25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日常が変わる

2015年07月19日 | 日記
あり得ぬ話をいかにも有り得そうに書くというのは、初めてのことでむずかしい。知らないことはいかにも知っているように書かなければならないから、調べものもする。
書いていると、どんどんストーリーも変わっていき、人物像も変わってくる。風景描写はどのくらい描けているか、人物の心理、読む人を退屈させないか、比喩がどのくらい的確に作れているか、頭の中でいつも考えている。
僕は仕事から引退した。65歳で引退と考えていたので、それを実行した。そして、こういうことをしているのである。
母の裁判手続きがやっとのことで、完了した。弁護士は全くのアナログで、資料送付も、打ち合わせの話し合いもわざわざ、何度もいかなければならず、これには閉口した。いくつも案件をかかえているので、予約をとるだけでもたいへんである。裁判手続きの準備をするのに、約1年かかった。その間に母が死んでしまえば、保険会社はまる得で、かれらはひきのばし作戦を仕掛けてくる。
強制保険を代理手続きをするのが任意保険会社で、後遺障害等級も官僚や医者の天下り団体で、そこには保険会社まで入っていると言うから驚きだ。
保険会社を軽蔑するが、そこで働く人というのは、いわば、間接的に合法的な詐欺をやっているようなものだと思ってしまう。とにかく、さっさとしない。ひきのばす。嘘も巧妙につく。
そんなことも時々やっているのだが、ぼくは完全にフリーで、何かのエネルギーが充ちてくるのを待っている。
売れる、売れない、上手、下手にかかわらず、そのエネルギーが充ちてきて、それが生活のパターンになればいいと思っている。

*****
読んだ本
南郷継正 「武道とは何か」
中上健次 「千年の愉楽」」再再読


最新の画像もっと見る

コメントを投稿