情、母を取り巻く環境が胎児に刷り込んでいく物語を「心のチューニング」で学ぶのであるが、その中で、想像でしかない部分があった。それは「息が詰まったり、悲しみを我慢したり」という微笑とは反対の表情である。微笑があるとすれば、その反対の苛酷な表情もあるはずである。
 この微笑は自発的微笑と呼ばれ、外的な刺激と無関係と見られているが、ぼくは無関係などとはいえないと思っている。
 母の愛情によって笑っているのか。人間はそれとは無関係に笑うものなんか。そのとき自律神経は副交感神経にシーゾーを傾けるのか。胎児は神経のバランスをとっているのか。

 ぼくらの体や心は過去に刷り込まれた痕跡である。新しく生き直すには過去の心も過去の体もリセットするしかない。日常の物の考え方、日常のしぐさや動き、これらをリセットすることが現在というものを変えるキーワードのように思える。
 過去の縛りから自由になること。
 どうやら人間はその手立てを必死になって考えているように思う。過去の縛りからの解放が多くの健康本、トレーニング本、カウンセリング本などとなって無意識に現れているのではないか。ヨガも、ロルフィングも、調息法も、ゆる体操も、過去からの脱皮を目指しているのではないかと思うのだ。

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 過去のブログを校正し、整理している作業を毎日2時間ほどしている。本として残しておきたいと考えるからだ。
 それにしても10年前の上の文。「胎児の微笑」を読売新聞は報道したが、「胎児の息詰まり」「胎児の我慢」「胎児の怒り」「胎児の悲しみ」についての報道がない。今もない。ぼくは母親の動悸が激しくなれば胎児もびっくりすると思う。血管を流れる音は速く激しくなると思う。母親が悲痛に暮れていれば、胎児は息も詰まると考えている。あくまでこれはぼくの想像である。
 文学作品、異常事件、その一番深いところに胎児期、乳児期の母親との関係性、母親と父親の関係性がある。だから小説も映画もそのあたりのことを書きたがる。
 昨日、詐欺集団のことに触れたが、詐欺集団に入る、受け手をする、描け人をする、店長をする、首魁をする。警察はそういう犯罪者を捕まえたら、プロファイリングをしてみたらいいと思う。できるかぎり遡って生い立ちを調べる。う~ん、これはもう警察の仕事ではなくて精神医学者とか、文学者とかの仕事になってしまうのだろうか。
 読売新聞の上記記事を書いた記者は何を思ったのか、書いてほしかったとは思う。
 「微笑の逆」もあるのではないかと。
 
 

サギデカに期待

2019年09月01日 | テレビ
 受け手、掛け手、店長、首魁。人を使って詐欺を働くのに、仲間同士は横も、上下の者についても何も知らない。研修時に、「富の再分配」と白板に書き、貯蓄のあるものは70代以上の老人たちばかりで若い者は貧しく大きな希望も持てない。老後も不安ばかりである、われわれは善いことをしているのだと説く。ここくれば毎日の交通費は2万円。仕事ができれば月に100万円、200万円稼げる。  鬼平犯科帳に出てくる義賊は「弱いものから盗らず、殺さず、犯さず」という掟を持っていた。  現代の詐欺師集団も案外義賊と本気で思っている者がいるかもしれないが、かれらは悪巧みで儲けた大金持ちだけを狙っているわけではない。老人を無差別に狙っているのだ。  NHK総合、金曜日夜9時から「サギデカ」というドラマが始まった。相当な取材を重ねて練った作品になっている。  今の時代の犯罪の社会背景もわかるようになっている。また掛け人の生い立ちも調査されることになる。ある日、一斉にあるグループの仕掛人たちが捕まった。警察は仕掛人個人の情報がないため、その男は誰か、から調べなければならない。  調べると、その仕掛人の生い立ちがわかった。悲惨であった。父親は蒸発し、その後母親ひとりで育てるが結局逃げてしまう。残された兄弟はなんとかして暮らしていくが、弟が衰弱死する。兄の方は保護され18歳、高校を卒業するまで施設で育てるられる。  ここ30年の犯罪の背景にある家族の崩壊である。詐欺被害額をみても東京23区の一区だけで月に3億、4億となっている。  格差社会が進行している。正規社員、非正規社員との差。大企業中小零細企業との差、年金の不確かさ。人材派遣会と法務省の間で口利き料を掠めとる政治家。詐欺集団の倫理はすでに壊れているが、政治家にも忖たくから始まった事件がいくつもあった。倫理が壊れてようとしている社会をぼくらは作ってはならない。  電話で騙すのも面倒だと、直接老人の家に行き、盗む者まで出てきた。  「サギデカ」で、集団のあり方、詐欺するもの、されるもの、が描かれるのだろう。人間はどこまで狡くなれるのか。それは何なのか。この詐欺師たちは大悪なのか小悪なのか。社会を崩す反社会勢力の現実をこのドラマで少々でもわかるのではないか、と期待している。