25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

中東への介入はだめだ

2016年01月07日 | 社会・経済・政治

 1996年に放映された「映像の世紀 デジタル・リマスター版」を全部見た。それで思うことがいくつかあった。

この残されたフィルムは市民が撮った動画、政府の宣伝映画、いろいろな角度から組み合わさって編集されている。

まず思ったのは歴史を文で書くより、圧倒的になまなましいものである。 高校の教科書では20世紀について書かれるのはせいぜい4,5ページであるが、1897年から始まった動画の記録は膨大であり、その4、5ページが映像で残っている。たいへんな価値だと思う。

20世紀はいわば虐殺と餓死と難民の歴史でもあった。戦争ということである。第一次世界大戦に始まり、戦争の形態が変わり、第二次世界大戦ではヨーロッパだけでも200万人が死んだ。悲惨である。アルメリア難民、ポーランド難民、ハンガイリー難民、ユダヤ難民、ロシア難民、セルビア難民、ベトナム難民。ロアシ2000万人の飢餓にも驚いた。ロシア革命以後の農業政策に失敗した犠牲者たちである。ヨーロッパは無視した。

民族というのはどうしてこうも対立し合うのか、個人幻想が共同幻想とどうして一致してしまうか。

アメリカはベトナム戦争以来、ばかばっかりやっている。判断を誤っている。

ベトナムを作戦本部があるからと言ってカンボジアに入り込む。やがてポルポトを生む。

アルカイダを匿ったといって、タリバン政権を壊す。独裁政治をやり、国民を弾圧し、大量破壊兵器を持っているから、アルカイドとつながっているからと言って、話し合いもせず攻撃を仕掛ける。そしてISを生む。

 日々テレビで映し出される映像にはIS側から、あるいはISの支配する地域に住む一般の人から、あるいはシリアやイラクの日常から撮った映像は提供されない。ジャーナリズムはどうなっているんだと思ってしまう。

 なんとも 世界は悪くなっていくばかりの20世紀であった。まだ民族闘争は続くのだろう。そこに宗教だけは絡ませないようにしてほしいものだ。互の宗教に寛容になれて人類は一歩前進する。また異なる民族を越えて理解し合うところで人類は一歩前進する。

 日本はゆめゆめ中東に介入してはならない。

 


SNSの退潮

2016年01月05日 | 社会・経済・政治

 正月も過ぎてまた通常ののんびりした生活に戻った。

 SNSはヨーロッパやアメリカでは退潮だという。日本では東北大震災があったことことからSNSは退潮しなかったという。僕はフェイスブックには加入しているが、使ったことがない。フェイスブックから連絡がきて、開けてみると、内容はほぼ模倣であり、民度の低さが感じられる。平板な、没個性のものばかりくる。「食べたものの写真」「行ったところの風景」 まあ、つまらん。退潮していくのがわかるような気がする。それで、どうしているかというと、そこから引き上げる、ブログでやっていく。あるいは実際に勉強会とか行動の会みたいなものを作り、コミュニケーションを見える形にしていく。

 スマートフォンの画面から目が離せない人たちがいる。一種の依存性である。常に頭をぼんやりさせることをせず、何かを求めている。頭は退屈なときがあっていいのに、それのほうがうまく考えることができるのに、なにもすることがない時間をず、イライラとしてスマートフォンを手にする。

 1995年に放映されたNHKの「映像の世紀 リマスター版 11集」を全部録画して見た。20世紀の始まりからの映像である。初めての映像が発見されて、数々の貴重な映像が出てきたのをNHKとアメリカのABCが制作したものである。1900年にはアメリカは摩天楼のビルを建て始めた。第一次世界大戦では武器や車両を輸出してアメリカの大企業は稼ぎに稼いだ。大統領の意見も彼ら富豪の反対があればものが言えなかった。しかし、戦争の後半になってアメリカは参戦した。漁夫の利を得るようなものであった。1920年代になると日本の1980年くらいの様相になっているのがわかる。女性は大胆になり、酒を飲み、主婦は数々の電化製品で家事労働から開放されていった。こぞって美味しいものを求めた。ブロードウェイができ、ミュージカルが盛んとなり、ジャズも全盛期を迎えていた。人々はチャールストンを踊り、浮かれに浮かれたバブル景気に沸いた。その陰では差別、格差が下敷きになっていた。

 一方ドイツはあまりにも多額の賠償金で苦しみ、パンひとつが1兆マルクにもなった。ユダ人との格差も広がっていた。第一次世界大戦後の復興はなかなか思うようにいかず、特に民主主義国家は回復が遅かった。そしてついに民主主義が合法的に独裁家し者を選んだ。ヒトラーである。ヒトラーはわずか6年で雇用を回復し、経済を発展させた。そして領土拡張、アーリア人の優秀さを唱え、ドイツ帝国を拡張し、ヨーロッパを統一しようとした。

 その頃、アメリカは大恐慌が起こっていた。他のヨーロッパ各国も復興につまずいた。日本は中国に侵攻した。

 イギリスは徹底して戦った。 やがてアメリカは恐慌を克服し、また西側ヨーロッパの支援に入り、日本とも戦争になった。

  第二次世大戦はヨーロッパを中心とし、東アジアのの戦争であった。その時に中東やアフリカは問題を残したまま分割されてしまった。

   第三次世界大戦が起こり得る問題を引きずったままで、今日に至っている。日本はどの道を進むのかしっかり考えなくてはならない事態がくるのかもしれない。スマートフォンはまさに、「戦争拒否」につかわれるのか、頭の退屈をまぎらわすに終わるのか、ぼくらはよくよく考える場面をむかえるかもしれない。

  ぼくらは中東に介入してはいけない。後方支援でさえいけない。支援ならば自国の自立と自律で、戦争のあとであると思う。SNSはどうするのか。食べたものや、見たものの写真をのせて喜んでいる人たちばかりで充ちているこのSNSの社会に、ぼくは不安感ももつ。期待感ももつ。権力はこれを利用してかかるのは目に見えているから。                      


討論会

2016年01月02日 | 日記

  テレビを意識的にみている自分であるが、正月は退屈になる。「朝まで生テレビ」も相変わらずで、若者の討論番組「日本のジレンマ」もこれという意見が聞かれない。

成長しなくてもいいんですか、という質問に共産党も民主党も「成長は必要だと思っている」と答える。本当に成長は必要なのだろうか。僕は「維持することと、教育、子育て支援への再配分が必要だと思っている」高度経済成長期は戦後の荒れた状況からの成長で、いわば当然であるとも言える。勿論、軍事をアメリカに委ね、経済活動だけに専念できるようにした政策も寄与しているかもしれない。だが、インフラの整備からして、成長するのは当然であった。そして、今はだれもがテレビやエアコン、冷蔵庫などを持ち、スマホを持っている。着るものも贅沢さえしなければ安いものを買うことができる。

  人口もいまのイギリスくらいの規模がいいのではないかと思う。

 若い人たちは他人に通じない言葉を使う。優先順位をトリアージとという。人工知能といえばよいのに、AIと言葉を使う。また古市という若者の司会が下手すきる。NHK ということもあるのか、激論にならない。若者はなぜ、政府に子ども手当を1000万円だせ、といわないのだろう、とも思う。

 東京オリンピックが本当に必要なのか。そのとき、地方のビジネスマンは東京出張をどうすればよいのか。だれも意見提案がない。1000年に一度といわれる東北大震災で、さらに高い堤防や高台移転などは本当に必要なのだろうか。

  福島原子力発電所は本当にアンダーコントロール(と安倍首相がいった)されているのだろうか。

 20世紀の残された映像資料をみると、大量の虐殺と、空前の戦争死があり、空前の餓死があった。混乱時には必ず独裁者がでてきた。ソビエトでは2000万人もの飢餓状態の人がいるというもに、西側は救わなかった。第二次世界対戦が終わったというのに、朝鮮戦争があり、ベトナム戦争があり、ソビエト崩壊で、セルビアやクロアチアの再戦争があり、中東戦争があった。カンボジアだけでも500万人が虐殺された。

21世紀になると、アメリカのちょっかいがISをつくることになり、テロが分散化した。終わりのない戦争になっている。いよいよ、これまでの価値観が本当のものだったのか試されようとしている。 奇縁があれば人間は残酷に死に、残酷に人を殺すものだ。人はいつそうなってしまうかわからない。まだこの問題は解決の手掛かりはみつかっているが、実行には意識化されていない。

NHKの解説委員による討論会が年末にあった。さすがに分野別の知識が多く、意外と現在の政権に厳しかった。今ある問題もとてもよく整理されていた。未来の幾つかの方向性もよくわかるようなきがした。大人の論議であった。

   


焚き火

2016年01月01日 | 日記

   神社でお祓いをうけたあと、焚き火をした。家の裏に放り捨てていた木を集めて、それを材料に焚き火をした。そして焼き芋を作った。息子が張り切って 

我が娘のためにとした焚き火だった。炎には妙な力があって、飽きることなく炎が絶えないように、時々に、枯枝を入れる。太い枯木まで入れてしまった。焼き芋は上等にできた。

   それからテレビでは「夏木マリ」が日本列島の民謡をジャズ風に歌っていた。昔、紅白歌合戦で、民謡歌手がでてきた。20年以上前だと思う。名前は忘れたが、その(ソーラン節」は現代的でもあり素晴らしかった。夏木マリは足元にも及ばない。

   すると、孫娘が突然躍り始めて、何かとおもったら、20年以上まえに感動したあの「ソーラン節」であった。その偶然にびっくりするとともに、世に広まるのは20年かかるものかと、思った。もうひとつある。新宿の「思い出横丁」に民謡酒場があると言う。20年以上前に日本にも民謡酒場があるべきだと思ったことがある。尾鷲では「三木浦」がよいのではないかと思う。岩壁付近に大きなスペースがある。民謡は、様々な音楽につながっていく。外国人観光客を3000万人にまでしようとしている日本。これからますます団体旅行から個人旅行になってくる。紀州にも訪れる人々もいるだろう。ぼくは観光客ではないけれど、民謡酒場ができたらきっといく、と思う。

  なんだかカラオケだけでは味気ないような気がする。

  *孫娘との自転車横転ではショックを受けたが、怪我は軽く、一安心した。